6月15日。水曜日。雨。
昨日、
私の在所・関西地方も
梅雨入りとなりました。
今朝は、
しとしと雨模様です。
早朝ウォーキングは中止です。
梅雨は・・・ 『アジサイ』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/6a/95821680044c0295aae64c5c464a6e53.jpg)
My作品です。
『今日の誕生花』 は 『アジサイ』
誕生花とは…
ギリシア・ローマの人々の思想が、誕生花のきっかけのひとつと考えられているそうです。
ギリシア・ローマの人々は「自然界には、ぞれを司る神がいる」と信じていました。
加えて、
ギリシア・ローマの人々は「自然界には、ぞれを司る神がいる」と信じていました。
加えて、
ギリシア・ローマの人々は
「花や木々は神秘的な力を秘めており、神からのメッセージをその身に宿す」
とも信じていたそうです。
「日々咲く花には、神からのメッセージが込められている」
という、ギリシア・ローマの人々の発想となり、
そして、『誕生花』の考えに繋がったといわれています。
『誕生花』の考えには、古い、美しい歴史があるのですね。
『アジサイの花言葉』 は 『うつり気』と『おとめの愛』
※アジサイの花は、その色が変化するので『うつり気』
※シーボルトが愛した日本のお嬢さんにちなんで、
名付けられたアジサイの花もあるそうで『おとめの愛』
神様は、『アジサイの花』に
どんな『神からのメッセージ』を込めたのでしょうね?♡♡
梅雨入りで・・・
今日は、自宅謹慎?
居間の汚れた壁紙の『DIY 壁紙の張替え』です。
昨日のうちに『下準備』完了です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/58/505c0a57b72e742cd961cd0821d42e89.jpg)
下地の壁紙に凹凸があるため・・・
①壁にへこみにパテで『パテ処理』をして、壁を平らにしました。
次に、
②パテが乾燥した後、『紙やすり』をあてて、平滑な面を作りました。
DIYの好きな私は、
コロナ禍で在宅時間が長くなった分、DIYを楽しんでいます。
家を自分好みに、自分で改造していく。とても楽しいのです。
今日の『DIY』の楽しみは、張替え用壁紙の柄です。
無地ではなく、薄緑系の『ストライプ柄』にしました。
居間全体の一部の壁だけなので、トライしてみます。実行します。
出来上がりが気に入らなければ、DIYならではで、やり直します。
年を重ねて、自分らしく生きる。
我が家も自分らしく!
そうすれば、心が若々しくなります。
感謝!感謝!
そして。
今日は6月15日。年間第一水曜日。
『今日の入祭唱』
『主はわたしの光、わたしの救い、わたしは誰を恐れよう。
主はわたしの命の砦、わたしは誰の前におののくことがあろう。』
詩編 27章1節
『今日のアレルヤ唱』
アレルヤ、アレルヤ。
『わたしを愛する人はわたしの言葉を守る。
わたしの父はその人を愛され、父とわたしはその人の所へ行き、一緒に住む。』
ヨハネによる福音書 14章23節 アレルヤ、アレルヤ。
『今日の福音 イエスの御言葉』
『そのとき、イエスは弟子たちに言われた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/45/ddc002a1dc962f4c1183286c9a65bb95.jpg)
「見てもらおうとして、
人の前で善行をしないように注意しなさい。
さもないと、
あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。
だから、
あなたは施しをするときには、
偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、
自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。
はっきりあなたがたに言っておく。
彼らは既に報いを受けている。
※施しをするときは、
右の手のすることを左の手に知らせてはならない。
あなたの施しを人目につかせないためである。
そうすれば、
隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。
祈るときにも、
あなたがたは偽善者のようであってはならない。
偽善者たちは、人に見てもらおうと、
会堂や大通りの角に立って祈りたがる。
はっきり言っておく。
彼らは既に報いを受けている。
だから、
※あなたが祈るときは、
奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、
隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。
そうすれば、
隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。
断食するときには、
あなたがたは偽善者のように沈んだ顔つきをしてはならない。
偽善者は、断食しているのを人に見てもらおうと、
顔を見苦しくする。
はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。
※あなたは、断食するとき、頭に油をつけ、顔を洗いなさい。
それは、あなたの断食が人に気づかれず、
隠れたところにおられるあなたの父に見ていただくためである。
そうすれば、
隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」』
マタイによる福音書 6章1-6節&16-18節
今日のイエス様は、
『神の国の義は、内面的なものである。
施し、祈り、断食などは、人に見せるものではない。』
と、弟子たちに教えます。
旧約時代。
イスラエルでは、施し、祈り、断食などは、
多くは、公に、人前で行われたそうです。
そこには、人に見てもらいたいという誘惑があったのかもしれません。
新約時代。
イエス様は、
祈るときには、多くは、人里離れたところ、山などに行かれました。
そこで、静かに父である神と共に過ごされ、
又御父の御旨を見出しておられたのです。
私たちも、
祈り、善い行いをするとき、
人からほめられるために、するのではないのです。
又、神様からほめられたいために、するのではないのです。
神様は、
すべての人に対して、慈悲深い御方、愛深い御方です。
又、すべての人の心の奥底を見ておられる御方です。
私たちの祈りや、善い行いの価値を知っていてくださる御方です。
人は、
祈り、善い行いを通して、神様に感謝し、隣人に愛を示すのです。
『愛神愛隣』を証しするのです。
私たちも、
弟子たちを教育したイエス様の『教え』と『心』を身に着け、
祈りや、善い行いで、『愛神愛隣』を実行したいものですね。
祈りましょう。
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
全国的梅雨入りもまじかです。
毎日の雨にも負けず・・・楽しく良い毎日をお過ごしください。 お元気で!
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