4月10日。金曜日。聖週間六日目。
『聖金曜日・主の受難』
『彼は、はるかに高く上げられ、あがめられる。』
『多くの人の過ちを担い、
背いた者のために執り成したのはこの人であった。』
昨日。
『主の晩餐』の席で、イエス様はおっしゃいました。
『これは、あなたがたと多くの人のために流されて
罪のゆるしとなる
わたしの血による新しい契約である。』
では。
『契約』 とは何でしょう?
相対する二人以上の当事者の合意によって成立する法律行為。
ということです。
ということは。
イエス様は、
『人間の罪のゆるしとなるために、
ご自分の血を流すことに合意なさった。』
ということですね。
昨日。
神様は、
『羊の血を鴨居に塗った家に住む者の命は、取ることなく、過ぎ越す。』
・・・と。イスラエルの民と契約を結ばれました。
神は、人間の罪のゆるしのために、
血を流して、『人類の罪の許しの身代金』=『贖罪』となってくださる。
と、人間と 『契約』 を結ばれるのです。
『契約』 は、決して、破ることがあってはなりません。
ところが。
神が、紀元前1200頃に、イスラエルの民と結んだ『契約』は、
神の方からは破られることはなかったのですが、
人間の方は、神の要求に応えることがしんどくて、破ることが続きました。
そこで。
神は、ご自分の方から、『契約』の成就のために、譲歩なさったのです。
神であり、神の独り子であるイエスを、
民の罪のゆるしの『贖罪』として、
差し出すことをお決めになったのです。
ここに、『完全なる神の愛』 が現れました。
神は、『契約』のために、一方的に、『完全なる愛』を示されたのです。
『イエスの十字架』 は 『神の完全なる愛』の『印』です。
『神の契約』の成就なのです。
『救い』の実現なのです。
『今日の入祭祈願』
『あわれみ深い神よ、
御子キリストは、あなたの民のために、
ご自分の血によって過越の神秘を定めてくださいました。
いつくしみを忘れず、この民を永遠の愛のうちにお守りください。』
そして。
『今日の第一朗読 神の僕・主の受難』
『主は言われる。 見よ、わたしの僕は栄える。
はるかに高く上げられ、あがめられる。』
『十字架の下には母マリアとマリアと使徒ヨハネ』
かつて多くの人をおののかせたあなたの姿のように
彼の姿は損なわれ、人とは見えず、 もはや人の子の面影はない。
それほどに、彼は多くの民を驚かせる。
彼を見て、王たちも口を閉ざす。
だれも物語らなかったことを見、一度も聞かされなかったことを悟ったからだ。
わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。
主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。
乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように
この人は主の前に育った。
見るべき面影はなく、輝かしい風格も、好ましい容姿もない。
彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、
多くの痛みを負い、病を知っている。
彼はわたしたちに顔を隠し、
わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。
彼が担ったのはわたしたちの病
彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに
わたしたちは思っていた。
神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだ、と。
彼が刺し貫かれたのは
わたしたちの背きのためであり
彼が打ち砕かれたのは
わたしたちの咎のためであった。
彼の受けた懲らしめによってわたしたちに平和が与えられ
彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。
わたしたちは羊の群れ
道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。
そのわたしたちの罪をすべて主は彼に負わせられた。
苦役を課せられて、かがみ込み、彼は口を開かなかった。
屠り場に引かれる小羊のように
毛を切る者の前に物を言わない羊のように
彼は口を開かなかった。
捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。
『イエスの十字架の道行き』 巡礼仲間とたどりました
彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか
わたしの民の背きのゆえに、
彼が神の手にかかり、命ある者の地から断たれたことを。
彼は不法を働かず、その口に偽りもなかったのに
その墓は神に逆らう者と共にされ、富める者と共に葬られた。
病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ
彼は自らを償いの献げ物とした。
彼は、子孫が末永く続くのを見る。
主の望まれることは彼の手によって成し遂げられる。
彼は自らの苦しみの実りを見、それを知って満足する。
わたしの僕は、
多くの人が正しい者とされるために、彼らの罪を自ら負った。
それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし
彼は戦利品としておびただしい人を受ける。
『キリストの墓』 小さな洞穴のよう。もぐって入りました。 しゃがみ込みひれ伏して祈る人も。
彼が自らをなげうち、死んで、罪人のひとりに数えられたからだ。
『十字架の立っていた場でミサ』 巡礼同行の神父様たち 2018年夏
多くの人の過ちを担い
背いた者のために執り成しをしたのは
十字架の最後の道行きの先に・・・ 『キリストの聖墳墓教会』
苦しみと悲しみの追体験の巡礼でした。
この人であった。』
イザヤ書 52章13節ー53章12節
イエス・キリストによる 『契約』=『救い』 の成就は、
『旧約』のような、神に選ばれたイスラエルだけではなく、
『新しい契約』 として、
人類全ての人に救いが告げられたのです。
『今日の答唱詩編』
『主よ、御もとに身を寄せます。
まことの神、主よ、御手にわたしの霊をゆだねます。
わたしを贖って(あがなって)ください。
主の慈しみに生きる人はすべて、主を愛せよ。
雄々しくあれ、心を強くせよ、主を待ち望む人はすべて。』
詩編 31章2-25節
『今日の拝領祈願』
『全能永遠の神よ、
御子キリストのとうとい死と復活によって、
私たちを贖ってくださいました。
この過越の神秘にあずかるわたしたちが、
いつも心を尽くしてあなたに仕えることができますように。』
皆様。
御訪問に感謝申し上げます。
私のメールの中に今日見つけました。 『STAY HOME It's could save lives。』
使徒パウロも言いました。『苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む。』
私たちの外出自粛は、お人の命を救うのです! お元気で!
『聖金曜日・主の受難』
『彼は、はるかに高く上げられ、あがめられる。』
『多くの人の過ちを担い、
背いた者のために執り成したのはこの人であった。』
昨日。
『主の晩餐』の席で、イエス様はおっしゃいました。
『これは、あなたがたと多くの人のために流されて
罪のゆるしとなる
わたしの血による新しい契約である。』
では。
『契約』 とは何でしょう?
相対する二人以上の当事者の合意によって成立する法律行為。
ということです。
ということは。
イエス様は、
『人間の罪のゆるしとなるために、
ご自分の血を流すことに合意なさった。』
ということですね。
昨日。
神様は、
『羊の血を鴨居に塗った家に住む者の命は、取ることなく、過ぎ越す。』
・・・と。イスラエルの民と契約を結ばれました。
神は、人間の罪のゆるしのために、
血を流して、『人類の罪の許しの身代金』=『贖罪』となってくださる。
と、人間と 『契約』 を結ばれるのです。
『契約』 は、決して、破ることがあってはなりません。
ところが。
神が、紀元前1200頃に、イスラエルの民と結んだ『契約』は、
神の方からは破られることはなかったのですが、
人間の方は、神の要求に応えることがしんどくて、破ることが続きました。
そこで。
神は、ご自分の方から、『契約』の成就のために、譲歩なさったのです。
神であり、神の独り子であるイエスを、
民の罪のゆるしの『贖罪』として、
差し出すことをお決めになったのです。
ここに、『完全なる神の愛』 が現れました。
神は、『契約』のために、一方的に、『完全なる愛』を示されたのです。
『イエスの十字架』 は 『神の完全なる愛』の『印』です。
『神の契約』の成就なのです。
『救い』の実現なのです。
『今日の入祭祈願』
『あわれみ深い神よ、
御子キリストは、あなたの民のために、
ご自分の血によって過越の神秘を定めてくださいました。
いつくしみを忘れず、この民を永遠の愛のうちにお守りください。』
そして。
『今日の第一朗読 神の僕・主の受難』
『主は言われる。 見よ、わたしの僕は栄える。
はるかに高く上げられ、あがめられる。』
『十字架の下には母マリアとマリアと使徒ヨハネ』
かつて多くの人をおののかせたあなたの姿のように
彼の姿は損なわれ、人とは見えず、 もはや人の子の面影はない。
それほどに、彼は多くの民を驚かせる。
彼を見て、王たちも口を閉ざす。
だれも物語らなかったことを見、一度も聞かされなかったことを悟ったからだ。
わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。
主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。
乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように
この人は主の前に育った。
見るべき面影はなく、輝かしい風格も、好ましい容姿もない。
彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、
多くの痛みを負い、病を知っている。
彼はわたしたちに顔を隠し、
わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。
彼が担ったのはわたしたちの病
彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに
わたしたちは思っていた。
神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだ、と。
彼が刺し貫かれたのは
わたしたちの背きのためであり
彼が打ち砕かれたのは
わたしたちの咎のためであった。
彼の受けた懲らしめによってわたしたちに平和が与えられ
彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。
わたしたちは羊の群れ
道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。
そのわたしたちの罪をすべて主は彼に負わせられた。
苦役を課せられて、かがみ込み、彼は口を開かなかった。
屠り場に引かれる小羊のように
毛を切る者の前に物を言わない羊のように
彼は口を開かなかった。
捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。
『イエスの十字架の道行き』 巡礼仲間とたどりました
彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか
わたしの民の背きのゆえに、
彼が神の手にかかり、命ある者の地から断たれたことを。
彼は不法を働かず、その口に偽りもなかったのに
その墓は神に逆らう者と共にされ、富める者と共に葬られた。
病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ
彼は自らを償いの献げ物とした。
彼は、子孫が末永く続くのを見る。
主の望まれることは彼の手によって成し遂げられる。
彼は自らの苦しみの実りを見、それを知って満足する。
わたしの僕は、
多くの人が正しい者とされるために、彼らの罪を自ら負った。
それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし
彼は戦利品としておびただしい人を受ける。
『キリストの墓』 小さな洞穴のよう。もぐって入りました。 しゃがみ込みひれ伏して祈る人も。
彼が自らをなげうち、死んで、罪人のひとりに数えられたからだ。
『十字架の立っていた場でミサ』 巡礼同行の神父様たち 2018年夏
多くの人の過ちを担い
背いた者のために執り成しをしたのは
十字架の最後の道行きの先に・・・ 『キリストの聖墳墓教会』
苦しみと悲しみの追体験の巡礼でした。
この人であった。』
イザヤ書 52章13節ー53章12節
イエス・キリストによる 『契約』=『救い』 の成就は、
『旧約』のような、神に選ばれたイスラエルだけではなく、
『新しい契約』 として、
人類全ての人に救いが告げられたのです。
『今日の答唱詩編』
『主よ、御もとに身を寄せます。
まことの神、主よ、御手にわたしの霊をゆだねます。
わたしを贖って(あがなって)ください。
主の慈しみに生きる人はすべて、主を愛せよ。
雄々しくあれ、心を強くせよ、主を待ち望む人はすべて。』
詩編 31章2-25節
『今日の拝領祈願』
『全能永遠の神よ、
御子キリストのとうとい死と復活によって、
私たちを贖ってくださいました。
この過越の神秘にあずかるわたしたちが、
いつも心を尽くしてあなたに仕えることができますように。』
皆様。
御訪問に感謝申し上げます。
私のメールの中に今日見つけました。 『STAY HOME It's could save lives。』
使徒パウロも言いました。『苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む。』
私たちの外出自粛は、お人の命を救うのです! お元気で!
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