マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

帰省その⑤・・・『聖書100週間・聖書通読会』・・・『放蕩息子』・・・『まだ遠く離れていたのに、 父は息子を見つけて哀れに思い、 走り寄って首を抱き、口づけを浴びせた。』

2022-05-27 14:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
5月27日。金曜日。大雨のち曇り。


今日は金曜日。
私は、故郷・東京のあちこちを旅行中でも、
聖書100週間・聖書通読会、
オンラインクラスに出席です。


     『聖書100週間・聖書通読会 オンラインクラス』 
  
  
     旅行中でも、
     パソコンとスマホがあれば・・・
     オンライン形式でクラスが続けられることは、
          とても有難いことです。


     旅行中でも、
     3時間落ち着ける場所がありさえすれば・・・
     たとえ
     仲間の何人かが日本の真裏の国・ウルグアイに旅行中であっても、
     休会にすることなく、
     オンラインクラスを続けることができることは、 
          とても有り難いことです。  
           
       ITの発達は、世の中を変えていきますね。


  有り難く・・・
     今日も、
     神戸のお仲間と東京旅行中の私とで、
     オンラインクラスです。
     隣にいるような
     鮮やかな音で聞こえてくる仲間たちの声を聞きながら、
     素敵な仲間のお顔を拝見しながら、
     嬉しくクラスが進みました。
 
     仲間と共に、
     全聖書を通して語られる『神の言葉』を、
     正しく読み取ることができるように、励ましあいました。


   今日の通読範囲は、『ルカによる福音書 13章22節~19章27節』です。
   
        私が考える、今日の『メインテーマ』は
          『放蕩息子』の『親子』です。

      愛であられる御父・神様回心を必要とする人間、
         両者の姿が宣べられています。

  ※御父なる神は、
   ※愛深い御方で、無条件で私たちすべての者を愛してくださる御方です。
       『神は愛である』 ヨハネの手紙Ⅰ 4章16節
   ※すべての人の自由を、大切にし、認めてくださる御方です。
   神が与えた自由を謳歌して、色々の選択を重ねながら人生を送る人間が、
   ※その人生の中で犯す数々の罪を認めて、本当の回心をすることを、
         待ち続けていてくださる御方です。
   ※回心した人が、御父・神のもとへ帰ることを、
         願い続けてくださる御方です。

  
    『放蕩息子の帰還』            レンブラント作品

        『まだ遠く離れていたのに、
      父は(自分のもとに帰ってくる)息子を見つけて哀れに思い、
        走り寄って首を抱き、口づけを浴びせた。』
              ルカによる福音書15章20節

一方・・・

   人間は、
   すべての人が、その帰りを待っていてくださる御父のもとに帰るために、
        回心が必要な『罪ある者』なのです。
   その人間の生き方には、2種類(兄と弟)があるのです。
   2種類の人間・兄も弟も、
   御父の本当の気持ち・愛を知らないままに過ごしていることが多いのです。


   ある時・・・
   弟は、自分が望むままに過ごし、又 飢饉も続き、
        食べ物も他のすべてを失います。
     
         『放蕩息子』 ヒエロニムス・ボス作 

       弟は、衣食住のすべてを失い、
       その地獄のような『苦しみ』の中で、
       父のいつも変わらぬ『深い愛』に気づき、思い出し、
          決心するのです。
      
      『放蕩息子』    アルベール・アンカー作品

      『さあ、出かけて、父のもとに行こう。
         こう言おう。』   
    『お父さん、私は天に対しても、あなたに対しても、
         罪を犯しました。
     もう、あなたの子と呼ばれる資格はありません。
     どうか、あなたの雇人の一人にしてください。』
          ルカによる福音書 15節18-20節 
    
     弟は、回心して、父のもとに『救い』があると信じて、
         御父の元へ帰るのです。
      
       『放蕩息子』  ポンぺオ・バトーニ作  

  一方、

   そんな時・・・
   兄は、弟が放蕩三昧の日々を送っている間も、
     父のもとで働いていました。
   そして、
   放蕩息子の弟が、帰って来た時に、
    父に受け入れられるのを、許せませんでした。      
    
  
    『放蕩息子』  弟を見下すように見つめる兄です。     作者不明。

   弟を迎え入れられない兄は、父に文句を言うのです。
      『私はずっとお父さんに仕え、
       一度も、言いつけに背いたことはありません。
       ところが、私が友人と開く宴会のために、
       弟と同じようには、子やぎ一頭も下さいませんでした。』
          ルカによる福音書 15章25-32節
  
      
  ルカは、
  父親の心を知らなかった『二人の息子』のたとえ話で、
  神様が、どれほどにすべての人間を愛し、
  又、人間の『回心』、『改心』を喜ばれる御方であるかを、                  
             書いたのです。


     のような、
     自分がどれほどに弱く、もろいものであるかを知って、
     『私は罪びとです。もう、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』
       ・・・と、改心する弟のような人は、神の喜びとなるのです。
     一方、
     兄のような、
     『自分は正しいものだから、回心は必要ない。』
       ・・・と、神の救いを求めず、改心が必要ないと考える、
          兄のような人は、
          神の喜びとはならないのです。


     神様は、
     弱い人、自分の弱さを認める人を、助けてくださいます。
    
    『放蕩息子』               ポンぺオ・バトーニ作  

        又、すべての人を愛されます。
    

  私たちも、
  自分の過ちを認めると同時に、
  ありのままですべての人を愛される神様を信じましょう。
 
  『放蕩息子』       聖ヨハネ大聖堂のステンドグラス 

  そして、神は愛である方であられることを認め、
  神様を喜ばせることができますように、回心をいたしましょう。
           祈りましょう。


   今日も、心に響く、『ルカによる福音書』を読んで、
   仲間の皆様と、『神を知る喜び』を分かち合うことができました。
            感謝!感謝!


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様の週末が穏やかでありますように。お祈り申し上げます。
私は、金曜日の聖書勉強会が終わって・・・
残り一日、週末の土曜日、故郷の最後の旅を思いっきり楽しく過ごします。お元気で!

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