7月4日。木曜日。
雨の途切れ目・・・ 『アジサイ』
満開に、最後の花を咲かす我が家のあじさい。
毎木曜日は、『聖書通読会・聖書100週間』
今日の範囲は、『ヨハネ黙示録 12章~22章』
『玉座に座るイエス・キリスト』
ビザンチンのモザイク
『玉座に座っておられる方が、
「見よ、わたしは万物を新しくする」
と言われた。』
『イエス・キリストの黙示』
『この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、
神がその僕たちに示すためキリストにお与えになり、
そして、キリストがその天使を送って僕ヨハネにお伝えになったものである。』
黙示録 1章1節
今日、ヨハネが天使に伝えられ、見たものは・・・
『新しい天と新しい地』
『わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。
更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、天から下って来るのを見た。
そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。
「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人とともに住み。人は神の民となる。
神は自ら人と共にいて、その神となり、彼ら涙をことごとくぬぐい取ってくださる。
もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。
最初のものは過ぎ去ったからである。」
すると、御座に着いておられる方が言われた。
「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」
黙示録 21章1-4節
そこには、
救いの歴史の結論、救いの完成、を指し示す、全く『新しい世界』の始まりがあるのです。
輝かしい永遠の『御国』で、その中心に、『神と小羊との御座』があるのです。
そこで、人は神の聖が回復され、神との透明な交わりをもって、神とともに住むのです。
そこで、おいて神の民は、永遠に神に仕え、神の御顔を仰ぎ見るのです。
『玉座のイエス』の言葉が続きます。
『また、わたしに言われた。
「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。
初めであり、終わりである。
渇いている者には、命の水の泉から、価なしに飲ませよう。
勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐ。」』
イエス様は、ご自身を、『アルファであり、オメガ』 と明かされました。
以前に。
神様は、ご自身を、『わたしはある』 という者である、と明かされました。
『神』は、『初めから、終わりまで、わたしはある』 という方である。
ということですね。
私は考えました。
『初めから、終わりまで、わたしはある』 方は、
『愛』として、永遠の初めから終わりまで、存在してくださる方なのです。
『神は愛です。』ヨハネの手紙Ⅰ 4章8節
『愛』は、
そのままでは存在せず、
自らが働きかけ、誰かを愛して、行動して、初めて、『愛』となるのです。
『ある』ためには、
自らが働きかけ、行動して、初めて、『ある』となるのではないでしょうか?
『愛』も 『ある』も、行動です。働きかけです。
ということは。
『神様』は、永遠の初めから終わりまで、自らが働きかけ、行動する御方。
人間を愛さずにはいられない、『愛』であり、『ある』方なのです。
以上。今日の私の発表の一部でした。お粗末様でした
そして。
今日は7月4日。年間第十三木曜日。
神はアブラハムを試されます。
『今日の第一朗読 神とアブラハムの契約』
『その日、神はアブラハムを試された。
神が、「アブラハムよ」と呼びかけ、彼が、「はい」と答えると、神は命じられた。
「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。
わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」
次の朝早く、
アブラハムはろばに鞍を置き、献げ物に用いる薪を割り、
二人の若者と息子イサクを連れ、神の命じられた所に向かって行った。
三日目になって、アブラハムが目を凝らすと、遠くにその場所が見えた。
神が命じられた場所に着くと、
アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。
そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。
そのとき、天から主の御使いが言った。
「その子に手を下すな。何もしてはならない。
あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。
あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」
更に、御使いは言った。
「わたしは自らにかけて誓う、と主は言われる。
あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、
あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。
地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。
あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」』
創世記 22章1-19節
アブラハムは、神を『信じ』て、それが彼の義とされました。
『信じる』とは、『心と魂を尽くして、神を愛する』 ことです。
『信仰』は、『行動』なのです。
神は、”アブラハム!”と呼びかけて、アブラハムの『信仰』を試されたのです。
『わが一人子・イサク』は、神からの預かりもの、アブラハムに属する最も大切なものです。
『神』は、すべてを超えて、第一に大切にするべき、霊に属するものです。
神は、アブラハムに問うのです。 アブラハムを試めされるのです。
”神を本当に愛するなら、
己に属する最も大切なものを犠牲にして捧げなくてよいのか?”
アブラハムは、神からの『命令』 から、逃げることなく、
三日間の沈黙の旅の間に、葛藤し、自答したのです。
その結果。
自分の一番大切なものを、葛藤の果て、放棄した時に、
アブラハムは、『愛である神』 に本当に出会ったのです。
自分を放棄できる者が、
神との最も親しい愛の交わり、神との内面の交わりを、経験するのです。
神は、アブラハムを試し、アブラハムの『信仰』 を確信できました。
アブラハムは、息子を返して頂き、神の『愛』 を確信できました。
その結果。
神はアブラハムと、『契約』 を結びました。
『あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。
地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。』
アブラハムは、生涯信仰を守り、『信仰の大祖』 となりました。
『愛する』とは、自ら動き、他者を愛し、行動することです。
『信仰』とは、自ら動き、自己を放棄し、神を愛し、行動することです。
私たちも、
”愛している” なんて、心と心でわかるでしょ? では、愛は通じません。
”愛しているよ!” と、言葉で、愛ある行動で、やっと、愛は愛となるのです。
愛は行動です。
以上。『今日の第一朗読』から私が考えたことでした。お粗末様でした
『今日の拝領唱』
『神よ、わたしの内に清い心を創造し、
新しい確かな霊を授け、わたしを強めててください。』
詩編 51章12節
皆様!
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