マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

結婚の秘儀

2012-10-17 08:32:46 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
『イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。

母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。
夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。

このように考えていると、主の天使が現れて言った。
「ダビデの子ヨセフ、恐れずに妻マリアを迎え入れなさい。」
   
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を向かえいれた。』
           マタイ福音書 1章18&19&24節


      今日は、『聖書研究講座』、初日。
 大学院聴講生クラス・・今期は休講。代わりに 『聖書研究講座』・・今期の受講。 となりました。



      今日は、マタイ福音書1章18節~25節。 8節のみ。
       『イエス・キリストの誕生の次第』。 のみ。



マリア:
理解不可能な、聖霊に因る妊娠、の『事実』が我が身に起こる。  いかなることじゃ どうすればいい
妊娠の『事実』は、自分にしか分からず、人に説明は絶対に不可能
しかも
妊娠の『事実』は、当時の律法では、結婚前の妊娠や不倫は、姦通罪。 死刑である。  
妊娠の『事実』は、外目には死刑に値する事実であり、誰にも相談も出来る事ではなかった。 どうしよう  戸惑うマリア。
そして
妊娠の『真意』は、マリア自身にも分からず、人が経験したことでもない事であり、マリアは妊娠の『真意』を思いめぐらすのみであった。

一方・・・

ヨセフ:
マリアの結婚前の妊娠の『事実』は、当時の律法では姦通罪で、死刑が、『世の正しさ』である。 悩むヨセフ! どうしよう
であれば
死刑を望まぬヨゼフは、マリアを死刑から救う方法、 を考えるしかなかろう!!!
思いついた方法
『夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。』マタイ福音書1章19節

『正しい人』
英語聖書では、『A Just man』。 リーダーズ英和辞典では、『神の前に正しい人、義にかなった人。』


『正しい人ヨセフ』は
神への忠実=律法の厳守 が頭から離れない  どうすればいい  考え迷うヨセフ
”愛するマリアを失いたくない!” と  ”神の律法を守らねばならない!”。 二つの考えの狭間で・・・迷い苦しむヨセフ
 

『正しい人ヨセフ』
神への忠実=律法の厳守を捨てる決意をする  ヨセフのマリアへの『愛』は、『律法』に勝った!



今風に考えれば・・

『愛は決して滅びない。
預言は廃れ、知識は廃れよう。私たちの知識は一部分、預言も一部分だから。
    ・・・・・・・・・・・・
信仰と、希望と、愛、この三つはいつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。』
                コリントの信徒へも手紙 13章 8~13節


ヨセフの選択は
   『律法への決別』 = 『旧約への決別』  でした。
キリストも言います
『わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。』
                    マタイ福音書 5章17節

『正しい人ヨセフ』
『律法への決別』 = 『旧約への決別』を決心したヨセフは、『旧約の律法に限界を見いだしたイエスの前表』、といえるのかもしれません。


     そしてもう一つ


ヨセフの選択は
『ヨセフの決意』 = 『アブラハムの子ダビデの子、イエスキリストの系図の継続』 = 『旧約の実現と継続』 でもあります。


『正しい人ヨセフ』は
マリアの結婚について考えに考え・・迷いに迷って・・。 最終的に、『脱自』に成功します。
① 律法の厳守=マリアの死刑=旧約への忠実 と 『世間の正しさ』への決別。 捨てる。『愛』の拡大化。
② 自分の思いを捨てて、神の言葉=『恐れずに妻マリアを迎え入れなさい。』を受け入れます。 受諾。
  『自己放棄』と『神の受諾』 で、 『脱自』を果たしたヨセフです。


その結果
アブラハムから40台目のヤコブに続き・・・

『ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。 このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。』
                    マタイ福音書 1章16説

『ヨセフのマリアとの結婚の承諾』が、 
旧約の父祖・アブラハムの子孫・『キリストの誕生』を招き、『旧約の継続』、へとつながったというわけです。
アブラハムから42代目:キリストの誕生の日を迎えました


キリストの誕生は
   『預言の完成』 = 『旧約の継続』 でもあります。 めでたし!めでたし!


今日の勉強:
『ヨセフの承諾』 は、『旧約への決別』  と  『旧約の継続』、を招きました。
そして
『結婚の秘儀』は、ヨセフのように、『伴侶の不解部分を、理解出来ないままにも、全面的に受け入れる』 という事のようです!  出来ますかしら?


以上。
  前半の『旧約への決別』は 私の考え。 後半の『旧約の継続』は 講師の教えと私の共感でした。  お粗末さまでございました


追記)
我が息子の洗礼名前は、『ヨセフ』。
聖者ヨセフのように、思慮深く優しく愛深い人であって欲しいという、親の期待を背負わされた息子です!
期待に添った息子でございます。  親馬鹿でした。 余計なことでした。 お恥ずかしい!






一人旅・・・『新東京駅』

2012-10-14 10:00:00 | 旅行。海外旅行。
自称・・『東京人』
故郷・東京は、思うだけで 胸キュンとする。 どなた様も、故郷を同じでしょう。


その東京の玄関口。 東京駅が新装OpenしたとNewsが流れます。
そして
東京駅ホテルのバー。 長年の姿のままの再現。そして 往年の紳士のバーテンさんも、何回も、NHKのニュースに 映像と共に流れます。

”行かねば!!” と。 日帰り、東京一人旅。 楽しんできました。


朝到着:
”長い1日になりそう!"  『STARBUCKS Coffee』 でスタート。

   元気とやる気が出てきました!
帰りに・・『ワンモアカップ券・100円』 をくれました。 今日中に。どの店舗でも。OK! ラッキー!
  

東京に来たからには・・

なにはともあれ・・ 『親の墓参り』 連山が、雄大に美しく見えて、癒されます  
 
人っ子一人いない!  日曜日の午後。 静かです。
広い!  東京都の分譲墓地。人工の数だけ墓がある?  そんなわけないか!!
1時間!  静けさと景色の良さで・・・墓の父母と、3人で、楽しくおしゃべり 


さすがの東京ファッション  

紅葉柄の羽織・・そのままに着ておられました。  素敵!
   中央線の中。 思わず  ごめんなさい

午後4時:
東京駅に戻ってきまして・・東京駅あたりを、ひたすら
東京駅の昼間の姿の見える、丸の内ビル前のCafeで、早い夕食。 店内の人たち。道行く人たち。 『森羅万象これ皆我が師なり!』 宮本武蔵でしたっけ?


   『2012年10月 東京駅丸の内駅舎 保存復興完成』

模型が、東京駅ホテルに設置。

   ご案内いたします。
 ご一緒に、日本のへそ・新東京駅、 お楽しみ下さい。


まずは

    『東京駅丸の内北口』

   ドームのように高くそびえる天井の部分 

駅構内に入ると・・・『高くそびえる天井のドーム部分の内部』  です。



 美しいドーム部分を・・拡大していくと・・・・・。  こんな風に。  彫刻が貼り付けられています。
  
  東京駅の設計はどなた?  そして  大正3年(1914年)創業。  不勉強です


  ドームに続く・・・  『時計台』

夜の景色が美しいとのことで・・・夜までねばりました。  昼も夜も 美しい


そして

 時計台に続き・・・  『皇室方の乗車口』    そして   その隣は   『駅長室』 との看板と入り口でした
    


私の今日の目的の一つは、『Tokyo Station Hotel』 訪問でもあります。


看板:『The Tokyo Station Hotel』   と  右部分はホテルです。  東京駅のシンボルでもあります。  『ホテル入り口』
  
東京ステーションホテルは、東京駅開業の翌年、大正4年(1915年)に、丸の内側の駅舎の建物の中に、誕生。97年の歴史。

入り口をを入って・・・


「いらっしゃいませ!」
「新築おめでとうございます!」 「ホテルの見学と、『Barオーク』に寄せてもらいに 参りました。よろしく!」 てね


客を迎える『ホテルの花』  それぞれのホテルらしく。  大好きです
  
     マホガ材で総ガラス張りのエレベーター。  写真を撮る私が写ります!


お待たせしました・・・

2階の隅に…隠れ家のように…ひっそりとたたずむ
       『OAK』のdoor

イケメンお兄様が…「いらっしゃいませ!」 とドアをエスコート!

   『営業時間 Open  17:00~24:00』
   小さな看板が ドアの前にあるだけ
  

中に入ると・・・


薄暗く。 落ち着いた。 こじんまりと。 『Bar』  好みです。  Myバーの一つになりそう

男性と女性バーテンダーさん。各一人。 接客もカクテルシェイクも水割り作りも。  お上手です  
お会いしたかった、長年勤務の初老のバーテンダー、杉本寿さん(71歳)。 今日はお休み。 ちょいがっかり。
フロアーの案内の男性が、もうお一人。 私のドアをエスコートしてくれた方。

 
カウンター10席。 ソファー席が3組。 不確かですが・・。  私はカウンター席の中心よりちょい右部分席に!


   『メニュー』 もOAK材でした。  素敵です!

私の大好きな、タリスカリーウイスキー18年物   2200円
グレンモーレンジ シグネットウイスキー  3000円   試してみたかったが・・・

女一人。  似合うのは、なんてったって、やはり…カクテルですよね


迷いなく   『The Tokyo Station』   『東京駅』   1100円

お会いしたかったバーテンダー杉本さんの創作カクテル。  東京駅の赤煉瓦色。 おいしい
Tanquerayジンベース。 Suge(リンドウの根)リキュール。 グレナデン(ざくろ)シロップ。 ライムジュース。 ちょい甘


若くて可愛い女バーテンさんが、私の注文をシェイ!クシェイク!」   至福の時間が流れます

あと1杯!  ”東京駅ホテルに泊まちゃおうかな??”  予約が先までいっぱいとか。 いつの日かの楽しみです。


最後の〆は

今朝の、スタバック『ワンモアカップ券・100円』。  


  新八重洲ビル地階店。  『スタバックCoffee』 100円。 可愛ぃ『スタバックCoffeeロゴ』

『スタバックス』は、海にご縁が多い名前です。


スターバックスの社名の由来:
創業者メンバーのゴードン・バウカーは、
ハーマン・メルビル著の小説:「白鯨」に出てくる捕鯨船の名前、「ピークォッド」(Pequod)、にしようと考えました。

 さらに議論する中で・・

シアトルのある、アメリカ北西部にかかわる名前、を探していたところ、
レーニア山に、「スターボ」(Starbo)という採掘場が、20世紀初めにあったことを 見つけました。
レーニア山は、シアトルの南西80キロほどのところにある4392メートルの山。 国立公園にもなっています。タコマ富士と呼ばれたりもする。
 

創業者メンバーのジェリー・ボールドウィンが、
「白鯨」に出てくる捕鯨船「ピークォッド」の一等航海士が、コーヒー好きで、しかも「スターバック」(Starbuck)という名前であることに 気づきました。
それで、「スターボ」ではなく、「スターバックス」が、社名になったのです。


『スタバックス 1号店』外と中。 シアトル。 シアトルは、世界有数の、住んで見たい場所。 でも・・1年の1/3以上は、雪に覆われ、外に出れない。とか?

シアトルは、当然に…読書の量が多い地方としても有名。 読書をしながらコーヒーを!  
  で…スタバック1号店! 1971年(昭和46年)誕生。 41年の歴史。 
シアトルは、夏登山でも有名でもあります。 レーニア山は美しかったです 4年前の夏に訪問。 
コーヒーも登山も読書も。 大好き!  シアトルも大好きです


スターバックスのロゴの由来:
女性は 『サイレン』
ギリシャ神話の、二つの尾をもつ人魚です。 美しい歌声で、船乗りを惑わせたとされています。


  今日も楽しい一日。
東京駅ホテルの97年の歴史。スタバックスの41年の歴史。長い歴史の一コマの一日でした。 満足!満足! 
  でもここまで。
新東京駅見物。 お楽しみいただけましたでしょうか? お粗末さまでした



皆さま!
ご訪問に感謝申し上げます。 秋の夜長に、もう一度『白鯨』を、読み返してみませんか!




  








伊根湾 と 舟屋

2012-10-10 16:00:00 | 旅行。海外旅行。
私は山女。 山ガール。  
でも 
私は、中学時代は水泳クラブで勉強そっちのけで泳いでばかりいた、海女でもあるんです。

  旅の二日目。
海の好きな私は、日本海の景色が大好き。 で・・夫を誘った。


  今日は、『伊根湾廻り』 と 『舟屋の里散策』
     ご一緒にお楽しみ下さい

まずは

乗船切符の購入です。   『伊根湾めぐり』

             お一人様  660円


30分毎に出発   『かもめ10号』

       これではなくて・・・


  大型観光船で  出港です。  

内海の美しさに言葉を失います。          美しい

勿論の・・・。   デッキに出て・・船の最前先に陣取りました!  タイタニック気分


かもめが・・・。 船と一緒に進みます     獲物を見つけて急降下!!  


大好きな美しい景色、 『伊根の舟屋』  が近づきます!

海に浮かぶように・・。  陸にはりつくように・・。
舟屋は2000年現在、238棟が確認されている。 そうです。


もっと近づくと・・・

舟屋の始まりは・・・船の家(駐船場)だけの役割で、船の持ち主の住居は 別所にあったそうです。
そのずっと後・・・駐船場と漁業道具置場が海に面した1階。 2階を増設して住居になったそうです。


   遊覧船で見える舟屋は ここまで。
『伊根湾めぐり』で、伊根湾の美しさを堪能して・・下船です。


   ここまででも大好きです。 
でも・・更なる大好きがあるんです  『舟屋の里』  散策です


昔からのままの、『舟屋の里』 の町並。  こんな町並みが大好き!  住んでみたい

じいさんも散策を楽しんでいました。     素敵でしょ
左側の家々が・・・海に面した家。 『舟屋』なんです!



   町並みを歩いていると


「見ていきますか?」 と 一軒の奥様。
「ハイ。よろしくお願いいたします。」


自宅の海に面する側に 案内してくれました。


「1階の『駐船場』のあたりから・・新たに、『船着場』を、設置した。」   そうです。

「時代と共に船がどんどん大きくなって・・『駐船場』に船が 入りきらなくなってね。」
「家の外、『駐船場』の外に、海に、船を置くようになってきたんですよ。」


確かに・・・

どこのお宅も  自宅の前に、大きくてすばらしい船を つないでいました。

時代と共に・・住み方も景色も変わります。  そおですよね。  納得!ガッテン!

それでも

こんな 素朴な住まいと住み方に、強く、惹かれます


「お陰さまで、舟屋のお宅を 見せていただきました。 感謝します!」



「では・・最後に、家の中に入ってみられます?」 お誘い下さった!


『舟屋』 の 『駐船場』からの景色。  こんな風でした

感激と感謝でいっぱい


  今回の旅も
色々の方々との出会いがあって、忘れられない楽しい旅になりました。  感謝!感謝!
  

   まだまだ・・・出会いが続きます

今日も・・

旅の楽しみの一つは・・食事です。 旅先で味わう、地場食材 と 地酒。 


   旅の二日日:

今日の地酒は  
『向井酒造』 

昨日は、イギリス人の杜氏さんとの出会い。  今日は、女性杜氏さんとの出会いです!   

『杜氏・久仁子さん』:「伝統と味を大切に 造っています」  自作の酒々    
  


杜氏さんとご主人様とじいさんと私。 話が盛り上がりました


『京の春』 
  特別純米原酒 と 特別純米酒  

阿波山田錦米100% 精米歩合60%   
 豊かな旨味と香り。最高!


「皇太子様が見えて・・大吟醸をお買い上げいただきました。」
 私は・・大吟醸より純米吟醸  より濃厚です!

ご主人様:「我が家の特別席にご案内します」 って

ゆ~~らり! ゆ~~らり!  海に浮かぶ・・『特別指定席酒場』  
                  素敵!  酔う!酔う!

「先日は、特別席で、間 寛平さんたちと 飲んだんですよ!」 ですって。

 「必ず、又、家族と一緒に伺います!」 と約束して

     旅は出会い!  楽しい!!


再び
『舟屋の里』散策。  酔って・・いい気分で・・歩く!歩く!

  
丹後ちりめんで繁栄を謳歌した、豪商達も多かった町です。

家 と 白色の土蔵。  共に並びます。 
 

土蔵にはめ込まれた 『家紋』  めでたい・・『鶴亀』 や 「宝』  繁栄を物語ります。



そして 今日の地場食材の食事。

舟屋の里の端にある  『油屋』  今朝、伊根湾で捕れた魚が メニューです。
  
私は、二度目。 じいさんを連れてきたかった!


じいさん:   『海鮮丼』   1700円      私:   『青島定食』   2100円   最高!
  
厚切りの刺身。  なんとも美味


旅の二日目終了!     


皆さま!
ご訪問 そして お付き合いに 深く感謝致します!  旅は出会い? あなた様とも出会えますかしら!


*************

記録 
今日・13日のラン距離・14km

今日も
走る!走る!


神戸市民マラソンまで、『43日』  
 10月走行距離合計:70km



天空の城・・『武田城』

2012-10-10 14:00:00 | 旅行。海外旅行。
ご覧下さい! すごいでしょ?

 天空の城          『竹田城』

雲海(朝霧)の上にそびえ立つ姿は まさに 『天空の城』  異名通りです。    ネットより拝借


虎が臥せているように見えることから、別名 『虎臥城』 (とらふすじょう、こがじょう)。
また
城下から遥か高く見上げる山の頂に位置し、雲海に浮かび上がる古城の累々たる石垣群の威容は、 『日本のマチュピチュ』とも呼ばれる。
  標高は353.7m。マチュピチュは標高2400m。 比べものにはならないが・・。 国の指定史跡。日本百名城の1つ。


今回の旅行:
じいさん・・・『竹田城』 見物を 強く希望。 
ネットの写真のようにはいきませんでしたが・・。 空の上の城の姿は、感激でした。

私たちの旅行:
事前勉強を入念に  事後復習勉強も怠りません


勉強その一
 年 表

1431年 (永享3年) 山名持豊(宗全)が築城開始 。 581年前。
1443年 (嘉吉3年) 完成。太田垣光景が城主になる。 築城完成に12年を要した。

  
  その後。 134年間。 繁栄の時期があり・・。 

1577年 (天正5年) 秀吉の但馬攻めにて、豊臣方に落ちる。
1578年 (天正6年) 秀吉は、秀長を城代に入れる。

 
  その後。 8年間。 秀吉の時期があり・・。
 
1585年 (天正13年) 最後の城主である 赤松広秀 が入封。

赤松広秀は
関ヶ原の戦いでは西軍に属し、田辺城(舞鶴城)を攻めるも、西軍は敗戦。
徳川方の亀井茲矩の誘いで鳥取城攻めに加わって落城させるが、城下の大火の責めを負い、家康の命によって、慶長5年10月28日(1600年12月3日)鳥取真教寺にて切腹。享年39。

1600年 (慶長5年) 竹田城は廃城となった。 157年の城の歴史に幕を引いた。  412年前。 

  歴史は面白い。 歴史に、多くを学びます。



勉強その二
 城の魅力

☆山陰道と播但道の接点にある『和田山』は、古くからの交通の要所。
その両街道の接点近くにある古城山に竹田城は築かれており、いくの銀山も近くにあり、昔から他国との交流が多かった。。

☆城の魅力は、山頂の地形のままに総石垣で構築された、圧倒的な姿。
城跡を覆う樹木が少ないせいで、山麓からでも、その圧倒的な石垣を望める。

☆その縄張りは、全体的にはシンプルで、本丸を中心に北と南に延びる郭と背後の花屋敷から成る。
飛翔する鳥のような縄張りです。

☆城のおもしろいところは、曲輪内の通路が地形の高低差で、複雑なこと。
狭い箇所で、幾重にも折れ曲がる石塁の変化 が楽しめました。

☆竹田城は 山上にあって、視界を遮る樹木が少ない。
樹木の少ない恩恵で 全縄張りが一目で見渡せることです。
したがって 最高所の天守台に立つと 180度パノラマの景色が拡がります。まさしく天空に向かって立つ思いです。


     登城です 


勉強その三
    城の縄張り図                      ネットで拝借

今日の、私たちの見学コース:
大手口→ 北千畳→ 三の丸→ 二の丸→ 花屋敷→ 本丸→ 天守台→ 南二の丸→ 南千畳
      

もの好きな私たち夫婦。 というか・・もの好きな私。

城下町から 城の登山?口(駐車場)まで、 徒歩だと、 40分ほども掛かる。
その道を、車では行かずに・・・歩いた。 じいさんにも歩きを強要?した。

わけの分かったような、わけ分からんような、理由をつけて・・・歩いた  当然です! 
「昔は、殿様以外の部下や民は、重い食品や物を背負いながら、歩いたはず! 苦しかったはず!」
「その道を、手ぶらで履き心地の良いスニーカーをはく私が、 自動車で上がることでは、昔の人の苦労が分からんでしょ!! 申し訳ない!」 てな理由。


歩いて・・歩いて・・。
やっと

到着。   『大手口』

今回の旅は、三脚を担いで・・・。
写真タイマーをSETして、間に合うように走る! Ttwoショット! セーフ と。 楽しい!


大好きな城跡に立つじいさん。 『大手口枡形内』



『三の丸』

垂直に切り立った城壁。  『三の丸』先端・・真下に、遠くに、町並みが見えます。

じいさん:
「どうやって、下から上まで垂直に、石を積み上げたのだろう?」 と。
   ひたすら、城作りの技術に、感心する。  技術に感心がある。


『三の丸 から 二の丸への道』

山の形に合わせて・・道が細くなっていく!  それには驚きます!

ばあさん:
「どうやって、城主は民の心を一つにして、城作りの気持ちにまとめたのだろう?」
 ひたすら、城主のカリスマ的才能・指導力に、感心します。  人の心に感心がある。


『二の丸 から 本丸への道』

☆城のおもしろいところは、曲輪内の通路が地形の高低差で、複雑なこと。
狭い箇所で、幾重にも折れ曲がる石塁の変化 が楽しめる。


『平殿』

ただただ・・どなたも、その高さに感心します!


『本丸』  本丸先端は天守台で・・城の一番高い部分。

「殿!・・・」 『奥よ!・・・」な~んて。 一時の城主気持を味わいたくなります!


『天守台から  南千畳を望む』

真下に・・。城下町を望みます。山にはさまれた城下町は、どこまでも続く。
 当時の繁栄振りが、想像出来ます!


本丸石垣を右手に   『竹田城全貌』

じいさん。「一日天下でござる!」  分かったような分からないような

「すごかったね!」  「昔の人も今の人も・・人は偉大ですよね!」
   往年の人々を思い、大満足でした!

そして・・

旅の楽しみの一つは・・食事です。 旅先で味わう、地場食材 と 地酒。 


   旅の初日:

今宵の地酒は  
『玉川酒造』  『玉川純米吟醸 雄町』 豊かな旨味と香り。最高! 
  
今宵の地場食材は  
 あおりいかの刺身。 えてかれいの煮付け。 キスのから揚げ。


勉強その四
   『玉川純米吟醸 雄町』


原料米:雄町(岡山県)100%  精米歩合: 60%

「幻の酒米」と言われる『雄町米』は、岡山県で江戸時代に生まれた 歴史ある酒造好適米。酒米界の大御所。
豊かな旨味と、花よりは草やハーブを思わせる香りで、存在感のある食中酒。
料理との相性は幅広く、特に山菜、筍、菜の花など、アクや苦味のある食材に合わせると美味しい。 とのこと。

杜氏:フィリップ・ハーパーさん。 イギリスから日本に来て、日本酒に魅了されて、日本に留まることを決意。 更に、日本酒好きが高じて、 杜氏になちゃいました! そうです。

      人生何が起こるか分からない!!
想定外のことが起こる。 だから・・人生は面白い! うれしい! 降りかかることに、フィリップ・ハーパーさんのように、柔軟でいたいものです!

杜氏:フィリップ・ハーパーさんに
拍手を贈ります!。 そして 感謝します! フィリップ・ハーパーさんを知って・・旅が、より一層有意義になりました!
昨日のブログに書いた、私の好きな、『村上春樹の言葉』 も贈ります。

『しかし結局のところ何が良かったなんて誰に分かるというのですか?
だからあなたは誰にも遠慮なんかしないで、幸せになれると思ったらその機会をつかまえて幸せになりなさい。
私は経験的に思うのだけど、そういう機会は人生に二回か三回しかないし、それを逃すと一生悔やみますよ。』
                『ノルウェイの森』下  216ページ

ホテル食堂のマネージャーさんと、酒とフィリップ・ハーパーさんの話で、意気投合
マネージャーさんは、『玉川酒造』 を訪問済。私たちも、いつの日か! 必ず! きっと! 楽しみです!


〆は
 小浜特産・へしこ。   『へしこ茶漬け』   と    『へしこのおにぎり』
  
   どっちも  おいしい! 最高!  


旅の一日目終了!    


皆さま!
ご訪問 そして お付き合いに 深く感謝致します!  旅はお好きですか? あなた様の旅行秘話もお聞かせ下さい!





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記録 
今日・12日のラン距離・14km

旅では、ひたすら歩く!歩く! 家では、走る!走る!


神戸市民マラソンまで、『44日』  
 10月走行距離合計:56km








ノルウェイの森・・その二

2012-10-10 12:00:00 | 旅行。海外旅行。
好きな村上春樹文学・『ノルウェイの森』を理解する旅  =映画・『ノルウェイの森』撮影現場に立つ= 
&  
大好きな村上春樹さん応援の旅  =村上春樹ノーベル文学賞受賞祈願の旅=  に行ってきました。


   村上春樹さんの『ノルウェイの森』にこめた真意が、どこにあるのか?

『真意』を探るために

『ノルウェイの森』・トラン・アン・ユン監督の映画を 観ました。
トラン・アン・ユンさんの言葉:  
「村上さんの文学作品がとても高いクオリティであることを再確認しました。
アーティストは作品のクオリティが一番に問われる職業なので、どんなに立派な構想や斬新なアイデアがあっても、それを完成させなければ何の意味もないんです。」 と。
                       (ネットより拝借


トラン・アン・ユン映画監督にインタビューする、『CINRA.NET』 の記事を 読みました。

CINRA.NET さんの言葉:
「『究極の恋愛小説』 とも呼ばれる、村上春樹の『ノルウェイの森』。
自殺した親友の彼女・直子と、大学の同級生・緑との間で、揺れ動く主人公を描いた青春小説だ。」 と。
                       (ネットより拝借


 私の理解は、まるで違います。 あまりに違います。 それも又良し。グー。 
本の理解は、読む人の数だけ、理解の内容がある。 ということでしょうから。 だから面白い。

ということで・・・

村上春樹さんの『ノルウェイの森』にこめた真意の 、片鱗でも、発見できるかと、
行ってきました。


映画・『ノルウェイの森』撮影現場=ススキの『砥峰高原』 

始まりは、 とのみね自然交流館から見た砥峰高原。 
手前にススキがなびきます。 後ろに見える美しい山も一面のススキの山です


1周3kmのハイキングコース。  Let’s start!  

ススキの草原の全貌を右手に見ながら・・。 約90haに及ぶ。標高800~900m。

主人公の、ワタナベ君と直子。 ともかく歩く! 歩く!
ワタナベ君と直子の追体験をしたいと・・・・
私たち、じいさんと私。 も。 ともかく歩く! 歩く!


ススキに埋まった道を、 映画のように速度を出して、 黙々と。 歩く!歩く!  
   
じいさん ススキに埋まってしまいました。    山中に入ると・・2人の背をはるかに超す高いススキ



「叫びたい!」 と。 知らない女性一人が大声で。
「叫んでくださいよ!」 と。  声をかけた私。
「この世界は私のものよ~。」って。 ですって!!!
分かる。  気持ちのよい大自然の中。にぽつんと一人。  叫びたい!てな気にもなる大平原です。



中間地点: 展望台からの眺め。  ススキの砥峰高原

所々、紅葉したススキの山並みも見えます。  美しい。


全行程の半分を歩いて・・
考えました。

『ノルウェイの森』の理解は、人それぞれ。 

本を読む時に
心に響く場面も、心にヒットする行間も・・・人によって まるで違う。
読む時の心の状態、読む時の年齢によって・・・同じ人でも まるで違う。
ましてや
作者の真意を理解出来る・・・はずがなかろう。  と。 考えた。


高原の唯一の撮影現場説明看板。
  
『撮影秘話』
「この物語のクライマックスシーンには絶対に雪が必要だったにもかかわらず、撮影初日の前日には全く雪のない、茶色い山肌が続くばかりだった。
スタッフ一同が暗い顔をして現場に戻った頃、冷たい雪お越しの風とともに雪が降り始め、翌朝は15cmも積もるという奇蹟が起こった。
撮影本番中も雪は降りやまず、映画でいちばん美しいシーンの一つが天の恵みにより可能となった。」 との説明書き。


時を忘れて歩くという 、今日のススキ野平原散策のような、 作業・・。 大好きです
頭を白紙にし、更に 明確にするのに、とても役立つ。

2時間ほどの散策。  頭も心も体もスッキリのじいさんばあさん


最後に・・   『池とすすき』

池の水面に写る・・ ススキの群れ。続く・・平原。山々。そして空。  美しい


『しかし結局のところ何が良かったなんて誰に分かるというのですか?
だからあなたは誰にも遠慮なんかしないで、幸せになれると思ったらその機会をつかまえて幸せになりなさい。
私は経験的に思うのだけど、そういう機会は人生に二回か三回しかないし、それを逃すと一生悔やみますよ。』
                『ノルウェイの森』下  216ページ




『砥峰高原案内図』   そして   2012年NHK大河ドラマ『平清盛』ポスター  
  
砥峰高原: 映画「ノルウェイの森」ロケ地  であり  大河ドラマ「平清盛」ロケ地。
松山ケンイチ:  両者の主演役者が、同一人物、松山ケンイチさん。  という、偶然が面白い。



皆さま!
ご訪問感謝申し上げます。 本も映画も面白いですよね。 秋の夜長に・・本も映画もお楽しみ下さい!







2012-10-10 03:30:00 | 旅行。海外旅行。
『旅』は
非日常です。 
普段、平生、平常とは、全く違う時間が流れます。 全く違う体験をする。 頭も違う回転を始めます。


日常では買うことはなく、食べることも少ない駄菓子。

旅は非日常。 旅の車中のために、買って そして 食べます
夫と私の自動車歴は、50年弱になる。全くの同年。 
しかし・・・
旅は、どんなに長旅でも、夫のみの運転。決して私に運転させない。"分かる!”の声が聞こえてくる
 

今回は、大自然の神々しい世界と、人間の理解を超える力を、満喫する旅でした。
今回も、私も大自然の一員として生かされていると、そして 人の力は大自然同様に無限であると、知らされ納得して感謝する旅でした。

 
帰ってまいりました。 日常に戻りました。

旅支度の片付けと洗濯から、 日常に戻りました。
旅記録を何から書きましょうか?と ブログの内容を考える、 日常に戻りました。


皆さま!
ご訪問に感謝いたします。 連休をお楽しみになりましたか? 次の非日常を楽しみに・・今日の日常もお楽しみ下さい!




*************

記録 
今日・10日のラン距離・14km

旅支度の片付けと洗濯と、数時間のMyベットでの睡眠を終えて・・
早朝ランニングも日常に戻します。 5時です。 走ってきます!


神戸市民マラソンまで、『46日』  
 10月走行距離合計:42km


 

ノルウェイの森

2012-10-08 04:17:03 | 日々のこと。 世界のこと。
私物の『ノルウェイの森』上下 1987年12月18日  第六版発行

1987年9月10日 第一版発行 


 『ノルウェイの森』 ゴールド色の本の帯
    村上春樹らしい言葉が並ぶ

『ノルウェイの森 上』
「いい尽された言葉より 心に残る この物語を・・・・」
     講談社   定価1,000円

『ノルウェイの森 下』
「静かに、そして烈しく 哀しみの余韻 再び・・・・・」
     講談社   定価1、000円

25年前の本。 私の宝物


 『ノルウェイの森』 あとがき(その一部)
    村上春樹らしい言葉が並ぶ

僕は原則的に小説にあとがきをつけることは好まないが、おそらくこの小説はそれを必要とするだろうと思う。

第二に、・・・
僕という人間が好まれたり好まれなかったりするように、この小説もやはり好まれたり好まれなかったりするだろうと思う。僕としてはこの小説が僕という人間の質を凌駕して存続することを希望するだけである。

第三にこの小説は南ヨーロッパで書かれた。
一九八六年二月二十一日にギリシャ、ミコノス島のヴィラで書き始められ、一九八七年三月二十七日にローマ郊外のアパートメント・ホテルで完成された。日本を離れてたことがこの小説にどう作用しているのかは僕には判断できない。何か作用しているような木もするし、何も作用していないような気もする。ただ電話も来客もなく仕事に熱中できたkとは大変にありがたかった。
この小説の前半はギリシャで、途中シシリーをはさんで、後半はローまで書かれている。アテネの安ホテルのホテルにはテーブルというものがなくて、僕は毎日おそろしくうるさいタベルナに入って、ウォークマンで『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』のテープを百二十回くらい繰り返して聴きながらこの小説を書き続けた。そういう意味ではこの小説はレノン=マッカートーニのa littele helpを受けている。

第四に、この小説は僕の死んでしまった何人かの友人と、生きつづけている何人かの友人に捧げられる。


私は
ブログにも何回も書くように、村上春樹が大好き。 でも、難しい。
私は
先日のブログにも書いたように、色々の方の、その生き方と考え方を学び、私の『師』としてきました。
村上春樹の、『My師』としての影響は、多大なものがあります。 生き方。好み。 そして『走り師匠』。 等々。

村上春樹は
数年来、ノーベル文学賞の候補にあがる。  

ノーベル文学賞受賞
今年こそはと、一ファンとして、願って・・
もう一度
 『ノルウェイの森』の森を読み直し。 独特の、私には難しい、文章を味わい直しです
 監督はどう村上春樹文学を表現していたっけか?と。 『ノルウェイの森』DVDを見直し。 
 夫は春樹文学をどう読んでいたのか?と。  DVD鑑賞後・・夫婦で『村上文学討論会』 


そして
じいさんと
『ノルウェイの森』撮影現場・『砥峰高原』にも立とう! 村上文学を理解する糸口が見つかるかも?
       と。相成りまして・・。


三日間の、「村上春樹を理解する&ノーベル賞受賞祈願旅行』に行ってきます
レノン=マッカートーニの 『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』  を聴きながら・・ふっ飛ばしてきます



『ノルウェイの森』のワタナベ君役、村上春樹を髣髴させる、は、大好きなNHK大河ドラマ・『平清盛』の清盛役と同じ、松山ケンイチさん。好き てのも良い





皆さま!
ご訪問に感謝します。 『砥峰高原』の報告をお楽しみに!






系図

2012-10-05 14:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
    『アブラハムの子ダビデの子、イエスキリストの系図』
                    マタイ福音書1章1節

 

『しかし、わたしはイスラエルに七千人を残す。』
           列王記上 19章18節


   今日・5日・金曜日は聖書通読会の日。
     列王記上 12章~22章
   『神の民であるイスラエルの民の系図』




ダビデにより
ユダ王国とイスラエル王国は、初めて、統一王国となり、初代国王ダビデの元に、一つとなります。


『ダビデはユダのすべての人々の心を動かして、一人の心のようにした。』
           サムエル記下 19章15節

その統一国家の喜びと安泰の時代が、ダビデ王の元で、40年間続きました。


『ダビデのしたことは主の御心に適わなかった。』サムエル記下11章26節 
こともありましたが・・
『ダビデの心は、自分の神、主と一つであった。』 列王記15章3節
が故に・・
ダビデの心は安定感に満たされていました。  民の心も、王・ダビデの心の故に、安定していました。


『ダビデの心は、自分の神、主と一つであった。』 
『ダビデは、主の目に適う正しいことを行い、へト人ウリアの一件のほかは、生涯を通じて主のお命じになったすべてのことに背くことはなかった。』
            列王記上15章3&5節


ダビデは、神と心で一つであったように、キリストとも生き方で一つでした。
キリストもダビデも、同様に、言います。
キリストは言います・・・
『わたしが父のうちにおり、父がわたしのうちにおられる。
私があなた方に言う言葉は、自分から話しているのではない。私のうちにおられる父が、その業を行なっているのである。』
          マタイ福音書14章10節
ダビデも言います・・・
『ダビデの心は、自分の神、主と一つであった。』 列王記上15章3節  と。 


それを見た民も言います・・・
『あなたの口にある主の言葉は真実です。』 列王記上17章24節   と。


しかし・・


ダビデの息子・ソロモンは
父・ダビデの築き上げた統一王国を、一代にして、分裂させてしまいます。



『彼の心は、父ダビデの心とは異なり、自分の神、主と一つではなかった。』 列王記上11章4節


民は、王の心の揺れ同様に・・王への心も離れ・・王への忠誠心も薄れていきます。

『彼らは自分たちの先祖をエジプトの地から導き出した神、主を捨て、他の神々に付き従い、これにひれ伏し、仕えたからだ。
それゆえ、主は彼らの上にこのすべての災いをもたらされたのだ。』 列王記上9章9節 


『主はイスラエルを打って水辺に揺れる葦のようにし、
その先祖にお与えになった地からイスラエルを引き抜き、ユーフラテスのかなたに散らされる。
彼らがアシェラ像を造って、主の怒りを招いたからである。』
           列王記上 14章15節


   等々。


王・ソロモンはの、唯一の神、主への背信と偶像崇拝により・・
王の心も安定感を欠き
それ故に・・
民の、ダビデにより一つとなった心は、分裂し不安定になります。 世の乱れを起こします。


  ソロモンの息子・第三代目王・レハブアム
  ソロモンの孫・第四代目王・アビヤム


  次々と
王たちは、神への背信行為を続け・・神の怒りをかいます。
民たちも・王に倣って、神への背信行為を続け・・神の怒りをかいます。
『それゆえ、主は彼らの上にこのすべての災いをもたらされたのだ。』 列王記上9章9節 


  それでも
主は、主の民への愛の故に、再び、いつものように、約束します。

『あなたの父ダビデに、『イスラエルの王座につく者が断たれることはない』と約束したとおり、
わたしはイスラエルを支配するあなたの王座をとこしえに存続させる。』 列王記上9章4節

「主は、ただダビデのゆえにエルサレムにともし火をともし、跡を継ぐ息子を立てて、エルサレムを存続された。』
                      列王記上15章4節


主は、
王や民の背信ゆえの結果として、
イスラエル王国が滅び現実の中にあっても・・
敵国に侵略され、民がばらばらになっても・・
その中から、数人の善人を起して、
『しかし、わたしはイスラエルに七千人を残す。』
           列王記上 19章18節   と。約束されます。





主は、ご自分の約束を、ご自分の人類の救済の計画を、人間の弱さを許しながら、『残りの者』と共に、実現されて行かれるのです。


『僕モーゼによって告げられた主の恵みの御言葉は、一つとしてむなしいものはなかった。」 列王記上8章56節 



振り返れば
以前の昔
主は、イスラエルの初代・ノアに、ノアの箱舟で全世界の滅亡から救った後、約束しました。
 
『わたしは、あなたたちと、そして後に続く子孫と、契約を立てる。』
『二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、
洪水が起こっても地を滅ぼすことも決してない。』 創世記9章9&11節

そして
ソロモンとソロモンに続く王たちの背信で、ソロモンの王国を分裂させた後にも・・

再び約束します。
『しかし、わたしはイスラエルに七千人を残す。』 列王記上 19章18節



   『イエスキリストの系図』

『アブラハムの子ダビデの子、イエスキリストの系図。』

『アブラハムはイサクをもうけ、
・・・・・以来、続く14代で・・・・・
エッサイはダビデ王をもうけた。』  (最初の14代)

そして

『ダビデはウリアの妻によってソロモンをもうけ、
・・・・・以来、続く14代で・・・・・
ヨシアは、バビロンへ移住させられた頃、エコンヤとその兄弟達をもうけた。』 (二回目14代)

そして

『エコンヤはシャルティエルをもうけ、
・・・・・以来、続く14代で・・・・・
マリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。』 (三回目14代)

『こうして、全部合わせると、
アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンの移住まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまで十四代である。』
                   マタイ福音書1章1~17節


    『神の民であるイスラエルの系図』

アブラハムからキリストまで、十四代×3=42代。  
そして
私たちキリスト者も、神の哀れみの『残された者』によって『神の国の系図』に続き、永遠に続く、神の民・『イスラエルの系図』の一員となりました。 


以上。
神の計画の不思議さ。神の御心の不変さ。 私の今日の発表の一部でした。  お粗末さまでした



皆さま!
ご訪問に深く感謝申し上げます。 連休を楽しくお過ごし下さい!



美寿々 純米吟醸

2012-10-05 05:20:00 | 娘と娘家族
娘宅
『飲む会』 第二弾 

  今日は昼間から 『美寿々 純米吟醸 を飲む会』


『飲む会』
今日も、儀式から始まります。
本番に向かう前に・・心も体も、『美寿々 純米吟醸』 に向かう状態作りから。

状態作り: 家から店まで 1時間あるいて・・気持ちを高めます


 ”Le't go !”  パパとママと姉&弟とばあちゃん  ”2/3 歩いたね!”  
  
 

『そば処 種村』 到着。

「そば処 種村の楽しみ方」
 入店後、深呼吸をし桧の香りを身体全体で感じてみて下さい。
 桧の箸を使っています。
 注文したそばが出て来たらまずこだわりの壷焼塩で味わってください。
 そばつゆは、香りつゆからお召し上がり下さい。

まずは
『そばがき』   開田産石臼挽きそば粉

ねぎをごま油で炒めて信州味噌と合わせて・・『練り味噌』  をつけて。
  言葉がない   5人一致で・・「お代わり!!」


いよいよ・・

地酒の開幕    『美寿々 純米吟醸』

大満足の三人  
純米は良い! ワインに似て・・素材そのものの濃厚さが・・おいしい! 好き

酒好き・・娘婿&娘&私、3人勢ぞろい。・・となれば。  進む!進む! 飲む!飲む!

開田高原清流  『岩魚炙り焼』  期間限定9月~11月

『下ごしらえに2時間。 風乾に約1日。 あぶり焼に3時間。
手間暇を惜しまずじっくり仕上げたので頭からしっまで食べれる 昔の保存食です。絶品です。』  説明付。
  最高です  そのおいしさに まいった!まいった!

私の父母の実家は長野県。 佐久市と小諸市。
私の母は、私が高校卒業くらいまで・・自分でそば打ちをした。 100%そば粉の『蕎麦党』で育てられた。
私は、父母の影響で、100%そば粉の『蕎麦党』。 蕎麦粉が大好き。 いわゆる「粉物」に弱い。 メリケン粉に弱い。


上: 『そばの実雑炊(鴨肉入り)』 蕎麦の香りと鴨の香りのコラボ

下: 『そば豆腐』  グー!グー!



姉:「おいしい物を食べに行く時は・・おしゃれをするのよ!」  ごもっともです。気分が盛り上がります
  
弟:「早く次が来ないかな!」 おしゃれより食い気のみ。  まだ幼い?

いよいよ・・

最後に
   開田産十割  『生粉打ちそば』

  色  香り  味  最高!




   日本伝統食材ににカンパ~イ!  日本酒にカンパ~イ!


皆さま!
ご訪問感謝申し上げます。 秋の3連休! 秋を満喫して・・素敵な連休をお過ごし下さい!




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記録 
今日・6日のラン距離・14km

神戸市民マラソンまで
  『49日』  

10月走行距離合計:28km



2012-10-02 12:49:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
『師』
人は、生まれてから死ぬまで、一生、沢山の『師』との出会いで、自分の人生を全うしていく。 のではなかろうか?
言い換えれば
人は、生まれてから死ぬまで、一生、沢山の『師』との出会いが、その人の人生を決める。 ともいえるのではなかろうか?

両親
この世に生を受けた瞬間から・・・人生の師である、両親との出会いがある。
3才くらいまで、自分では何も出来ない100%の受身の状態で、両親の生き方が 体に染み付く。 
3歳を過ぎて、自分で行動が出来るようになれば、それまでに両親に染み込まされた生き方を 再現する。 それしか知らないのだから。

それから


幼稚園。小学校。中学。高校。そして大学までも・・・
学校の教師や数知れない人=『師』との出会いの中で、いろいろ学び、いろいろの人生があることを、知る。
学びや出会いが、自分の中にある才能を花咲かせるための、知恵となり知識となり、自分の中に内蓄されていく。 教養です。

学生生活が終われば・・・
学生生活時代の人=『師』との出会いで自分の中に内蓄されたすべてをかけての、その人独自の『個性』が出てくる。

その人独自の『個性』を出すには・・
自分の中に内蓄された知識や知恵を、教養を、自分なりの理念や人間性や人格に作り上げる作業が、必要となる。 のではないでしょうか?



2012年10月2日。火曜日。12時49分。

 私の 『魂の師』   C神父様。   

帰天されました。 死の時を迎えられました。  86歳。

24歳で司祭に叙階。 25歳の時にはすでに来日。 
それ以来62年間・・パリ外国宣教会員として、生涯を、日本での宣教に捧げられました。

「C神父様の生き方は、
母国・フランスのブルグヴェストの岩肌の厳しい自然環境にも似た、風にも雨にも負けない、岩のような信仰心でした。
そして
神への愛 隣人への愛に 満ち溢れた生き方でした。
神の国に帰天成された今・・
C神父様の隣人への愛と、人間コンピュータと言われた、抜群の記憶力で、
一人一人のお名前を呼びながら、神への執り成しをしてくださいますことでしょう。」
    と。 パリ外国宣教会の長の弔辞の一部でした。


私にとって
この現世の師が両親であったように、神の国の師、信仰の師がC神父様でした。


私の人格であり人間性であり、私の哲学であり理念であり、何よりも私の個性でもあるのが、『信仰』です。
揺るぎない自分を支えているのが、『信仰』です。

その私の信仰の歩みを振り返るとき、C神父との出会いなくして、今の私はありえない。 と、つくづく感じます。

40年間の長きにわたって、私の『師」として、私を導き続けてくれました。
勉学の師としては勿論のこと、人生の兄妹として、病院では父娘に間違えられて・・・。と。

C神父様の、岩のように、鉄のように、地に足が着いた強い信仰心こそが、
私の信仰心の『師』となり、
私の弱い信仰心をも、揺るぎない地に足着いた信仰心へと、成長させてくれました。


C神父様は、
信仰者としての、孤独な老人の毅然たる模範をも、身を持って、示してくれました。
試練に耐え、苦悩や死に打ち克つ心と信仰の深さを、身を持って、示してくれました。



先日も、信仰の『師』との、別れの時がありました。
そして
今日は、信仰の『師』との、死別の時を迎えました。

『師』たちが教え導いてくれたすべてを身につけて・・
背を伸ばして、『師』たちのように、一人で、信仰の岩の上に立ち上がる時が来ました。


『種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。』
              マタイ福音書 13章8節


『師』・C神父が、私の中にまいてくれた信仰の種を・・・一人で、神と共に、実を結ぶ時が、老年の私にも来ました。


    『師』・C神父様がこの世を去られた今
師が教え続けた信仰と、師が身をもって影響を与えた人間の本質とを・・私のものとして、
この世で命が続く限り・・この世で、私の心の中の『師』と共に、生きていきます

そして
     この世の命が終わる時・・『See you again!』




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記録 
今日・5日のラン距離・14km

  復活! 復活!

10月走行距離合計:14km