マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

座禅・・・『一寸坐れば 一寸の仏』・・・瞑想  そして 『善とは、正義を行い、慈しみを愛しへりくだって神と共に歩むことである。』

2020-07-20 16:25:41 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
7月 20日 。月曜日。晴れたり曇ったり。 


 坐禅・参禅が拓く世界。

             『一寸坐れば  一寸の仏』
 

          『一寸』とは、 線香一本が燃え尽きる時間です。
        『一寸の時間・・・座禅をするだけで、 人は仏になれるのです。』
                  沈黙と静寂の座禅の時間です。


      深い坐禅ができれば、 天地と同根、万物と一体、 という境地にも至るのです。


NHK:『心の時代』

     7月19日放送・・・    『岐阜県美濃加茂市、禅の修行道場、正眼僧堂』
     
             『禅の知恵に学ぶ(3)』            以前にも見ました。再放送。

        私は、日曜日5時からの 『心の時代』 が大好きです。
           毎回、 さまざまの学びをします。

       今回は、正眼僧堂住職『山川宗玄僧侶』の話を聞きました。


              坐禅と共に行われる参禅では、
        雲水たちが師家から与えられる公案(問題)に取り組みます。
 
 
             常識では解けない難問に挑むことは、
       『自己の究明』 であると同時に 『人生の探究』 ともなります。


            座禅により、 を整えることで、
               『今の瞬間に集中する』
             それは 『瞑想』 を招くのです。


『座禅』で・・・
自分の回りに起こる出来事に左右されない、
又、自分の中に起こる雑念にも左右されない、
 そんな心の状態ができていきます。
不安や悩み、悲しみや苦しみから離れて、
 身も心も解放されていくのです。


すがすがしく生きるために・・・
『座禅の精神』を日常に取り入れるのはいかがですか?
  朝と夜に『一寸の時』を確保するのです。
朝30分早く起きて・・・お茶 聖句を読む 散歩 等 静かな時を作る。
夜も30分確保して・・・心を素にして 一日を振り返る。
        

            今回の学びは、 『瞑想』 でした。
       私の場合は、 『毎朝の日程』の『効用』  の再確認になりました。
                          感謝!感謝!


そして。

今日は7月20日。年間第十六月曜日。

『今日の入祭唱』

  『わたしは主を愛する。 
    主は嘆き祈る声を聞き、 わたしに耳を傾けてくださる。
       生涯、わたした主を呼ぼう。』

         詩編 116章1&2節

そして。

『今日の第一朗読 ミカの預言』

    『聞け、主の言われることを。  聞け、山々よ、主の告発を。

      「わが民よ。  わたしはお前に何をしたというのか。
         何をもってお前を疲れさせたのか。
            わたしに答えよ。



        わたしはお前をエジプトの国から導き上り、
              奴隷の家から贖った。
 
         『モーセとイスラエルの民のエジプト脱出:紀元前1250年

             また、モーセとアロンとミリアムを
               お前の前に遣わした。」


     何をもって、 わたしは主の御前に出で、いと高き神にぬかずくべきか。
       焼き尽くす献げ物として、当歳の子牛をもって御前に出るべきか。
     わが咎を償うために長子を、自分の罪のために胎の実をささげるべきか。


  人よ、何がであり、主が何をお前に求めておられるかは、お前に告げられている。
正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと、これである。』

              ミカ書 6章1-4&6-8節  


イスラエルの民のエジプト脱出の529年後。
  紀元前721年。  

          アッシリアの攻撃により、 北イスラエル・サマリア 陥落。


        その時。 北イスラエルの祭司たちは、 南ユダに避難ました。
        ところが。
    アッシリア軍は、更に、 南ユダ・エルサレムに向かっても、 攻撃を開始しようとします。
        
 そんな時・・・

     預言者ミカは、 そのエルサレムに向かって、 社会の不正を敏感に捕らえて、
              『預言』して、 叫ぶのです。

    神の民は、 を重ねながら、 悔い改めようとしない。
    民が重ねる『罪』が、 『災い』を招くのである。
    支配階級の暴虐 と 司祭たちの堕落のために、
         エルサレムの神殿も、 北サマリア同様に、 破壊される日が来る。
    呼びかけを聞こうとしない民に、神は 『嘆き』 を訴えておられる。


         『わが民よ。わたしはお前に何をしたというのか。
         何をもってお前を疲れさせたのか。 わたしに答えよ。』
         『私が望むことは・・・
     正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと、これである。』



      これを契機に・・・ 南ユダのヒゼキア王は、『宗教改革』 に乗り出すのです。



『今日の祈願』

  『聖なる父よ、 あなたをいつも敬い、 愛する心をお与えください。
   あなたを愛して生きる者は見捨てられることがないからです。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
コロナ禍で、今までよりは『ゆっくりする時間』が持ててたのは、良かったのでしょうか。
今週が穏やかな日々でありますように。 お元気で!

市民特定健康検査 そして 『天の国はからし種に似ている。どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなる。』

2020-07-19 09:00:00 | 父と母のこと 兄弟のこと
7月19日。日曜日、快晴。


    小さなお子さん三人のご近所さん・・・    『玄関先』
 
       ママさんが新しいマスクを手作りする度に、かえるちゃんもお色直しです。
         よちよち歩きのお嬢ちゃんも、カエルさんとお揃いのマスクです。
             ママさんの『知恵』が、お子さんの『健康』を守ります。


 9時~12時。

     私は・・・     『市民特定健康検査』
 

               ソーシャルディスタンスを保ちながら・・・
             マスクをしたまま、 気を使っての検査です。

        尿、体重、身長、BMI、腹囲、血圧、の測定。 血液採取、医師診察。
          骨粗しょう症検査、乳がん検査、眼底検査、心電図検査。

               3時間弱。 疲れ果てました。
        それでも,『一年に一度の健康検査』が、私の『健康』を守ります。
                             感謝!感謝!


そして。

今日は7月19日。年間第十六主日。

『今日の入祭唱』

    『見よ、神はわたしを助けて下さる。 主はわたしの魂を支えて下さる。
 主よ、わたしは進んでいけにえを捧げ、 恵み深いあなたの御名に感謝いたします。』

               詩編 54章6&8節

そして。

『今日の福音 イエスの御言葉』

  『そのとき、イエスは、別のたとえを持ち出して言われた。

    「天の国はからし種に似ている。
          人がこれを取って畑に蒔けば、 
           どんな種よりも小さいのに、

          『からし種の樹』

           成長するとどの野菜よりも大きくなり、
         空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」



  また、別のたとえをお話しになった。

       「天の国はパン種に似ている。

           『粉にパン種を入れて・・・パンのできあがり』

           女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、
              やがて全体が膨れる。」



       イエスはこれらのことをみな、たとえを用いて群衆に語られ、
        たとえを用いないでは何も語られなかった。
     それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。

          「わたしは口を開いてたとえを用い、 
        天地創造の時から隠されていたことを告げる。」

             マタイ福音書 13章31-35節


       イエスのたとえ話は、 すぐ分かる話ではありませんでした。
            それは『神の国』に似ているのです。

          それは、いつの間にか育っていくということです。

 つまりこういうことでしょうか。

         私たちは、『イエスの言葉』を聞いて、反省します。
      自分に向けられた『言葉』と知って、改心することができます。
         すると・・・私たちは、更に、恵まれるのです。
        それはあたかも・・・からし種や、パン種のように、
            いつの間にか、 知らない間に、
          私たちの中で『信仰』が大きくなるのです。


   イエスにおいて、 『神の国』 や 『神の働き』 を見出すことができて、
         イエスを信じることができれば、
     私たちの『信仰』は、 何倍にも大きくなるのです。



 つまりこういうことでもあるのです。

   イエスは、『福音』を世界に伝えるために、 わずか12人の弟子を選ばれました。
        ”大きな結果は表われないでしょう。”  と思いますよね。
    しかし。
        結果は、 『福音』の話は、 異邦人にも受け入れられ、
       ローマ帝国や色々の国の中で、 『信仰』 が生まれたのです。

    それは。
        小さなからし種が、 これほど大きな樹になるとか、
        僅かなパン種で、 こんなに粉が大きくふくれることが、
                      信じられないことと同じなのです。


          『神の国』はどこでも働いているのです。
            わずか12人の弟子もそうでした。
        不可能のように見えたことが、 可能となりました。
          結果はすぐには見えないかも知れませんが
     『神の働き』は、 不可能を可能としてしまう、 『不思議』なのです。



     私たちも、信じて、
     『福音の種』を播いて・・・結果は神にお任せしましょう。
         きっと『福音の種』は、見事に大きな樹になっていくことでしょう。


『今日の祈願』

      『すべてに心を配られる神よ、 あなたは世界に良い種をまき、
       その成長を慈しみと忍耐をもって見守っておられます。
  私たちが互いに愛し合い、 神の心にかなう者として成長することができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
『神の国は,見える形では来ない。 「ここにある」「あそこにある」と言えるものでもない。
実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。』ルカ福音書17章20節とイエス様はおっしゃいます。
互いに愛し合って、わたしたちの間にも、『神の国』を作りましょう。 お元気で! 

今年の初物・・・『プチぜいたくトマト』 そして 『彼の上にわたしの霊は置かれ、彼は国々の裁きを導き出す。

2020-07-18 08:00:00 | 自然・花々・樹木・ガーデニング・畑
7月18日。土曜日。晴れ。

  
 今朝。

               『初物』
 

           今年の初収穫のトマトです。

       『品種名:プチぜいたくトマト。 中玉。糖度7ー8。』
       『管理ポイント:水やりは土がしっかり乾いてから。』

       大雨続きで・・・水をやることもなく、土が渇く間もなく。
         でも。ちゃんと育ってくれました。 嬉しい。

午後5時。
 
        大きさは中玉、 甘さも十分、 ぜいたくにも2粒!!
 
              今日の 『カクテルアワー』 でした。
   今日も、コロナ禍自粛生活の中で、小さな出来事で幸せでした。 感謝!感謝!


そして。

今日は7月18日。年間第十五土曜日。

『今日の入祭唱』

 イスラエルは、自分たちの体験した『主の救いの御業』をたたえ、
   御言葉に従って生きる者の『信仰』を、
   『詩編』によって歌い祈ったのです。



     『主はわたしの光、わたしの救い、 わたしは誰を恐れよう。
   主はわたしの命の砦、 わたしは誰の前におののくことがあろうか。』

        『ダビデの詩』 詩編 27章1節


そして。

『今日の福音 イエスの御言葉』


 『そのとき、ファリサイ派の人々は出て行き、
        どのようにしてイエスをそうかと相談した。
 

        イエスはそれを知って、そこを立ちられた。
            大勢の群衆が従った。


           イエスは皆の病気をいやして、
 
        御自分のことを言いふらさないようにと戒められた。
   それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。

    「見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。
          わたしが選び、喜び迎える者を。
  彼の上にわたしの霊は置かれ、彼は国々の裁きを導き出す。
       彼は叫ばず、呼ばわず、声をちまたに響かせない。
   傷ついた葦を折ることなく、暗くなっていく灯心を消すことなく、
       きを導き出して、確かなものとする。
         島々は彼の教えを待ち望む。」 

          『主の僕の召命』イザヤ書42章1-4節
                               以上。マタイ福音書 12章14-21節


     イザヤ書42章の預言: 『主の僕』 は 『諸国を正しく裁く者』 です。


紀元前598年~539年。

    イスラエルは、エルサレムの崩壊後、
        土地も国王も国家も、神殿も宗教の支えも、すべて失い、
        大部分の人々がバビロンの捕囚の身となって以来、
         絶望のどん底の経験をしてきました。

     しかし。

    預言者エゼキエルが民の中に共にいて、
        解放されるまでの『約60年間』、
        人々を力づけ、支えて、『希望』 を持たせ続けました。


         『目覚めよ! 救いは神から来る!』
   『”主の僕” と言われる者が活躍し、主の救いの御計画を実現させていく!』



時が流れて。
キリストの時代。



      イザヤ書42章の預言:『主の僕』=『諸国を正しく裁く者』 は 『イエス』 です。


    イエス様は、
  ファリサイ派の人々がイエスの働きに反対して、イエスのを狙っているのをご存じでした。
   しかし、
  ファリサイ派の人々との衝突を避けながら・・・
          弱い人を助け、 病人さん達を癒し、福音を宣べ伝え、
       ご自分に与えられた『使命』を果たされました。


     『イエスの働き』は、 イザヤ書の『主の僕』の働き そのものでした。
           弱い人、希望のない人に、『希望』を与える仕事です。
     すべての人に『正しい裁き』が与えられ、『神の救い』を成就させるのです。



そして。
現在。今は。


     主の僕・イエス『仕事』を続けていくことは、 私たちの『使命』です。
     現代でも、 沢山の飢えている人、何かを求めている人、等、 沢山います。
      私たちも、 互いに助け合いながら、 互いに『希望』を持てるように、
          祈ってまいりましょう。 頑張りましょう。



『今日の祈願』

   『全能の神よ、あなたのことばに従って生き、み旨を行う者に、
     約束された報いをいただくことができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
たった二つの自作トマトは、二口で終わりでも、口の中は満足感でした。
皆様の明日の日曜日が、穏やかな満足の日でありますように。 お元気で!

映画・・・『The Bible』:『天地創造』 そして 『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない。』

2020-07-17 03:30:00 | 大河ドラマ。テレビ。ラジオ。新聞。映画。
7月17日。金曜日。晴れ。

 
  朝早くから『映画』を観ていて
  今朝は遅いジョグ出発です。

               『公園を独り占め』


          いつもの5時半頃なら、いっぱいのお人がいる公園なのに、
               7時半頃は、私の独り占めでした。


今朝は、明け方から、2時間55分。
  『The Bible』:『天地創造』 を観ました。
米国とイタリア合作映画。1966年。54年前の作品。

『The Bible』:『天地創造』の『タイトル』に、
   ”何を中心に描くのでしょう?” 
 と、非常に興味深く、惹かれました。


   始まりは・・・

     旧約聖書1章3節・・・       『光あれ。』
 

    創世記。 1章の『天地の創造』 ~ 22章の『アブラハム、イサクをささげる』まで
     全聖書:『2364ページ』中の、 『31ページ』分だけ、 を語る 『映画』でした。
 
         新約聖書の『イエスキリストの系図 マタイ福音書1章 に至る前の、
       旧約聖書の、 『信仰の父祖達の『信仰』 が中心に描かれていました。  


   終わりは・・・

     旧約聖書22章16&17節・・・ 
           『わたしは自らにかけて誓う、と主は言われる。』
       
                『イサクの犠牲』    レンブラント作品

    『あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、
              あなたを豊かに祝福し、
       あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。』



             アメリカ映画、特にイタリア映画は、
              『神への恐れ』 が強く描かれること、
                又、
           『聖書の言葉』 に忠実に、聖書が語られるのが、
            いつもすばらしく、とても印象に残ります。


             わたしの『信仰』は、どうだろう?
        『あなたがこの事を行ったので、あなたを豊かに祝福する。』
             と、旧約聖書の信仰の先人達のように、
              主に言っていただけるだろうか?
            深い糾明を呼び覚ます映画でした。 感謝!感謝!


そして。

今日は7月17日。年間第十五金曜日。

『今日の入祭唱』

    『主は驚くべき御業を記念するように定められた。
    主は恵み深く憐みに富み、主を畏れる人に糧を与え、
       契約をとこしえに御心に留められる。』

          詩編 111章4&5節

そして。

『今日の福音 イエスの御言葉』

          『そのころ、  ある安息日にイエスは麦畑を通られた。
        弟子たちは空腹になったので、麦の穂を摘んで食べ始めた。

 
           ファリサイ派の人々がこれを見て、 イエスに、
   「御覧なさい。あなたの弟子たちは、安息日にしてはならないことをしている」 と言った。

そこで、イエスは言われた。
    「ダビデが自分も供の者たちも空腹だったときに何をしたか、読んだことがないのか。
          神の家に入り、 ただ祭司のほかには、
       自分も供の者たちも食べてはならない供えのパンを食べたではないか。


       安息日に神殿にいる祭司は、 安息日の掟を破っても罪にならない、
           と律法にあるのを読んだことがないのか。
          言っておくが、神殿よりも偉大なものがここにある。

  もし、 『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』
                                     マタイ福音書9章13節
               という言葉の意味を知っていれば、
          あなたたちは罪もない人たちをとがめなかったであろう。


            人の子は安息日の主なのである。」』
              マタイ福音書 12章1-8節


     ファリサイ派の人々に限らず・・・
     いつの時代にも、
       事情も確かめないで、 人の動機を疑い、 責める人がいます。



       ファリサイ派の人々は、
       『空腹になったので、麦の穂を摘んで食べ始めた』 イエスの弟子たちを、
         『神のための主日』に行動することを禁じた『律法』に背いたと、
            弟子たちではなく、 イエスを、醜くとがめ、裁きました。

       そんな時。

       イエスは、
       ご自身を弁護するのではなく、 弟子たちを弁護なさいました。


     人は、
     『規則』を絶対的な『基準』として人を裁くことは、 間違っている場合があります。
     しゃくし定規な『律法至上主義』で人を裁くことは、 苦境の人々の『苦しみ』を見過ごしてしまいます。
     人は、
     人が『規則』を背くときに、 どうしてその行いをするのか?  まずは『理由』を知る必要があるのです。


         イエスは、
         『あわれみ深い方』 であったので、
             『罪』を探すのではなく、 『人の心』を知ろうとなさいました。



         神が望んでおられることは、『裁き』ではなく、『憐れみ』 なのです。
 『安息日・主日』は、 裁きを行う日ではなく、 『安息日の主であるイエス』 に出会う日なのです。



  私たちも、イエス様に倣って、 
  お人を責めるのではなく、お人の心を学びながら、 お人と共に歩いていきたいものですね。
 


『今日の祈願』

      『喜びの源である父よ、
        キリストの復活を信じるわたしたちが、
  日々の仕事を通して神の国のあかしとなることができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
感動する『本』を読んだ後に、 ”私なら映画化するならこうしよう!” と考えますよね。
実際に『本』が『映画化』されて、”さすが私が考えるより上手!” 
なんて感動しますよね。 2倍の楽しみです。  お元気で!

今年の初蝉:『ハルゼミ』 そして 『疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。』

2020-07-16 05:00:00 | 日々のこと。 世界のこと。
7月16日。木曜日。晴れ。

今朝の小さな出来事です。

          今年初めて・・・   『蝉』

                 『ハルゼミ』

        早朝一番、玄関を開けると、玄関の土間に横たわっていた。 
             濃い緑:棕櫚の新葉の上に横たえさせた。


『ハルゼミ』を調べてみると・・・

日本では、セミの多くは夏に成虫が現れるが、
和名のとおり、4月末から6月にかけて『発生』する。
日本ではマツクイムシによるマツ林の減少、
さらにマツクイムシ防除の農薬散布も追い討ちをかけ、
『ハルゼミ』の生息地は各地で減少している。
各自治体レベルでの『絶滅危惧種指定』が多い。               


セミは、卵→幼虫→成虫という不完全変態をする虫で、
『幼虫』として地下生活する期間は 『3-17年』
『成虫』として生きる期間は 『1か月程度』
   であると考えられている。
         ・・・と書かれていた。


     ”蝉の死骸を鳥が運んでいて、我が家の玄関前で落としてしまったのだろう”
                            と、夫は言う。 
17年ものあいだ暗い土の中で成長し、 明るい地上で1ヶ月の命を十分に楽しんだかしら?” 
                       と、私が思うのは、余計なお世話だろうか?


       人の『命の喜び』はどこにあるのか? 人それぞれであろう。
           私のこととして考えても、
         青春時代の 『活動の中で感じた喜び』と、
     熟年時代の今 『成熟と沈黙の中で見つける喜び』 ですら、違うのである。

        ましてや、蝉の命の喜びを、私が知るよしもない。
    せめて、見事に自己離脱させてあげたいと、緑の木の下に葬ってあげました。
                   今朝の小さな出来事でした。


そして。

今日は7月16日。年間第十五木曜日。

『今日の入祭唱』

       『新しい歌を主に向かって歌え。
 
      主は驚くべき御業を成し遂げられた。
  主の右手、聖なる御腕によって、主は救いの御業を果たされた。』

           詩編 98章1節


そして。

『今日の福音 イエスの御言葉』

       『そのとき、イエスは言われた。

 疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。
            休ませてあげよう。


         わたしは柔和で謙遜な者だから、
       わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。
      そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。

   わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」』
             マタイ福音書 11章28-30節


     私たちが担う『軛=十字架』は、 つらい日々や悲しい日々で、 本当に大変です。
人の人生は、 つらい日々と楽しい日々のバランスがとれているのだろうか? と思うほどに、
                  つらく悲しい日々が続きます。

イエスの時代。

『小さな人々』は、
守らなければならない『律法』は600以上もあったと言われます。
守れるはずはなく、「私には救いがない」 とつらい日々でした。

イエスは、
『600以上の掟』を、ただ一つの『愛の掟』にまとめることができる
と、おっしゃったのです。
『愛の掟』とは、
まずは、 どんな人も神に愛されていると『信じること。』
次に, 『神の愛』に応えるために『人を自分の兄弟として迎える』ことです。


      勿論、 『お人を愛する』ことは、 とても難しいことです。
      そんな時。
      イエス様は、おっしゃるのです。
   『疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。
       休ませてあげよう。』

 イエスは、『あなた方の重荷を、私も一緒に担いましょう。』 と励ますのです。

    イエス様は、
       私たちの『くびき』を取り除くのではなく、
            「私の所においでになれば、 
       
           『イエス様と同行二人旅』 をいたしましょう。

         軛を軽くしてあげます。 共に歩みましょう。」

               と言われるのです。

       私も、いつも、 イエス様と『同行二人旅』 をしています。
          ご一緒と思うだけで、『軛』が軽くなります。


『今日の祈願』

 『全能永遠の神よ、あなたの恵みは限りなく、
     人の思いをはるかに超えて世界の上に注がれます。
  わたしたちを罪の重荷から解放し、まことの自由に導いてください。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
大雨をもたらす梅雨に終わりを告げ、蝉の鳴く夏を迎えたいですね。
大雨の被害を受けた方々のために何ができるか考えます。 お元気で!

運転免許更新 そして  『聖ボナベントゥラ司教教会博士 記念日』・・・『神は、これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。』

2020-07-15 07:00:00 | 
7月15日。水曜日。曇り。時々晴れ間。

晴れ間を見計らって・・・
今朝のジョグはフルコース。

   終えて家に帰ると・・・

      晴れ間の青空に      『サルスベリ』
 
            ほっとする。 疲れた体が癒される。 今年も咲き出した。

               
今日は『運転免許更新』 です。
私は、走るのも、車も、大好きです。
両者は、同じくらいの期間、欠かせない『私の足』です。
車の『忘れられない思い出』があります。懐かしい。  


  18歳。 父が「女の子の運転は危険が多いので、免許取得はもう少し後でも・・・」と言いました。
          母が「女の子だから・・とは何をおっしゃるのです。 女と男に差があるのですか?
   世の中はそんな考えをするからこそ、 私達の娘には18歳で取らせましょうよ。この子なら大丈夫です。」 
            母の勝利で、 私の『運転免許』となりました。嬉しかった。

19歳。 東京・渋谷のど真ん中の細い道で、Taxiと真っ正面となり、 新米の私はにっちもさっちもいかなくなった。
     Taxiの運転手さんが降りてきて、太い通りまで、 私の車をバックで運転してくださった。 Safe!! 感謝。

  28歳。 アメリカ・ロスで、 夫の車でなく、 『Myアメ車』に乗り始めた。
     ロスの広い高速に入ったら・・・真っ正面から、私に向かって、車がビュンビュン来るではありませんか!!
            私は、慣れない高速で、 『逆走』 していたのです!! 
          私は、逆走のまま、片方4車線の一番はじのレーンを、次の出口(実は入り口?)まで走った
巾広いロスアンジェルスの高速では、『片方4車線の高速』が当たり前で、 
               対向車は私をよけてくれて 私は命拾いをしたのです。
                                          本当に有り難いことでした。感謝。感謝。

  米国の車道はなんとも広いのです。   高速を走った思い出を一つ。
        
         『サンフランシスコフルマラソン 途中の ゴールデンゲートブリッジ』
              米国の車道はなんとも広いのです。
マラソン当日は、 『8車線のゴールデンゲートブリッジ』の、
          半分は『ランナー’s道』 & 半分は『Car’s道』、 となります。
  更に・・・『ランナー用4車線』の、 
     半分をランナーが『上り方向』へ走り、半分をランナーが『下り方向』 へ走るのです。
          ランナーは、ゴールデンゲートブリッジを往復するのです。
    車から・・・”頑張れ~!” と、 応援の声が聞こえ、 クラクションが鳴らされるのです!
          ちなみに・・・その時60歳だった私は、サンフランシスコマラソンでは、『60代の4位』になりました


30歳。 アメリカ・ロスで、『赤信号で右折』で、 隠れていた白バイに捕まって、 『切符』を切られました。
       「そんなはずはない」と言う私に、 「文句は法廷で言いなさい!」と白バイ警官。
  私は『切符』を持って法廷に出向き、文句?を言い、 裁判官は、「Not guilty!」と言ってくれました。安堵。


            私は、 沢山の人に助けられて・・・ 守られて・・・
   何十年間『事故』はなし、 安全運転が続けられています。有り難いことです。感謝。
      ただ・・・『スピード違反』で、3回も捕まっています。反省。

        今回の『運転免許更新』で、 私の『車人生』も熟年です。
                               感謝!感謝!
              
そして。

今日は7月15日。年間第十五水曜日。

            『ボナべントゥラ司教教会博士 記念日』
 
             
           神学と哲学に関する多くの優れた著書を残し
     『スコラ学派の神学者』と称され、 『セラフィム的博士』とも呼ばれる。



  1217年。  中央イタリア・トスカナの貴族の家に生まれる。
          幼いころ、重病にかかった彼を、両親はアシジの聖フランシスコのもとに連れて行き、
          もし病気が治ったならば修道会にささげるというをかけた。
1942年。25歳。 病気が治り、願をかけたとおりに、フランシスコ会に入った。

            パリで神学と神学を修め、教授資格を取得。
            学んだのち司祭となり、多くの書物を著し、大きな成果を収めた。

1952年。35歳。 フランシスコ会の総会長に選任される、
1960年。53歳。 でアルバーノの枢機卿に任命される。

      彼は学識が高く、地位も高かったが、とても謙遜であり、多くの人々から尊敬された。

1274年。56歳。 リヨンで死去。
                 『毎日の読書』より


『今日の入祭唱』

   『主に従う人は、 口に知恵の言葉があり、 その舌は正義を語る。
      神の教えを心に抱き、 よろめくことなく歩む。』

           詩編 37章30&31節

そして。

『今日の福音 イエスの御言葉』

         『そのとき、イエスはこう言われた。

     「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。
   これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、 
     幼子のような者にお示しになりました。


       そうです、父よ、これは御心に適うことでした。

        すべてのことは、父からわたしに任せられています。
             父のほかに子を知る者はなく、 
    子と、子が示そうと思う者のほかには、 父を知る者はいません。」』
             マタイ福音書 11章25-27節



        『知恵ある者や賢い者』 と 『幼子のような者』
        イエスは、両者を、はっきりと、区別なさいます。
        イエスの言われる『両者の違い』は何でしょう?


『知恵ある者や賢い者』とは
律法をよく研究した律法学者、
財産を多く持地金持ち、
権力の座にある人たち で、
『人の助けを求めることのない人』 や
『イエスの話を受け入れる必要がないと思った人』たちです。

一方。

『幼子のような者』とは、
律法を研究できない人、
律法を守ることができない人、 で、
『知恵ある者や賢い人から助けを期待できない人』や
『救われることはないと思っている人』で
『ィエスの話を受け入れ、イエスを信頼する人』 や、
『イエスから救いを期待している人』 たちです。

  
            神は、ご自分のすべてを、イエスに託し、
       神は、イエスを通して、『神の愛』 を現わされるのです。
         そして。
            『幼子のような者』=『小さな者』は、
              『神とイエスの愛』を信じて・・・
          『神から大切にされている』ことが解かるのです。

           イエスがいつも心にかけてくださる人たちなのです。
 

 イエスは、このような『幼子のような者』=『小さな者』 の中から、弟子を選ばれたのです。
   ですから。
イエスは、『弟子たちを受け入れる人はイエスご自身を受け入れることになる』 と言われるのです。
                     マタイ福音書10章40節


    私たちも、ボナべントゥラ司教のように『謙遜』を身に着けて、
           幼子のように『素直な心』で、
     『イエスの話』を受け入れることができるように、祈りましょう。


『今日の祈願』

 『神よ、あなたは、キリストの救いを告げる使徒として聖ボナべントゥラを選び、
         聖霊の光で照らしてくださいました。
   救いの神秘を祝うわたしたちに、信仰の光を豊かに注いでください。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
コロナ禍で自粛の日々、『日々の生活をコツコツたゆまずに続けていくと、
気分も落ち着いていきますよ。』と、作家で精神科医の帚来蓬生氏の言葉です。
   試してみましょうか?  お元気で!

もろキュウリ・・・『手作り味噌』 そして 『裁きの日にはティルスやシドンの方が、お前たちよりまだ軽い罰で済む。』

2020-07-14 17:00:00 | ワイン。おいしいもの。お勧めスポット。
7月14日。火曜日。雨のち曇り。

       1年間寝かせて完成・・・   『手作り味噌』
 

                  『つくろう! 手前みそ』
                健康食として知られている『みそ』。
         買ったものとは一味違うオリジナルみそを仕込んでみませんか?

              一年前。 孫の学校で、 『父兄交流会』
  親御さんが集まって『味噌造り』の場に、 祖母の私もママと一緒に参加させて頂きました。
              出来上がりました。 嬉しい。 感謝!感謝!

  今日。

       自作味噌で・・・   『もろキュウリ』
  

               『そのままでお酒のおつまみに!』
     手ほどきをしてくださった 『手作りみそ材料専門店』様 の言われるとおりに・・・。
               初出しです。 おいしい。 感謝!感謝!


             香りも高く、 色も濃く、 お味も濃厚、
                 初めての『手作り味噌』です。
         今日の『カクテルアワー』 は、もちろんの『日本酒』 でした。


そして。

今日は7月14日。年間第十五火曜日。

『今日の入祭唱』

        『わたしたちの神は来られる。
 神は御自分の民を裁くために、上から天に呼びかけ、また、地に呼びかけられる。』

             詩編 50章3&4節


そして。

『今日の福音 イエスの御言葉』

 イエスも、 今日の『詩編』同様に、
主の再臨の時の『裁きの時』に心せよと、呼びかけます。



   『そのとき、 
 イエスは、 数多くの奇跡の行われた町々が悔い改めなかったので、 叱り始められた。


    「コラジン、お前は不幸だ。 ベトサイダ、お前は不幸だ。
  
   お前たちのところで行われた奇跡が、 ティルスやシドンで行われていれば、
            これらの町はとうの昔に粗布をまとい、 
            灰をかぶって悔い改めたにちがいない。


        マスクを付けて今年の教会で・・・  『灰の水曜日』
          『自分は神によってちりから造られた人に過ぎない』 創世記1章7節

 
           『あなたはちりであり、ちりに帰って行くのです。』
              神父様に灰を塗られて、回心しました。

しかし、言っておく。
 
 裁きの日には ティルスやシドンの方が、 お前たちよりまだ軽い罰で済む。

   また、 カファルナウム、 お前は、天にまで上げられるとでも思っているのか。
           陰府にまで落とされるのだ。

       お前のところでなされた奇跡が、 ソドムで行われていれば、
          あの町は今日まで無事だったにちがいない。

しかし、言っておく。

  裁きの日にはソドムの地の方が、お前よりまだ軽い罰で済むのである。」』
               マタイ福音書 11章20-24節


   イエス様は、公生活の初めの頃、
        コラジン、 ベトサイダ、 カファルナウムの町々で、
        ご自分の 『愛と慈悲』 を示されて、
     沢山の話をなさり、 沢山の奇跡としるしを行いました。

 しかし。

   この町の人々は、 生活が割合に楽なこともあってか?
   イエスの話を受け入れず・・・イエスの話に『イエスの愛』見出すことができませんでした。
   イエスの奇跡を見ても・・・イエスの行いに『神の働き』見出すことができませんでした。


 一生懸命のイエス様には、 この町の人たちの反応は、 大変悲しいことだったでしょう。
      『無関心』は、 人を深く傷つけるものです。
         イエス様は深く悲しまれました。

それでも。

   イエス様は、 人々を愛するゆえに・・・ 
     この町の人々をしかり、 
   『お前は、 『裁きの日』に、 天にまで上げられるとでも思っているのか。』
     と、 イエスの『愛』を見出し、 改心することを、 呼びかけられます。


   現在の私たちも、
   神が私たちの生活の中でなさる『神の愛』見出し反省しながら・・・
        イエス様を悲しませることなく、
        神様にいつも感謝しながら、
        神様をお喜びさせたいものです。

      更に。
       お人の話には心から耳を傾けて、
          お人と心と心を通じ合わせながら、共に人生を歩みたいものです。
              『無関心』は、お人を悲しませます。 

そうすればきっと、
   イエス様は、「私と共に天で住もう!」 と言ってくださいますことでしょう。



『今日の祈願』

 『神よ、救いの秘跡の力によってわたしたちを悪への傾きから解放し、
       正しい行いに導いてください。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
『手作り品』は、買ったものとは一味違い、心を満たしてくれますね。
出来上がりを待つ長い時間すらも、“おいしくできてね”と話しかけながら、
心を満たしてくれますよね。  皆様お元気で! 

アメリカ200歳&息子1歳・・・44年前の『アメリカ独立記念日&息子の誕生日』 そして 『わたしが来たのは地上に、平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。』

2020-07-13 16:45:13 | 息子と息子家族
7月13日。月曜日。曇り。

コロナ禍で、三密の危険防止のために、
色々の行事が中止になります。
世の中に大きな変化をもたらします。


               『アメリカ独立記念日 7月4日』
          
           『ワシントン記念塔越しに見る独立記念日の花火』
                                         ネットより拝借


        1776年アメリカ独立宣言が公布されたことを記念して、
        毎年7月4日に定められた 『アメリカ合衆国独立記念日』

           今年は、コロナ禍で、 
      毎年恒例の花火もなしの、異例の『記念日』となりました。
           今年は『独立245年目』です。


 『アメリカ建国記念日』は、
我が息子の誕生を記念する
            『息子の誕生日』 でもあります。
           アメリカと共に年を重ねるような息子。
             今年は『息子45歳』です。


懐かしい44年前の・・・


         1976年 アメリカ200歳独立記念日 & 我が息子1歳誕生日』
       
         『NewYorkハドソン川に 米国海軍帆船を迎えて 独立記念日』
         ハドソン川ほとりの『記念祝典』に参加する1歳の我が息子と娘
                             (娘は後方女児4歳)

   
                 『静かなハドソン川の美しい帆船』       
          『アメリカ合衆国200歳 & 我が息子1歳』
 を迎えた44年前です。
          これからの社会を思うと、懐かしき良き時代になりつつありますね。


あれから44年後の今年。

       今年の『アメリカ独立記念日』は、
 新型コロナウイルスへの対応もあり、私たちが見守った44年間に初めて、花火なしイベントも少なく、
               異例の独立記念日となりました。


時が流れ・・・
こんなこともあるのですね。

       44年間の年月は、
  アメリカでも日本にでも、 世界中で万物が変転するような時を迎え、  44年間の重要さを思い知ります。
    それでも、
  家族の愛、母国への愛、等、愛の永遠性、が見直されるようになってきて、  普遍の重要さを思い知ります。


          44年間の、 必然であろう、 世の中の変化を思い、
   『新生』の今の時期は、 必ず産みの苦しみを伴いながらも、 明日への『希望』の時間です。
       くれぐれも自粛生活を続ける自覚を持って、 早い『新生』を迎えたいものです。  

        
         息子が必要になったという『昔の写真』を探しながら、
            世界中の平和を祈り、
         懐かしい日々と重ねて、 いろいろ考えた一日でした。

       

そして。

今日は7月13日。年間第十五月曜日。

『今日の入祭唱』

        『わたしたちの神は来られる。
 神は御自分の民を裁くために、上から天に呼びかけ、また、地に呼びかけられる。』

             詩編 50章3&4節


『今日の福音 イエスの御言葉』

       『そのとき、 イエスは使徒たちに言われた。
 

「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。
       平和ではなく、       をもたらすために来たのだ。

  
        わたしは敵対させるために来たからである。

       人をその父に、 娘を母に、 嫁をしゅうとめに。


 こうして、        自分の家族の者が敵となる。
     わたしよりも父や母を愛する者は、  わたしにふさわしくない。
     わたしよりも息子や娘を愛する者も、 わたしにふさわしくない。
       また、
     自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、 わたしにふさわしくない。


        自分の命を得ようとする者は、 それを失い、
        わたしのために命を失う者は、 かえってそれを得るのである。



       あなたがたを受け入れる人は、 わたしを受け入れ、
   わたしを受け入れる人は、  わたしを遣わされた方を受け入れるのである。
     預言者を預言者として受け入れる人は、 預言者と同じ報いを受け、
 正しい者を正しい者として受け入れる人は、 正しい者と同じ報いを受ける。

 はっきり言っておく。 
     
             わたしの弟子だという理由で、
       この小さな者の一人に、 冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、
               必ずその報いを受ける。」』

                   マタイ福音書 10章34-42


  イエス様は、勿論、『平和』=『救い』 をもたらすために、神からこの世に遣わされたのです。
    そして、 イエスの弟子になる、 信仰者となることは、 覚悟のいることでもあるのです。

     
それはこういうことです。

   人々の中には、  イエスの活動に、賛成する人もあれば、 反対する人もあります。
   同じ家族の中でも、 イエスを信じる人があれば、 信じない人があります。
       父母や兄弟とも、 信仰の考えを別にすることがあります。


 イエスの弟子たちは、 イエスが迫害を受けたように、同じ迫害を受けることがあるでしょう。
     私たちキリスト者は、 自分の十字架を背負って、 信仰を貫くのです。


 確かに、表面上は・・・

         イエス・キリストに従って生きると決めることで、
         大事な人と『対立』するときもあるでしょう。

     イエスは、『わたしは、平和ではなく、剣をもたらすために来た。』 
        『わたしは敵対させるために来た。』 のであると言われたのです。

     しかし。
       人が、 『信仰を持つ』ということは、 『イエスに従う』 と覚悟をすることです。
       人が、 『イエスに従う』ということは、 『愛神愛隣』 を実行することです。



          信仰によって・・・
    益々『対人関係』は深くなり、 益々『隣人、家族への愛』が深くなるということです。
        それによって、 『神の報い』が保証されるのです。

           私たちも、意見の相違があっても、
              許し合い、愛し合い、
         『神の報い=天国の命』に到達いたしましょう!

            『新生』の希望を持ち続けましょう!
         


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
    『義のためには迫害される人々は、幸いである。
       天の国はその人たちのものである。』
 アレルヤ、アレルヤ。
           マタイ福音書 5章10節 


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
長雨の一日です。お仕事の人も学生さんもお家においでの方も、
皆様、お体大切にお過ごしください。 お元気で!            

ラン師匠と・・・『朝ウォーキング』 そして 『雨も雪も、わたしの言葉も、ひとたび天から降ればむなしく、天に戻ることはない。』

2020-07-12 07:00:00 | スポーツ・ランニング・自転車・水泳・ゴルフ・散歩・・・
7月12日。日曜日。曇り。

 雨雲の中に晴れ間が見えて、遅めの出発。

            『ラン師匠と・・・』
 
           お久しぶりです、ラン師匠様
   
            なんと楽しいことか!
    一人で、 沈黙と静寂の中・・・なんとウォークの楽しいことか!
今朝は師匠に出会って、
    二人で、 おしゃべりしながら・・・なんと更にウォークの楽しいことか!


      師匠様も私も、 走りも、ウォークも、山も、自転車も、 大好きです。
                  勿論、二人のレベルは比較の対象にもなりませんが・・・。
                  師匠様のもう一人の弟子は、師匠の甥御さん、『ロンドンオリンピックマラソン選手』です!!


      お一人でも『大好き』をこなす師匠様は、
     コロナ禍中では、 人出をさけて、 自然の中で、 お一人で頑張られます。
        数々の『経験談』が、拝聴していて楽しい。 
   ”私も頑張ってみましょうかしら?”   師匠の話が弟子の刺激になります。

 
  雨がりの道中に・・・    『満開のカンナ』
 
            
My師匠様は、7月の連休に、 『四国八十八ヶ所のお遍路』 を『結願』させるそうです。

          『弘法大師様と同行二人旅』
  
   何回かに分けて、全コースを歩いて、お一人でのお遍路は、
        合計『30日程のお遍路道』 になるそうです。


        『師匠様の四国八十八ヶ所のお遍路』
 確か、目的地まで車を使ったり、目的地まで送ってもらったりして、既に2回結願終了、
  全コースを自宅から歩いての今回で、3回目の『結願』ではなかったかしら? 確かそうだと思います。
                    今回は、公共交通機関・電車はお使いです。
  私は、 「結願なさるのは、信仰心からですか?」 とうかがってみました。
  超お忙しい鋼物作り会社社長の師匠は、返事に、美しい微笑みを見せただけでした。


     私も、覚悟を決めて、このへんで・・・
  何かを、『結願』させなくちゃなりません。
  師匠の話を聞いていて・・・私の中に『やる気』のような『希望』が沸いてきました。
     私が楽しむだけでなく・・・
  私も、師匠のように、どなたかに、『やる気・希望』を沸かせなくちゃなりませんね。
              
                           
    刺激を与えていただいた、今朝の『ラン師匠とウォーク』でした。
    師匠様は、なんともすばらしい私の先生です。 感謝!感謝!



そして。

今日は7月12日。年間第十五主日

 今日も、私はミサ出席はなし。 

      自宅で・・・    『聖書通読 と 祈り』
 
                『1991年5月22日(水)』  購入
           私の血と肉となって、29年間の『同行二人旅』です。 


『今日の入祭唱』

   『わたしは心を尽くして主に感謝をささげ、
    驚くべきみ業をすべて語り伝えよう。』

         詩編 9章2節


そして。

        『今日の第一朗読  イザヤの預言』
 
             『預言者イザヤ』   ミケランジェロ作品 

 
  神は、『アブラハムとの契約』 を必ず成就すると、
     イザヤは、捕囚の民を励まします。



『主は言われる。
        
    雨も雪も、 ひとたび天から降ればむなしく、 天に戻ることはない。
 
  
        それは大地を潤し、芽を出させ、 
   生い茂らせ種蒔く人には種を与え、 食べる人には糧を与える。



 そのように、  
  
     わたしの口から出る  
        わたしの言葉もむなしくは、 わたしのもとに戻らない。

   
      神からこの世に派遣された 『神の御言葉・イエス・キリスト』

           それはわたしの望むことを成し遂げ
           わたしが与えた使命を必ず果たす。』 

             イザヤ書 55章10-11節


 紀元前538年。

          ペルシャを中心に新勢力が台頭し、
       ペルシャのキュロスの軍隊は近隣諸国を次々に制服、
          ついにイスラエルをも占領した。

 その後。

        強大な国となったペルシャは、
    制服国の外国人捕虜をそれぞれの国に帰らせる『開放政策』をとった。
     この噂は、
  イスラエルの人々の間にも伝わり、 民は『帰国の希望』を持つようになった。

 預言者イザヤは、
   バビロン捕囚から解放されて、荒れ野を通って帰国する人々に、
        『希望を与える言葉』 を告げ、
   『再建されるエルサレム』 に目を向けさせようとしました。
      『やる気・希望』を起こさせようとしたのです。


            全能唯一の主である神が、 
         『アブラハムとの契約』 を成就させ、
          すべての『救い』を実現なさる。
    イスラエルの神、主は、 『ご自分の栄光』 を示される。
                  と、励ましたのです。


『今日の祈願』

  『いつくしみ深い父よ、
 御子のいのちにあずかったわたしたが、この恵みを多くの人と分かち合い、
     豊かな実りを刈り取ることができますように。』



民様!
御訪問に感謝申し上げます。
大雨の災害からの復興を心からお祈り申し上げます。
お体をご自愛下さい。 お元気で!          

第三の世界・・・『imageryの世界』 そして 『弟子は師にまさるものではなく、僕は主人にまさるものではない。弟子は師のように、僕は主人のようになれば、それで十分である。』

2020-07-11 10:00:00 | 娘と娘家族
7月11日。土曜日。曇り。


  『imageryの世界』・・・    『空飛ぶ魔法のほうき』
 
        空を飛ぶには『竹ぼうき』でなくてはなりません。
           私が10年以上も前に、『イメージの世界・空想の世界』を描いた『絵』です。

      空を飛ぶ世界は・・・
         識者?には、あり得ない世界です。
      でも。想像力豊かな・・・
  年少組幼稚園の生徒さんには ちゃんと自分の中にある世界なのです。


  中学一年生・孫娘の『国語教科書』
ある日の『子ども学』のシンポジュームで、
ジャーナリストが講演した『文章』が、『国語教材』としてでています。

   すばらしいお話です。 お楽しみください


『皆さんは、今、『二つの世界』 に住んでいる、と考えるでしょう。

一つは、  『リアル世界』で、 物理的に存在する、 『現実世界』です。
もう一つは、 『バーチャルな世界』で、 創造力・構想力・想像の所産である、 『空想世界』です。


学校や家で、顔と顔を合わせて、友達と話し、家族と話します。
     それは、 『リアル世界』 です。
一方。
スマホやコンピューター等の、 機器 を恐れを持たずに使いこなして・・・
お友達とおしゃべりし、 調べ物もします。
     それは 『バーチャルな世界』 です。

しかし・・・
私たちは、本当に、 『二つの世界』だけ に住んでいるのでしょうか?

私たちには、  『第三の世界』  は存在しないのでしょうか?


私は、 私の子どもが年少組幼稚園生だった時の
『経験』  を忘れることができません。


娘は、家で、ほうきにまたがって、 
 ”おかしいな! おかしいな!” と言っていたのです。
 ”お家のほうきは小さいから、 私がまたがっても空を飛ばないのかしら?”  と。

私は、すぐに、 娘を車に乗せて、 
     小さくても、歴史のありそうな『金物屋』を見つけて、
娘の望む、ぺたんこのほうきでなく、 『竹ほうき』 を探しました。
     ありました!

若い青年の金物屋さんは、 
   きっと何代目かの跡継ぎさんなのでしょう。
 竹ぼうきは、あまりにも大きくて、 抱えるにも手間取るため、
「大丈夫、もってあげようか」 と心配そうに声をかけてくれるのも聞こえぬ様子の娘。
   「竹ぼうきを何に使うの?」  「空を飛ぶ練習をするの。」
       何の屈託もない表情で答える娘。


    そして、ほんの一瞬あった。
金物屋のお兄さんは、にこっとして、娘に言った。

「そうか、そりゃいい。うちのはよく飛ぶからなあ!」
娘の顔が突然春を迎えた花のように、ぱっと大きく輝いた。
私たちは無事、車の後部座席に竹ぼうきを詰め込むと、エンジンをかけ、お兄さんに手を振った。

         
サンタクロースさえ商業化されてしまった現代、
金物屋のお兄さんは、一瞬のうちに静かに、
子供の『イマジナリ-の世界』を広げて見せたのだった。』

       以上。『バーチャルの世界』のパソコンで、
       孫娘が私に読んでくれた孫娘の『教科書』でした。

     そのままではなく編集?しています。 ご容赦ください。


         孫娘が学校で与えられた「質問」は、
   「お母さんや娘さん、そして金物屋のお兄さんの心をどのように思いますか?
          第三の世界はどんな世界だと思いますか?」
  でした。

       
            皆様は、いかがお考えですか?


    私が、『ほうきにまたがって空を飛ぶ 魔法使い 私』 を描いたときの『私の心』は、
      ”年を重ねたら・・・こんな想像の世界をただようのも良いな~!” でした。
          今は、10年ほど前の『自分の心』を忘れかけていました。
      年少組幼稚園生の女の子に、 『大切な心』を思い出させてもらいました。
                               ありがとうね。感謝!感謝!


      今日もおばあちゃんをネット訪問して楽しませてくれる孫娘にも、 感謝感謝です。
                                        ありがとうね。

            皆様もお楽しみいただけましたでしょうか?



そして。

今日は7月11日。年間第十四土曜日。

『今日の入祭唱』

    『主はそのような人を祝福し、救いの神は恵みを与える。
   それは主を求める人、ヤコブの神よ、御顔を訪ね求める人よ。』

           詩編 24章5&6節

そして。

『今日の福音 イエスの御言葉』

   先生と弟子の関係。 イエスと使徒たちの関係。
イエスは、宣教に派遣する弟子たちに、心構えを教えました。



      『そのとき、イエスは使徒たちに言われた。
 


  「弟子は師にまさるものではなく、 僕は主人にまさるものではない。
弟子は師のように、 僕は主人のようになれば、 それで十分である。

     
 家の主人がベルゼブルと言われるのなら、 その家族の者はもっとひどく言われることだろう。

  人々を恐れてはならない。
            覆われているもので現されないものはなく、
         隠されているもので知られずに済むものはないからである。

       わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。
         耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。


体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。
     むしろ、  魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。


二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。
だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。
あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。

             だから、 恐れるな。
        あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。

     だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、
      わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。

         しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、
         わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」』
             マタイ福音書 10章24-33節

    
   イエスは、 弟子たちに、 『ご自分の経験』を、 重ね重ね、 話されました。
        そして、  『恐れるな!』
  と励まされたのです。


 『私はベルゼブル(悪魔)と言われた。』
        私たちの活動に賛成する人もあれば、反対する人もあるものである。 
        兄弟と思ってくれる人があれば、かえって敵にする者もいる。
        あなたがたは、私よりももっとひどく言われることだろう。 恐れるな!

 『私は、御父・神に派遣されて、この世に来た。』
        キリストも、弟子たちを、世界に派遣します。
        キリストは、どんな時でも、弟子たちを守ります。 恐れるな!

 『私は、私の思いではなく、御父・神の思いを語った。』
        神はキリストに、『神の思い』を託したのです。
        キリストも弟子たちに、『神の思い』を託しました。
        私キリストが語ったことを、皆に語りなさい。 それで十分である。
        弟子は師にまさるものではなく、僕は主人にまさるものではない。
        弟子は師キリストのようになれば、それで十分である。  恐れるな!

 『私は、弟子たちを、神の御前で、仲間であると、宣言します。』
        弟子たちも、世にいて、キリストは私の仲間です! と宣言しなさい。 恐れるな!


  恐れるべき方は、私たちの心も行動も知っておられる、 御父お一人のみなのです。

 
           私たちも、キリストの弟子です。
         キリストに従っていくことに、価値があるのです。
     キリストに支えられた信仰生活を、恐れることなく、実行してまいりましょう。


『今日の祈願』
 
   『恵み豊かな神よ、
        わたしたちがすべてに越えて神を愛し、
    そのおきてを、惜しみない心で守ることができますように。』


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様、子どもの頃の豊かな感性を失うことなく、いつまでも瑞々しくいましょう。
         お元気で!