マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

聖書100週間・・・『わたしにとって、生きるとはキリストを生きることなのです。』 そして 『王は衛兵を遣わし、ヨハネの首を持って来るようにと命じた。』

2022-02-04 14:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
2月4日。金曜日。曇り。


今日は立春。
待たれた春の到来です。

我が家の春一番は・・・

           『水仙』
 
     春一番の『香り』         昨年の私の作品


今日の金曜日も、
聖書100週間・聖書通読会・オンラインクラスです。
今日も、神戸のお仲間たちと、私は東京・娘宅から、
遠距離間オンラインクラスです。


     『聖書100週間・聖書通読会 オンラインクラス』 
 
 
    オンラインで、クラスを続けられることは、
        ありがたいことです。
    でも、
    一時も早いコロナウイルスの収束を願うばかりです。
      『対面クラス』の再開が待ち遠しいです。
    

   聖書1000週間は、 
   ※参加者皆が、毎週の通読範囲を読んで見つけた『宝』を発表し、
      互いに喜び合うことが大切なのです。
   ※参加者各自が見つけた『宝』を、
    その後の一週間で、各自の生活との関わりで反芻しながら感じたことを、
      翌週に『復習』として発表するのです。


     楽しい『対面クラス』はいつ始まるのでしょう。
      コロナ禍の終息を祈りましょう♡♡


  今日の通読範囲は、『フィリピの信徒への手紙 & フィレモンへの手紙 』

    使徒パウロは
 
  西暦45年頃。
  小アジアからヨーロッパに移り、
  最初にフィリピ(現ギリシア領・東マケドニアにあった古代都市) の街で、
  宣教しました。
 
 パウロは、
 ※まずユダヤ人に、次いで異邦人に『福音』を宣教し、洗礼を授けました。
 ※ヨーロッパの最初の宣教の地・フィリピの街の信徒たちに対して、
   特別な愛情を示し、心をゆるしていたそうです。
 ※しかし、暴動が起きたために、フィリピの街を出ました。

 後に・・・
 ※西暦60年頃からローマ牢獄で囚われの身になってから、
  61年頃、ローマ牢獄から『フィリピの信徒への手紙』を書いたのです。



   『フィリピの信徒への手紙』は、
   キリストに結ばれ、キリストと一致して生きるパウロの喜び
          があふれる『手紙』です。


   『わたしにとって、生きるとはキリストを生きることなのです。

    なすべきことはただ一つ、
    後ろのものを忘れ、前のものに全身を傾けつつ、
 神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、
     目標を目指してひたすら走ることです。

   わたしたちの天国は天にあります。
 そこから主イエス・キリストが救い主としてこられるのを、
     わたしは待っています。』
   フィリピの信徒への手紙 3章13&1&20節


   使徒パウロは、キリストへの『信仰の確信』を述べるのです。

     10年間も牢獄生活を余儀なくされたパウロは、
       
   大切なフィリピの信徒への思いである・・・後ろは振り向かず、
   すべてのキリスト者の天国で再会できる『目標』を持って・・・
    イエス・キリストが与えてくださる『賞・永遠の命』
      を目指して、ひたすら走りましょう!
       
       『愛情あふれる手紙』を書いて、
       フィリピの信徒たちを励ますのです。 
       自分の『信仰の確信』を再確認するのです。


     今日も、心に響く、『パウロの手紙』を読んで、
     仲間の皆様の「喜びの声」を聞くことができました。
              感謝!感謝!


そして。

今日は2月4日。年間第四金曜日。

『今日の答唱』

   『神はわたしを救われる。そのいつくしみをたたえよう。』


『今日の福音 洗礼者ヨハネの殉教』

   『そのとき、 イエスの名が知れ渡ったので、
       ヘロデ王の耳にも入った。

   人々(イエスについて)言っていた。
     「洗礼者ヨハネが死者の中から生き返ったのだ。
      だから、奇跡を行う力が彼に働いている。」
   そのほかにも、
     「彼はエリヤだ」 と言う人もいれば、
     「昔の預言者のような預言者だ」 と言う人もいた。

    
   ところが、ヘロデはこれを聞いて、
  「わたしが首をはねたあのヨハネが、生き返ったのだ」 と言った。
   実は、
   ヘロデは、 自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアと結婚しており、
   そのことで人をやってヨハネを捕らえさせ、牢につないでいた。

   ヨハネが、
   「自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない」
                とヘロデに言ったからである。

      そこで、
      ヘロディアはヨハネを恨み、
      彼を殺そうと思っていたが、 できないでいた。
      なぜなら、
      ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ、保護し、
      また、
      その教えを聞いて非常に当惑しながらも、
      なお喜んで耳を傾けていたからである。


     ところが、良い機会が訪れた。
     ヘロデが、自分の誕生日の祝いに高官や将校、
     ガリラヤの有力者などを招いて宴会を催すと、
     ヘロディアの娘が入って来て踊りをおどり、
        ヘロデとその客を喜ばせた。
     そこで、
     王は少女に、
     「欲しいものがあれば何でも言いなさい。お前にやろう」 と言い、
     更に、
    「お前が願うなら、この国の半分でもやろう」 と固く誓ったのである。

         少女が座を外して、母親に、
         「何を願いましょうか」 と言うと、
       母親は、「洗礼者ヨハネの首を」 と言った。
       早速、 少女は大急ぎで王のところに行き、
  「今すぐに洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、いただきとうございます」 と願った。

       王は非常に心を痛めたが、誓ったことではあるし、
       また客の手前、少女の願いを退けたくなかった。
       そこで、
     王は衛兵を遣わし、ヨハネの首を持って来るようにと命じた。

       衛兵は出て行き、牢の中でヨハネの首をはね、
      
         盆に載せて持って来て少女に渡し、
          少女はそれを母親に渡した。

    
      ヨハネの弟子たちはこのことを聞き、やって来て、
        遺体を引き取り、墓に納めた。』
          マルコによる福音書 6章14-29節


    イエスの活動に対する人々の反応はさまざまでした。


 イエスが、
 ※昔の『エリア』ではないかと思う人がいました。
   エリアは、いつ?どこで?亡くなったか分かっていないのです。
 ※ヘロデ王は、イエスは、死の世界から戻ってきた『洗礼者ヨハネ』ではないかと思いました。
   ヘロデ王は、自分が下した「ヨハネ殺害の命令」を、
   心の呵責から、忘れることができませんでした。


   神様は、人の辛いこと、ヨハネの殉教を通しても、いつも働かれ、
     人を導かれるのです。
   
     神様は、ヨハネの殉教や、イエスの殉教・十字架を通して、
       すべての人を『救い』に導かれました。


    神は、弱い人を通しても良いことをなさってくださる方です。

   私たちも、
   自分の弱さを認めても、
   私たちを通して、神様が働いてくださいますように、祈りましょう。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『立派な善い心で御言葉を聞き、良く守り、忍耐して実を結ぶ人は幸い。』
     ルカによる福音書8章15節  アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
コロナ禍第6波が始まり約1ヶ月が経過しましたが、
第5波を超える水準で厳しい感染者拡大が続いています。
明日からの週末を、油断することなく、穏やかに過ごしましょう。 お元気で! 

コロナワクチン三回目接種・・・『カクテルアワ-』 そして 『主の奉献 祝日』・・・『イエスは異邦人を照らす啓示の光、 あなたの民イスラエルの誉れです。』

2022-02-02 17:00:00 | 娘と娘家族
2月2日。水曜日。快晴。

午後5時。
娘宅で・・・

        『Myカクテル・アワー』
 
   夕食のヒレカツをあてに、お先に一杯🍷  孫娘は勉強中。

  午後5時。
  孫娘は・・・夕食前の、帰宅後の『宿題タイム』中です。
  私は・・・
  一昨日は、『第三回目コロナワクチン接種』でした。
  昨日は、 接種翌日、全身のだるさで、ゆっくりと休養の一日でした。
  今日は、全身完全復帰で、接種三回目の喜びと安心感で、
      久しぶりの『カクテルタイム』となりました♡♡


    私は、『接種券』が送られてきたと同時の、『接種申し込み』でした。
      一方、 
        接種を拒否する方もいらっしゃいます。
        接種の困難な方もおいでです。
        世界中の各国の考え方もまちまちです。
        接種薬品の回ってこない国もあります。


嬉しく、有り難く、
一杯飲みながら、考えました。

     ※コロナ感染拡大の影響で、多くの人が大切なものを奪われました。 
         仕事を失った。お金がない。生活が苦しい。
          生きる希望すら失った方もいます。
    更には・・・ 
     ※コロナ禍は、世界の『格差の現実』を、浮き彫りにしました。
         格差や貧困がますますはっきりしてきました。
    そして・・・
     ※コロナ禍で『ズーム授業』となった学生の、孤独感を生んでいます。
         学生さんたちは、学校内の交流がなくなったばかりでなく、
         外出もできないで、楽しみがなくなってきました。

未曾有のコロナ禍で・・

        『分断と対立』が明らかになり、更には深まっています。

        社会の仕組みの中で、私は何が出来るのでしょうか。
        この苦境を少しでも改善するために、私は何をすべきでしょうか。  

          明確な『答』の見つかりません。
          ただ 『思い』を深めながら・・・
    『答』が私を呼びかける時を待ちましょう。 聞き耳を立てていましょう。


そして。

今日は2月2日。年間第四水曜日 。 

       『主の奉献 祝日』
 
  『イエス・キリストの神殿奉献』 1444年, ドイツ

 『主の奉献の祝日』は、
  イエスが生まれて40日後。
  律法に従い、幼子イエスが両親に連れられてはじめてエルサレムに行き、
  神殿で神にささげられたことを記念します。

  この祝日は、エルサレムでは5世紀に、ローマでは7世紀に、
     祝われるようになりました。
  この日は、『世界奉献生活の日』でもあります。
        『毎日の読書』より


『今日の答唱』

 『門よ、とびらを開け、永遠の戸よ、上がれ。栄光の王が入る。』
            典礼聖歌 158番


『今日の福音 イエスの神殿奉献』

  『モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、
      両親はその子を主に献げるため、
       エルサレムに連れて行った

   それは主の律法に、
   「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」
                と書いてあるからである。
   また、主の律法に言われているとおりに、
   山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。

     そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。
       この人は正しい人で信仰があつく、
       イスラエルの慰められるのを待ち望み、
        聖霊が彼にとどまっていた。
      そして、
      主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、
       とのお告げを聖霊から受けていた。

    シメオンが〝霊〟に導かれて神殿の境内に入って来たとき、
  両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、
        イエスを連れて来た。

    シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。
    
     『抱神者シメオン』 アレクセイ・イェゴロフ画

      「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり
      この僕を安らかに去らせてくださいます。
     わたしはこの目であなたの救いを見たからです。

     これは万民のために整えてくださった救いで、
         異邦人を照らす啓示の光、
       あなたの民イスラエルの誉れです。」


  父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。
    シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。
  
         「御覧なさい。
  この子は、
  イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、
    また、反対を受けるしるしとして定められています。
     ――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――
    多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」


    また、アシェル族のファヌエルの娘で、
      アンナという女預言者がいた。
   
       非常に年をとっていて、
   若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、
     夫に死に別れ、八十四歳になっていた。

   彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、
       夜も昼も神に仕えていたが、
   そのとき、
      近づいて来て神を賛美し、
  エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。


   親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、
    自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。
      幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、
     
       神の恵みに包まれていた。』
        ルカによる福音書 2章22-40節


       神殿で奉献されたイエスは、
     『万民の光』として啓示されます。


      『シメオンの賛歌』
 『イエスは、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。』

     両親は律法の定め(レビ記12章)に従い、
     イエスを生後40日後にエルサレム神殿に連れて来て、
     イエスを神前に捧げました(主の奉献)。
     この時神殿の近くに住んでいたシメオンは、
     イエスを抱き、救世主が到来したことを神に感謝しました。
      この時にシメオンが歌ったという『詞』です。


     同時に、
     イエスによる『救い主の時代』の到来は、
      イエスが『逆らいのしるし』となる。
        と、シメオンは予言します。


     シメオンの『言葉』を聞いた両親は、
     幼子についてこのように言われたことに驚きました。
      ※どのように自分の子イエスと接していくのか?
      ※どのように自分の子・イエスを育てていくのか?
      ※どのような人に、我が子が育っていくのか?
       ・・・両親には全く分かりませんでした。
     そこで、
        両親は、すべてを神にお任せして、
     自分たちの生活を、丁寧に、清く送ることを誓ったことでしょう。


     私たちも、
     日々の生活で迷うことが多々あります。
        『答』が見つからないことが多々あります。
     そんな時は、
     イエスの両親に倣って、
     すべてを神にお任せして・・・
     日々を、丁寧に、静かに、清く、送っていきたいものですね。
     そうすれば、『答』が聞こえてくるときが必ずあるはずです。
             祈りましょう。

     
『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『異邦人を照らす光、あなたの民イスラエルの光栄。』
     ルカによる福音書 2章32節  アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
過去最多の新型コロナの感染者数となりました。
体を温かくして、穏やかに過ごしてまいりましょう。 お元気で!

2月・・・『受験シーズン』の到来  そして 『恐れることはない。ただ信じなさい。』

2022-02-01 09:30:00 | 娘と娘家族
2月1日。火曜日。晴れ。

2月に入り、
受験シーズン真っ只中です。

コロナ感染急拡大中の受験シーズン。
病状が現われないままに、濃厚接触者となった受験生は、
Taxiで試験会場に来ることが条件で、
隔離状態で受験が可能になったそうです。
良かった。良かった。


元気な小6年の孫息子も受験真っ只中。
   Taxiではなく、
   パパの車で・・・    『お台場』
 

    何人の受験生が、親の車で、この橋を渡っていることでしょう。    
    巨大な橋を渡って、受験会場へと。

    小さな子供たちが、
    骨身を削って努力し、コロナ禍のもと、鎬を削る日を迎えるのです。
    小さな子供たちの心を思って、
    彼らへのいとおしさに、涙出る思いが致しました。

 
        大都会・東京の景色。

    受験生の皆様が、
    そして、我が孫息子が、
    今までの努力が発揮出来る受験となりますように。
    今までの努力が報いられますように。

     受験生の皆様、私も大都会も、心からのエールを送ります。
        がんばってください!


そして。

今日は2月1日。年間第4火曜日 。

『今日の答唱』

   『すべての人の救いを願い、わたしはあなたを待ち望む。 』


『今日の福音 イエスの御言葉』 

  『そのとき、 イエスが舟に乗って再び向こう岸に渡られると、
     大勢の群衆がそばに集まって来た。
     イエスは湖のほとりにおられた。

    会堂長の一人でヤイロという名の人が来て、
  イエスを見ると足もとにひれ伏して、 しきりに願った。

     「わたしの幼い娘が死にそうです。
   どうか、おいでになって手を置いてやってください。
    そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。」

   そこで、イエスはヤイロと一緒に出かけて行かれた。
    大勢の群衆も、イエスに従い、押し迫って来た。
   さて、
     ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。

    多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、
    全財産を使い果たしても何の役にも立たず、
      ますます悪くなるだけであった。

    イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、
      後ろからイエスの服に触れた。
 
  『跪く女性に話しかけるキリスト』  パオロ・ヴェロネーゼ作品 
     
  「この方の服にでも触れればいやしていただける」
              と思ったからである。
  すると、
  すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。

  イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、
       群衆の中で振り返り、
    「わたしの服に触れたのはだれか」 と言われた。
  そこで、
        弟子たちは言った。
    「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。
  それなのに、『だれがわたしに触れたのか』とおっしゃるのですか。」

   しかし、イエスは、触れた者を見つけようと、
      辺りを見回しておられた。
   女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、
   震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した。

        イエスは言われた。
  「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。
    もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」

      イエスがまだ話しておられるときに、
       会堂長の家から人々が来て言った。
      「お嬢さんは亡くなりました。
     もう、先生を煩わすには及ばないでしょう。」

      イエスはその話をそばで聞いて、
    「恐れることはない。ただ信じなさい」 と会堂長に言われた。

   そして、ペトロ、ヤコブ、またヤコブの兄弟ヨハネのほかは、
     だれもついて来ることをお許しにならなかった。
        一行は会堂長の家に着いた。

   イエスは人々が大声で泣きわめいて騒いでいるのを見て、
       家の中に入り、人々に言われた。
      「なぜ、泣き騒ぐのか。
    子供は死んだのではない。眠っているのだ。」

      人々はイエスをあざ笑った。
   しかし、イエスは皆を外に出し、
   子供の両親と三人の弟子だけを連れて、
    子供のいる所へ入って行かれた。
 
  そして、子供の手を取って、 「タリタ、クム」と言われた。
  これは、「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」
               という意味である。

    少女はすぐに起き上がって、歩きだした。
    もう十二歳になっていたからである。

   それを見るや、人々は驚きのあまり我を忘れた。
  イエスはこのことをだれにも知らせないようにと厳しく命じ、
   また、食べ物を少女に与えるようにと言われた。』
     マルコによる福音書 5章21-43節


    信仰を持つ病人たちは、
    イエスに触れただけでも、癒やされました。

     人は、信仰によって、救われるのです。


 今日は、イエスに救われる※二人の方の話です。

 ※十二年間も出血の止まらない女性

   女性は、病気のために、自分は汚れた者となっていると考えて、
   イエスに直接話しかけることは、恐れ多いこと、許されることではない、
         と、思っていたのでしょう。
   それでも、
   「イエスの服にでも触れればいやしていただける」と思ったのです。
   すると、
   イエス様は、この女性の信仰を、本物にしたい、清めたい、と考えて、
      「わたしの服に触れたのはだれか」 
     と、彼女に起こった『不思議なこと』を話すように
        彼女に『言葉』をかけます。

 
     イエスの『魔法的な力』ではなく、
     イエスと『出会う』ことに、本当の『神の救い』があるのです。


 ※自分の幼い子どもが死にそうなヤイロ会堂長

   彼は、
   イエスの言った『恐れることはない。ただ信じなさい』の『言葉』を信じて、
      彼の信仰は清められたのです。本物になったのです。
   そこで、
   家の者たちの「娘が死んだ」との知らせを聞いても、
      それでもイエスを信じて、イエスを自分の家に案内したのです。
   彼の幼い娘は、
   イエスが触れ、イエスが『少女よ、起きなさい』と声をかけると、生き返りました。


      病人二人の信仰は、イエスとの接触によって、深められました。
      イエスを信じる病人は、『イエスの一言』で、癒やされるのです。


   私たちも、
   弱い信仰を深めるために、
   いつもイエス・キリストに希望をかけて、
   いつもキリストとの接触を重ねたいものですね。
       祈りましょう。

   
『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『主はわたしたちの病を身に負い、わたしたちの苦しみをになってくださる。』
    詩編 53章4節 参照  アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
これからの日本を背負って行く若者たちの登竜門の一つが、受験でしょうか。
勝つも負けるも、若者の人生を決めるものではありませんが、
コロナ感染のために受験の棄権が起こらないように、大人は自粛生活で応援を致しましょう。 お元気で!