http://www.youtube.com/watch?v=cKTfcX8NbaM&feature=related
なんで、chopin, etude op. 10 no. 3 を別れの曲 と、いうのだろうか・・。
この曲は、真ん中くらいまで聴くとちょっとイメージが変わる。よく、バッハが数学的という、話はされるが、私は、ショパンの左手に数学の角度を感じる。
この曲を練習していたときは、真ん中あたりの、とんでもない展開の所では、右手、左手両方の楽譜を追うことが出来ず、そのうち右手と左手が全く同じに動いていることに気づき、見やすい方の手の、楽譜を追ったのを覚えている。弾けた と思ったら、すぐに弾けなくなった。
こればっかりはピアノ面白いところで、弾けてからといって、永遠にそれを弾けるわけではなく、普段の努力を続けない限り、すぐに後退してしまう。今、私は、特に左手がちょっと難しい曲を弾くと、悲鳴を上げる。右手も音をそろえて弾くことが出来なくなている。まるで、スキップするように、リズムが跳んだり跳ねたりしてしまう。
日本で高校生を続けなくてはならない、三男が、転入試験を受けるために、今週末先行して帰国する。まさに、別れの時を迎えている、彼は、すっかり体調を崩してしまった。自分でもどうしようもない感情に、体が崩れているという感じが、傍から見ていてもしてしまう。
こちらに来たときに、日本へ帰る日を、カレンダーで数えていた彼が、今は帰りたくなくて、体調を崩している。よくがんばったなあ・・・息子たちは・・・と思う。
別れは切ないねえ。
何にもしてあげられない、おかあさんも、切ないよ。