ちょっと考え込んでしまった。
大学院に通う台湾から来た留学生のこと。知り合ってちょうど一年くらいになるか。
工学部で電子回路をUSの大学で学び、東北大学で修士を取得している。それでも、彼はあっさりとそのキャリアを捨てて(他の表現が見つからない)、今は経済学で博士課程に進もうとしている。
ものづくりよりも、ビッグマネーを稼ぎたいというのがその理由だ。アメリカンドリーム。
生き方にとやかくはいえない。ましてや大人だ。彼は彼の価値観で進んでいくそれでいい。彼は努力家で、長い時間を勉学に当てている。
私は彼が修士の卒業を間近に控えているときに、日本語を教える教師として出会った。指導教授とのコミュニケーションがうまくいかないというのが、彼のストレスになっていた。日本語でのeメールでのやり取りを、少し手伝った。
eメールは表情が判断できないから、誤解を招きやすい。そこから、始まって彼はあらゆる提出文章を添削して欲しいと私に依頼してきた。
話してはわからない、書く能力がある。どうにもわからない場所は、彼に英語で書かせて判断した。ええっ!!英語の内容をみて、愕然とする。これを、こういう日本語表現するの?と、驚くこと多数。指導教官が誤解するのも無理ないなあと、思ったことも多々あった。
進学で迷いに迷い、一時は母国で就職するために職探しもしたようだが、結局、経済学という新しい分野で博士課程に進むべく、再来日して私のところに連絡をくれた。
今回新しく大学院での研究計画を作成するにあたり、彼がまたぞろ日本文と英文の原稿を送ってきて、添削して欲しいという。ちょっと迷ったが、今回は時間がないこともあって、原稿を添削してみた。が、驚いた。
経済用語をうまく使えていない。というより、新聞やニュースで聞く、日本語すら使えていない。確かに日本では外来語をそのまま、カタカナ表記にして使うから、わかりづらいことも多々ある。そして、英語ができる生徒は、自分の発音をカタカナにするから、それを間違えてしまう場合も多い。ファーストフードは、英語で発音するとファストフードの方が、より近いと思うし・・・・。
他の生徒にも思うことだが、母国語と日本語の辞典を使って言葉を引用すると、とんでもなく場違いな日本語を使ってしまう場合が多い。私が和英辞典を使って、英作文をつくると同じ現象が現れるのだろう。
私は、心を強く持って、添削をもうしないことを彼にメールで伝えた。私ではなく、指導教官に指導を仰ぐことの方が大切だと文章を添えた。経済用語の意味が理解できなくて、経済学のそれも博士課程で研究ができるとは思えないからだ。
論文は自分以外の人間がそれを読んで理解することが必要最低限の要件ではないか。
彼からは、添削をしてもらったお礼のメールも、届かない。どころか、他の日本語の先生にメールをだして、添削を依頼したという情報が入ってきた。その先生にはこの間のいきさつを伝えた。
私がもともと手伝いすぎたのだろう。彼の自立心を大きく後退させたのも、私の親切ではなかったかと、複雑な思いでいる。