おとといは、大学時代の友人と飲み会だった。
そのときに、大学の同級生の訃報を聞いた。ちょっと驚いた。彼は、大学時代は、あろうことか、私の物まねをしていた。自分でこれが私?と思ったけれど、似ていたらしく、回りでは受けていた。その彼が亡くなっていた。
そして、昨日は出掛けに、USでお知り合いになった女性が亡くなられたとメールが入った。闘病されていたのも知らなかったから、とても驚いた。郷里が同じで、それも近くの方だった。本来ならそういうことで仲良くなりそうだが・・・会社同士、女性同士の人間関係の真ん中にいらした方で、私が属していたところと関係がよくなかったので、私はあえて、近づかないようにしていた。今考えれば、そんなこと・・・・と思うようなことが、当時、その場所では大事だった。それも含めて懐かしく思い出すことではある。
死を考えることなく日々を過ごしている。そして、知人の訃報に際したときのみ、はっと生命が有限だったことに気付かされる。いつかは誰にでも訪れる。明日目が覚めないかもしれない恐怖はいつか自分にも訪れる。
いつか なのか すぐ なのかは誰にも分からない。それを意識しているようで、意識しないように避けている、自分がいる。
『明日』がないかもしれない生き方は、できるようで難しい。私にできるだろうか?