留学生活は決してばら色ではない。
結果ばら色だったと、あとから振り返って思うことがあるかもしれない。しかし、渦中でそんなに、今がばら色だと思えることは・・・・・少ないだろうと、想像する。
卒業を前にして、留学生を見つめている。自分のクラスの生徒、そして今は他のクラスになっていたる生徒たち。
私の経験をもっても思うことだが、留学先のその国の文化に馴染み、友を得、学業も大成するということは至難の業だと言わざるを得ない。たいがいは母国の生徒たち同士、同じ言語を話し、日本語を使うのは、学校でくらいという生徒が多いのではないだろうか。
特に一年、もっと短い期間での留学は、その国に居た、食事をした というものにしかならない。日本をお膳立ての下に体験をするというイベント型の留学は、どちらかといえば受動的ナ留学体験でしかないような気がする。
存在そのものを受け入れてもらいながら、その国の生活を体験するという能動的ナ暮らし方が出来る留学生は、そうそういないような気がする。ある意味、そうできるには、ある種の適合性を性格としてもっているという、個人の資質が大きな前提となるような気がする。間違いなくそういう人もいるから。私は、そうではなかったが・・・。
下手をすると、人生の大事な時期を、寮と学校の往復だけ、それもどこか一箇所にひびが入ると、学校に行けなくなってしまうという最悪の事態にさえなってしまう。何のために・・・という自問は回避する。そこで自問を続けてしまうと、間違いなく病気になる。
成功を修めて意気揚々と、次のステップに上がる生徒たち・・・生き生きと輝いている。他方、何も得るものを見つけられずに、帰国する生徒たち・・・・。それも、いい経験だったじゃない と、声をかけることができない。
何かできなかったのか・・・こうなる前に、突き放すだけの叱咤激励ではない、もっと労わるような支援ができなかったのか・・と、自問する。生徒たちの資質もある。先生の力量もはっきりいってある。人生何が幸運か、不運かわからないのだから・・・きっといいことがある、と思いたいけど・・・。
昨日は、自分の生活態度から先生たちの信頼を得られず、最後通告のように、突き放された、生徒を前にして悲しい気持ちになった。去年の今頃は、私といることの多かった生徒だ。クラスが別になり、授業も午前と午後に分かれてしまったから、会うこともままならなかった。変貌していた。目を見るとわかる。深く沈んだ目をしていた。
また、同じ昨日、明日で帰国する私のクラスの生徒の送別会を企画していた。午後の二コマ目の私の授業時間を一部削って、サプライズパーティをとクラスの生徒達と考えていた。しかし、彼は一コマ目に現れなかった。生徒たちは、どうしよう・・・と、戸惑った。私は、彼は来ると信じていたが、さすがに現れない彼のパーティをやりましょうとは言えなかった。生徒たちはお金を出し合うことにしていたから・・・・。
彼は、私のクラスが始まって、15分くらいたって現れた。クラスの皆が歓声をあげた。しかし、パーティはできず、私が焼いて持参した、ビスコッティだけのお別れ会になった。
なんとも、不器用な彼に、なんともいえない気持ちになる。どうして・・・・と、思うが、そうしかできなかったのだろうと、どこか理解できる。ただ、どうして無駄になってもいいから、彼を信じてパーティをしなかったのだろうか・・・と、そこが教師として後悔が残った。
今日のクライを 明日の キスに 変えよう !!
そんな、素敵な言葉を教えてもらったのも、同じ昨日だった。生徒たちに、そういって、背中を押してあげることしかできないのかもしれない。彼らの人生は彼らのものだから。