魔法にかかったような時間だった。
いきなり、わけの分からない言語が行き交う。教室に行こうと促される。机に座って、資料が配られる。見たこともない言葉が書いてある。
??????
機関銃のように、知らない言語が私に向かって突き刺さる。何? 何?なんなの?
何を取っ掛かりに理解していけばいいのだろうかと・・・分かりやすそうな言葉を捜す。でも、ない。英語でもドイツ語でもない、・・・・聞いたことのない言語だった。
なにかをうながされる。。きっと こんにちは だ。そうかな? もうひとりの先生と会話をするように促される。次に 名前の紹介をしている? 定かではない。でも、先生はにこにこしている。きっと当たっている。そうです そうだね よくできました という言葉もわからないから、先生の表情で私のリアクションが適当かどうかを判断するしかない。教科書をみている暇さえない。どこかに情報はないかと、あたまの中はものすごい勢いで回転していると感じる。の、割りには、さっき、ついさっき発音したことばの発音をすぐに忘れてしまう。一回、二回では覚えられるものではない。
先生は怒らない。こっちも一生懸命だもの、ここで怒られたらへこんでしまうだろうなあ・・・。緊張の連続が続く。
どうでしたか? と、日本語で、にこやかに先生が聞いてくださる。
つまり、これは、私だけのために用意された、母国語以外の言語で授業を受ける という体験だった。いつも、私は逆の立場でいる。
身近にない言語、それも文字すら見たことがない言語で授業を受けるときに、いったい人がどういう心境になるのか・・・・。先生が使われた言語は、東南アジアの言語で、私には全く馴染みのないものだった。
たとえ答えられない学生でも、一生懸命考えている。思ったほど、すぐに言葉は覚えられない。緊張感があると尚更だ。
ふっとわれに返って、学生たちのことを思った。私は彼らのことをわかってあげてはいない。もっと、もっと、私が思っている以上、大変なことだ。目からうろこが落ちる 自分がとても、浅はかな先生であったことに初めて気付かされた。
同じ学校の先生が、私のために考えてくださった模擬授業。今頃になって、感動に浸っている。どんな時間だったと表現したらいいのか・・・・・
宝石が散りばめられていて・・・きらきら輝いているような時間だった。私って本当に幸せ者だ。
できる、できないにしろ、耳に十数年馴染んできた英語圏とまったく聞いたことのない言葉の間には、とても大きな差があるのを気付くことは、同じ体験をする以外理解できなかっただろう。感謝しても仕切れない。
でっかい宝石が散りばめられた先生にならなくちゃ。