どっちにする?

人生って「どっちにする?」そんな選択の連続。あまたあるはずの選択肢。決めるのは自分\(^o^)/

故郷へ そして 帰仙台

2010-03-24 06:01:32 | おっとこどっこい

誕生日に帰って欲しい

生まれて始めての父からのリクエストで故郷へ帰っていた。父はおめでたい人で 3月21日が誕生日。3月は年度が変わることもあって、なにかとせわしなく(本当にせわしいかというと?だが・・・・)この時期に帰郷したことはなかった。

春の津山 は暖かく、仙台から着こんで行ったダウンジャケットが恥ずかしくてしょうがなかった。桃と梅の花が咲いていた。桜にはまだ早い時期だった。

私の子供のころの思い出の中で一番美しい花は桃の花だった。庭には何本も桃の花があった。梅が咲いて、桃が咲いて、桜が咲いて、つつじが咲く。これが私の子供の頃の思い出に重なる。仙台ではこれらがほぼ同時に咲く? とは言わないが、私が抱いていた順番とは大いに違っている(ような気がする)

父が老齢になって、車を廃車にした。あてにしていた路線バスは廃止になり、老いるた父と叔母(94歳)は、行動範囲が制約されていた。帰省した私も同じで、日頃お世話になっている(父が)方へのお土産配りも、徒歩になった。

何でも売っていた万屋は姿を消し、何でも売っているコンビ二が一軒あるだけの町。生活のすべてが車で成り立っているように、過疎の町に不似合いな大きな道路を車がスピードを上げて走っている。ここはUSかと見間違う。

私は徒歩で昔小学校へ通った旧道を歩いた。子供の足であれほど遠かった道のりは、懐かしさもあってそれほど長くは感じなかった。大きな道路に面した町が、けたたましく変わっていたったのとは対照的に、旧道沿いの街並みは私が小学校に通った当時とさほど変わってなかった。懐かしむ分には何もいうことはないが、実際に生活している人たちにとってはどうなのだろう・・・と、同時に考えてみる。

古い公民館の看板が、新しくコミュニティーハウスと書き換えられていた。コミュニティーと書かれて、叔母はそこがなんだか分かるだろうか・・・。何でも、かんでも、地域に住んでいる人の立場からではなく、大きな投網をかけられる様に、地域が『再編』されていく。これはたいへんだ。

父の部屋に座って、父の話を聞いていた。昔むかしの話。暴露話から、しんみり話。ずっと聞き役だった。つい居眠りをしてしまう・・・と、父に怒られ、起こされ、また話を聞く。それだけ元気になったんだね と思いながらも・・・・つい、逃げ出したくもなる。

最終日になると、あーあ、もっと・・・・もっと・・・・という、後悔が残る。ごめんね。また、行くからね。

そうだ、父は誕生日に何がしたかったのだろうか・・・・・。買い物もままならず、父と囲んだ食卓は冷蔵庫にあったものを使ってのささかな手料理だった。それも含めて、また今度ね。

コメント
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