使い慣れた○○ と、同じように、使い慣れた言葉が誰にでもあるのではないかと思った。ふと、思った。
実はこれは、逆のアプローチから、思ったというより、気付いた・・・・かな。
私が育った環境では、『ごめんなさい』という言葉が、あまり無かったような気がする。そこで、大学生となって親元を離れたとき、友達から お前ちゃんとあやまれないとだめだぞ と言われた。
母親となってからは、つとめて自分が悪いと感じたときは、子供たちに『ごめんなさい』と、言葉に出して誤った。それは大学時代から指摘されていたように、自分が 『ごめんなさい』を使い慣れていないと自覚していたからだ。子供たちには、自分の非をきちんと認めて、誤れる人に育って欲しかった。子供たちといっしょに、私も一から出直した感じだった。
最近は、携帯電話でのメールのやりとりがやたらと増えてきた。連絡網にはこれは便利だ。一軒ごとに電話することもなく、一斉送信でことは足りてしまう。ありがたい。
メールになって言葉がそこに残っているので感じ始めたのだが、だいたいの会話はキャッチボールのように、同じボールが行ったり来たりする要領で、同じ動詞が飛び交う。主格は入れ替わるから、同じとはいかない。
たとえば、ごはん食べた? 食べたよ。 ランチ行かない? うん行こうか。・・・みたいな感じ。
ところが、中に、その言葉を返してこない人がいる。食べる とか簡単で無害な言葉ではなく、例えば、好き とか 嫌い とか、ちょっと考えられない影響が及ぼされるかもしれない・・・?はは・・・言葉かな。
そっか、使い慣れていないんだ。
もっと掘り下げると、あまり言われてこなかったんだあ・・・ となる。日常会話の中で使われないと、知っていても使い慣れないことばになっていく。言葉にも環境によって、人によって、使い慣れない言葉と、使い慣れた言葉があると分かったときは・・・そうだったのか・・と、なにかが腑に落ちた!気がした。
これは、メールのやりとりで誤解が生じないようにするには、結構大切な前提だと思うのだが・・考えすぎだろうか。