今日は切ない引継ぎをしてきた。ラブビー部をやめる部員のお母さんから、お願いしていた仕事を引き継いだ。親の会の会計をお願いしていた。
ノート渡しておしまいでは、悲しかったのでランチを食べながらあれこれと話してきた。あくまでも子供たちのこと。親の出る幕ではないので、あれこれと子供たちに対して口を挟むことはお互いにない。ただ、娘、息子が悩んでいる、傷ついている様子を心配しない親はいない。お互いの親としての気持ちを出し合ってきた。
ラグビーが嫌いなわけではない。部員が嫌いなわけではない。なのにどうして、こんなことになるのだろうか・・・・。
土曜の私のテニスの打ち上げは、それはそれは楽しかった。なんで楽しくさわやかなのか? それは、そこには悪口もなく、感謝の気持ちに全体が包まれているからだろうと思う。コーチに対しては、全員が感謝の気持ちを持っている。コーチの一生懸命な気持ちと、豊かな愛情が私たちに伝わるからに他ならない。
全員が口々に、コーチに出会えたことを幸福だと形容した。すごいことだ。スゴイ人だよ全く、私たちのコーチは。
しかし、思わぬ形で、その席上で、他のコーチの不慮の事故について知ることとなってしまった。明るく大らかな人で、そのコーチがいるだけでコートの中が、明るく朗らかな雰囲気に包まれる、そんなコーチだ。そのコーチが交通事故でテニスができない体になってしまわれたという。言葉が出なかった。
人と人との出会いを考えた。出会ってそこから、様々な局面が起こってくる。出会いがなければ、何にも起こらない。考えたからといって、今更何が変わるわけでもない。それでも、あれこれと、人と人の出会いを考えずにいられない、雨の日の午後になった。