新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

Native speaker論

2014-11-29 10:26:47 | コラム
何故Native speakerが良いと思うのか?:

先ずこの言葉の意味を探ってみた。Oxfordには”a person who speaks a language as their first language and has not learned it as a foreign language”とある。私は非常に明解だと思う。だからこそ、我が国では外国語の中でも最も神経を遣っている英語を教えて貰う為には”native speaker”が良いと思うのだろう。だが、私はこれは暴論だと思っている。

何故かと言えば、国語を考えてみよう。北から言えば東北弁があるし、関東地方に来ても茨城の方言もあれば、中部に行けば静岡県だけでも富士川を境にして東西で違ってくるし、名古屋弁もあるし、関西に行けば京都、大阪、神戸でも言葉は微妙以上に違うではないか。中国、四国、九州でも独特の表現もあれば訛もある。だから共通語(標準語、公用語)があるという理屈か。その何れを外国人に教えても良いとの理屈は成り立つまい。

これと同様に、同じ英語を母国語にする国でも「これが同じ英語か?」と思わせてくれるほど国毎に違う英語を話している。簡単な例を挙げれば、アメリカに行けば東海岸、南部、西海岸では英語に違いがあるし、人種によっても微妙に異なってくる。UKでも同じ現象がある。嘗て私が「日本では標準として西海岸の英語を」と言ったところ「英連邦をお忘れだ」との批評を頂戴した。冗談ではない、”Queen’s English”も”London cockney”もオーストラリアやニュージーランドの英語も承知の上で言ったのだが。

W社にはニュージーランド人もいれば、カナダ人もいたし、ウットリとさせられたほど美しいQueen’s Englishを話すオーストラリア人の奥方がいたマネージャーもいた。OxforのMBAを持つニュージーランド人の副社長もいた。だから、彼等の英語がどういうものかを承知していた。即ち、アメリカの英語と何処が違うかは解っていたという意味だ。

即ち、native speakerが適任と思ってしまえば、これほど多くの異なった英語を話す何処の国から連れて来ても良いということになるのだ。私が正調のアメリカ西海岸の英語が良いだろうと主張するのは、我が国の人にも発音しやすいと言えるし、人口の点から見てアメリカ語を話す人が世界で最も多いと経験からも考えたいたからだ。更に言えば、少なくとも重要な同盟国だから。

勿論、Queen’s Englishの美しさも上記のように十分に経験している。更に言えば、Elizabeth女王や故Diana妃のような美しさであるとか。美智子皇后の発音は非常に美しいのだ。

「そう言うならば、UK、就中Englandからnative speakerを招聘すれば良いではないか」という論が出そうだが、「UKで本当に格調高いQueen’s Englishのような英語を話せる人の比率がどれほど低いか承知で言っているのか」と問いたい。その少数派から我が国まで来て小学校の児童にまで教えようという篤志家がどれほどいるかを考えて貰いたい。その篤志家が外国人に母国語を教える資格、で悪ければ技能を持っているかも考えて欲しい。

この理屈はアメリカ人にも当てはまる。貴方は「これは南部訛で我が国で教えるのは適切ではない」と判定できるほどアメリカ語の違いをご承知かとも伺いたい。「クリントン元大統領には何と出来ないのかと言いたいほどの南部訛があったと聞き分けられる人が、どれほど我が国にいるか」を考えたことがおありか。「オバマ大統領の英語にはウンザリさせられるほど品格に欠けているかが解る」と指摘できる人がどれほどいるのだろうか。

オーストラリアの(現職だったかどうか記憶はないが)の首相は、解りやすいたとえを挙げれば、公式の国際的な席でも”Australia”を平然と「オーストライリア」や”today”を「トゥダイ」のように発音される訛を持っておられた。だからと言って、首相の英語には品位がないと言えるのか。だが、「こういう類いの訛がある英語を我が国で教えて貰っても良いのか」というのが私が指摘したい問題点だ。

他にもヒラリー・クリントンのように”R”を響かせる発音をするアメリカ人もいる。私はこの種の発音は推薦したくないが、これを真似ている同胞が多いということは、こういう教え方がされているかと疑いたくなる。この種の発音はUKに行けばなくなると言って誤りではない。ではUKの人を連れてくるかという論旨の飛躍も採りたくない。だから、比較的に”R”で舌を巻かないアメリカ西海岸の英語を推薦したのである。実は、これに近い正確な英語を話す同胞は案外に多いのだ。

私は”native speaker”を全面的に否定しているのではない。厳選せよと言うだけだ。そして、その選び方が問題であり、我が国に厳格な判定を下せる方が文科省なり、英語の先生方にどれほどおられるかが気懸かりなだけである。そして、どのような英語を採用するかについては、アメリカ西海岸も正調Queen's Englishの何れも良いと思っている。問題は「そういう正確で正調の英語を操る人を需要を満たすだけ招聘できるのか」である。

勿論、我が国にも「違いが解っている」人は沢山おられると承知している。だが、そういう方々が教職課程を取っておられて教員の資格をお持ちであるかないかだ。なければ、小学校や中学校で正規の教員に出来ないのではないのか。非正規雇用で教えさせるのかな。だが、その前に「何で小学校から英語やらせるの」という問題を提起したい。いや、この問題に撞着してしまう。