新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

アメリカという国 #5

2014-11-01 09:10:05 | コラム
アメリカという国は:

私は22年半もの間、アメリカの企業社会を内側から見てきた経験から語っているとお受け止め願いたい。

私は予てから「アメリカの全体像を100とすれば、1945年から接してきて1972年からはその企業社会の内部で22年半ほど見てきた結果でのその実態は、精々15~20程度だと思っている。我が国の一般的な方々に広く知れわっているアメリカは、失礼を顧みずに言わせて貰えば、5見当かと思っている。即ち、私は一般的に我が国に広まっているアメリカの実像の最大限4倍の知識で語っているつもり」と言ってきた。

換言すれば、私が接してきたアメリカはその沢山ある層の一つが主体で、それ以外のものを内側に入っていって見る機会などはなかったのだった。具体的に言えば1972年に転身したM社も1975年からのW社も大手製造企業であり、それ以外の例えば大規模小売業界などは買い物客として接する機会があっただけなのだ。

私自身を15~20とするのに深い根拠はない。それは、アメリカの50州のうちでその州の空港の外に出て町でも野原でも見た経験がある州を一つと数えて20としているだけのこと。換言すれば、如何にもアメリカを知っているかの如くに語っていると思われた向きもあるかも知れないが、全50州の40%を見てきたに過ぎない。

しかし、これはアメリカを地理的に捉えてのことで、私が見てきたアメリカは「そういう世界とは事前に調べもせず知りもせずに入っていった経済と言うか、企業社会の面でアメリカを支配する大手企業の世界」だったのである。そこにはアメリカ経済を実際に動かしている全人口の精々5%を限度とすると私が推定する、所謂アッパーミドルとそれ以上の範疇に入るだろう人々が経営の中枢にいるのだ。

その人たちと20年以上も日常的に接触し彼等の指示を受けて仕事をして、家族とも交流し、彼等の思想・信条、哲学、言語・風俗と習慣を知り、知性と教養と富、経営の実態を知れば、我が国に戦後から広まっている「自由で平等で民主的で開放的で、明るく朗らかな人たちで構成されているアメリカ」が、特にビジネスの世界では、虚構であると解ってきた。

それは言葉、即ち英語に対する厳格さ、教育方針(例えば子供を甘やかさない事)、服装と言うか身嗜み、礼儀、スポーツへの取り組み、食生活、家庭内の仕来り、車の格等々の堅苦しいまでの厳格さであり、特に服装に至っては我が国で「紳士の国に」と崇め奉られているUKどころではなく、ヨーロッパを知る人たちをも驚かせるほど細かく厳しい決まりがあるものなのだが。

私は1972年から約2年半を東海岸に本社を置く何事についても極めて厳格で誇り高き歴史ある言わば保守的きなメーカーで過ごした。そして西海岸の大手メーカーに転身して服装等の全ての面で驚くほどの開放感を味わった。西海岸とはそういうところかと思わせてくれた。

しかし、東と対比して自由であり開放的なのは一定の階級以下の者たちの間だけのことで、経営幹部や副社長以上の人たちの中に入れば東海岸と同様ないしはそれ以上のものがあると知るのに、さして時間は要らなかった。この相違点辺りも我が国では容易に受け入れられないだろうと思う。それは一般的に広まっている「アメリカという国」のイメージ(敢えてカタカナ語である)と異なっているからだろう。

ここで敢えてお断りしておきたいのは「私が語るアメリカは、このようなアッパーミドル以上の人たちが構成するアメリカである」と言うこと。即ち、繰り返し述べてきたことで、アメリカには多くの層が並んでおり、その層毎に異なる文化(で悪ければ風俗・言語・習慣)があり、受け取り方によってはその各層がそれぞれ独自に如何にもアメリカを代表する文化を持っていると錯覚されているのではないかと言いたいのだ。

私はこれまでに我が国には広く伝えられていなかったアメリカの企業社会の文化を語っているのだ。従って、それ以外のアメリカをアメリカと認識してこられた方々、言うなれば実体験ではなくアメリカを読書や勉強や経済的な統計資料等から客観的に見てこられた方々のご意見や見解と異なる面が多々ある状態になっても、別段不思議はないと考えている。

寧ろ願わくは「そういうアメリカもあるのか」という程度に大らかに受け止めて頂けるかお考え頂ければ、紙パルプ・林産物産業界の大手企業を20年以上も内側から見て対日輸出を担当してきた経験から語ってきたことが、少しは意義があるかと考えている次第だ。私は一時は自分を「ジャケットの裏地」に喩えたこともあった。それは、何事にもせよ、外から見えるものと内側から見えるものが異なっているのが当たり前だと考えているからである。