悪い冗談だろう:
恐らく反発される方が多いだろうと思う案件だ。そういう方には「日本語が未だ満足に出来てィナ子供に英語を教えて何の為になるか、誰がどうやって海外で議論も出来るし大学で経済学でも教えられるまでの次元の英語を教えるのか」をお考え願いたい。
ある会合で元小学校の先生だった女性と一寸語り合う機会があった。先生は寧ろ嬉しそうに正式に教科となったことを語っておられた。そこで、年来の持論を手短に述べて、如何に愚かなことかを力説した。先生は一瞬戸惑いの表情を見せたが、「私に教えろと今言われたとしても出来ない」とは言った。要するに、どれほど愚かなことかは全く解っておられなかった。私にはそれは当たり前というか普通なことだと思えた。
強調して上げたことの一つが「これまでに中学から教え始めて大学まで教えてきた『科学としての英語』がどれほど「話せる」という点でも効果を挙げてきたか(読解力は別だと言える)。国際人なる空想上の存在を子供の頃から養成する意味が何処にあるのか。今まで効果が出なかった教え方を、小学校の3年までに降ろせば効果が出るのか。native speakerを使うと言うが、その質の良し悪し、高さ低さを判定できる能力がある人がどれほどいるのか」だった。目を白黒された。
私がこれまでに小学校からと言うか幼児に英語を教えることがどれほど無意味かを何度も強調し、且つ機会を得れば語ってきた。だが、悲しいかな効果を挙げるまでに至っていなかった。それはある出版社のデスクがいみじくも(認識不足で言われた?!)私が無名な存在であるかからかも知れない。今週の運週刊新潮に藤原正彦氏が「管見妄語」で指摘されたことは、何と私の持論と全く同じだ。「藤原氏は解っておられる」と偉そうに言おう。少なくとも同調者がおられたと意を強うした。(失礼)
何度でも言うが、仏文学のYK博士が指摘された「我が国の世界最低の水準にある外国教育の手法を、小学校に下げて効果上がる訳がない」のだ。私は私と同様な勉強法で効果があった例を2~3承知している。それでは「Nが少ない」という方が多い。だが、効果が挙がっていないNがどれほどあるのかと問い掛けたい。藤原氏も「英語を使う職業につく希望を持つ者だけが中学校から全力ではじめればよい」と言っておられる。その通りだ。
申し上げて置くが、私はそういう為の英語を勉強した訳ではないが、職業としてアメリカの会社に転身しただけである。そして22年余を経て今日の持論に立ち至ったのだ。その経験もない人が国際人を養成しようなどと言うな。藤原氏もアメリカ人に国際人と呼べる者など一割もいないと書いておられる。これもその通りで滅多に出会ったことがない。国際人になる為には英語が話せねばと言うのならば、アメリカには国際人だらけだということになりはしないか。
恐らく反発される方が多いだろうと思う案件だ。そういう方には「日本語が未だ満足に出来てィナ子供に英語を教えて何の為になるか、誰がどうやって海外で議論も出来るし大学で経済学でも教えられるまでの次元の英語を教えるのか」をお考え願いたい。
ある会合で元小学校の先生だった女性と一寸語り合う機会があった。先生は寧ろ嬉しそうに正式に教科となったことを語っておられた。そこで、年来の持論を手短に述べて、如何に愚かなことかを力説した。先生は一瞬戸惑いの表情を見せたが、「私に教えろと今言われたとしても出来ない」とは言った。要するに、どれほど愚かなことかは全く解っておられなかった。私にはそれは当たり前というか普通なことだと思えた。
強調して上げたことの一つが「これまでに中学から教え始めて大学まで教えてきた『科学としての英語』がどれほど「話せる」という点でも効果を挙げてきたか(読解力は別だと言える)。国際人なる空想上の存在を子供の頃から養成する意味が何処にあるのか。今まで効果が出なかった教え方を、小学校の3年までに降ろせば効果が出るのか。native speakerを使うと言うが、その質の良し悪し、高さ低さを判定できる能力がある人がどれほどいるのか」だった。目を白黒された。
私がこれまでに小学校からと言うか幼児に英語を教えることがどれほど無意味かを何度も強調し、且つ機会を得れば語ってきた。だが、悲しいかな効果を挙げるまでに至っていなかった。それはある出版社のデスクがいみじくも(認識不足で言われた?!)私が無名な存在であるかからかも知れない。今週の運週刊新潮に藤原正彦氏が「管見妄語」で指摘されたことは、何と私の持論と全く同じだ。「藤原氏は解っておられる」と偉そうに言おう。少なくとも同調者がおられたと意を強うした。(失礼)
何度でも言うが、仏文学のYK博士が指摘された「我が国の世界最低の水準にある外国教育の手法を、小学校に下げて効果上がる訳がない」のだ。私は私と同様な勉強法で効果があった例を2~3承知している。それでは「Nが少ない」という方が多い。だが、効果が挙がっていないNがどれほどあるのかと問い掛けたい。藤原氏も「英語を使う職業につく希望を持つ者だけが中学校から全力ではじめればよい」と言っておられる。その通りだ。
申し上げて置くが、私はそういう為の英語を勉強した訳ではないが、職業としてアメリカの会社に転身しただけである。そして22年余を経て今日の持論に立ち至ったのだ。その経験もない人が国際人を養成しようなどと言うな。藤原氏もアメリカ人に国際人と呼べる者など一割もいないと書いておられる。これもその通りで滅多に出会ったことがない。国際人になる為には英語が話せねばと言うのならば、アメリカには国際人だらけだということになりはしないか。