新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

小学校3年から英語を教科化

2014-11-28 09:52:23 | コラム
悪い冗談だろう:

恐らく反発される方が多いだろうと思う案件だ。そういう方には「日本語が未だ満足に出来てィナ子供に英語を教えて何の為になるか、誰がどうやって海外で議論も出来るし大学で経済学でも教えられるまでの次元の英語を教えるのか」をお考え願いたい。

ある会合で元小学校の先生だった女性と一寸語り合う機会があった。先生は寧ろ嬉しそうに正式に教科となったことを語っておられた。そこで、年来の持論を手短に述べて、如何に愚かなことかを力説した。先生は一瞬戸惑いの表情を見せたが、「私に教えろと今言われたとしても出来ない」とは言った。要するに、どれほど愚かなことかは全く解っておられなかった。私にはそれは当たり前というか普通なことだと思えた。

強調して上げたことの一つが「これまでに中学から教え始めて大学まで教えてきた『科学としての英語』がどれほど「話せる」という点でも効果を挙げてきたか(読解力は別だと言える)。国際人なる空想上の存在を子供の頃から養成する意味が何処にあるのか。今まで効果が出なかった教え方を、小学校の3年までに降ろせば効果が出るのか。native speakerを使うと言うが、その質の良し悪し、高さ低さを判定できる能力がある人がどれほどいるのか」だった。目を白黒された。

私がこれまでに小学校からと言うか幼児に英語を教えることがどれほど無意味かを何度も強調し、且つ機会を得れば語ってきた。だが、悲しいかな効果を挙げるまでに至っていなかった。それはある出版社のデスクがいみじくも(認識不足で言われた?!)私が無名な存在であるかからかも知れない。今週の運週刊新潮に藤原正彦氏が「管見妄語」で指摘されたことは、何と私の持論と全く同じだ。「藤原氏は解っておられる」と偉そうに言おう。少なくとも同調者がおられたと意を強うした。(失礼)

何度でも言うが、仏文学のYK博士が指摘された「我が国の世界最低の水準にある外国教育の手法を、小学校に下げて効果上がる訳がない」のだ。私は私と同様な勉強法で効果があった例を2~3承知している。それでは「Nが少ない」という方が多い。だが、効果が挙がっていないNがどれほどあるのかと問い掛けたい。藤原氏も「英語を使う職業につく希望を持つ者だけが中学校から全力ではじめればよい」と言っておられる。その通りだ。

申し上げて置くが、私はそういう為の英語を勉強した訳ではないが、職業としてアメリカの会社に転身しただけである。そして22年余を経て今日の持論に立ち至ったのだ。その経験もない人が国際人を養成しようなどと言うな。藤原氏もアメリカ人に国際人と呼べる者など一割もいないと書いておられる。これもその通りで滅多に出会ったことがない。国際人になる為には英語が話せねばと言うのならば、アメリカには国際人だらけだということになりはしないか。

YM氏と懇談した

2014-11-28 07:32:28 | コラム
アメリカでのアベノミクスの評判他:

彼に会うのが何と9月12日以来のことだった。そして、昨日は当方がやや疲労気味で昼食を挟んで約1時間半で終わらせて貰ったのは残念だった。その中から多少興味がありそうな話題だけ採り上げて置こう。

26日の会合でアメリカではアベノミクスの評価が低いというか評判が悪いと言われた方が数名おられたので、先ず彼の意見を聞いてみた。彼は「そういうことではなく、第一と二の矢の効果は兎も角、第三の矢というかデフレ脱却と2%でも何でもインフレに本格的に向かっておらず、景気回復が未だしだという点を指して批判する声があるので、アベノミクスそのものへの批判とは受け止めていない」と答えた。

またアメリカの景気回復については「失業率が低下したという報道は実態を伝えていない。実態は非正規雇用者が増えた為に失業率の低下となって現れただけで、所謂フルタイムの採用が増えてきた訳ではない」と指摘した。さらに「金融関係では銀行が『借りて欲しい筋からは資金需要がなく、借りて欲しくないところからは融資の要望がある』ので貸し渋ってい姿勢から、住宅等の言わば大口の貸し出しを避けて自動車業界の不調を救う為に車のローンには応じる姿勢に変わっただけ」とも語った。

即ち、「住宅金融では大口ともなれば100万ドル単位にもなるが、車なら精々4~5万ドルから始まる小口に過ぎないのでリスクが少ないと判断したようだ。だが、その小口も積もれば山となる危険性も考えられるので、何時かは第二のサブプライムローンとなりはしないかと懸念を表明し揶揄する向きもある」のだそうである。

何ヶ月ぶりかで訪れた代官山だったが、言うなればfashionableなこの街に貸しビルも増えてきたそうで、昼時には多くの勤め人たちが人気が高いレストランに押しかけてくるので、かなり混雑するように変わってきつつあるとのことだった。事実、我々が入ったところでも、12時を過ぎれば満員の盛況で、代官山にも少し変化の兆しが見えたかと感じた。

日頃、新宿、特に衰退の一途を辿るKoreatownの近くに住んでいれば、代官山に行けば女性たちの老いも若きも皆きらびやかな服装をしているように見えて、やや気後れさせられそうだった。特に私の上司との間で言わば”slang”のように使っていた”white gaijin”が多いのにも目を奪われたし、違和感を覚えてしまう始末だった。

細かく言えば、ここ百人町・大久保界隈にはアジア系の人ばかりで、欧米人に出会うことは極めて希なことであるという意味だが。