新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

13年度の世界上位30ヶ国の紙・板紙統計

2014-11-22 17:29:47 | コラム
2013年度の世界上位30ヶ国の紙・板紙の消費量:

アメリカの紙パルプ産業界の調査機関、RISIが昨13年度の全世界の紙・板紙の生産と消費量の統計を発表した。それによれば、消費は対前年比0.7%増の4億364万 ton、生産は0.8%増の4億261万 tonとはなっていたが、欧州は消費が▲0.7%で生産が▲1.0%、北米は消費が▲0.1%で生産は▲0.3%という具合で、先進国は挙ってマイナス成長。我が国は消費が▲1.7%で生産は▲0.6%で、遺憾ながら先進国であることを証明する結果だった。

この理屈はICT化が目覚ましく進んだ先進国では印刷(紙)媒体の続落傾向が続き、それが紙・板紙の消費量の減少に繋がっているということだ。私は大変遺憾な現象であると捉えている。即ち、全世界の消費の伸びは中国を始めとする途上国での成長が支えているということだ。中国は消費量が2.0%で生産量は3.1%という先進諸国との対比では目覚ましい?成長を維持していた結果となっていた。

因みに、アジア30ヶ国ではでは消費が1.8%で生産は2.6%の伸びを示していた。さらに中国は世界第1位の生産国で1億469万 tonで、何と世界全体の26.0%を占めていた。アメリカが世界第2位で17.8%、我が国は第3位でありながら6.8%だったのだ。因みに、全欧州の175ヶ国でもシェアーは26.3%に過ぎなかった。今や、紙・板紙の消費量が減少することが先進国である証明になるという皮肉な世の中になってしまった。

そこで、私の主張である「中国を何かにつけて世界第1位と言うのはおかしい。その13億超の人口を考えて言え」に基づいて、上位30ヶ国の人口1人当たりの消費量を採り上げていこう。この統計では中国の人口は13億8,469億人となっている。

第1位は12年と同様にベルギーで294.5 kgで前年比▲1.9%、2位はオーストリアで250.6 kgで+2.1%、3位はドイツで236.2 kgで▲0.8%、4位はアメリカで224.0 kgで▲0.9%、5位が我が国で215.1 kgで▲1.6%だった。以下、第6位のフィンランドは+2.4%だったが、7位の韓国は▲2.8%、8位のデンマークは▲4.6%、9位のスウエーデンは▲1.0%、10位のオランダが▲0.6%だった。

このように上位10ヶ国中では2国がプラス成長だっただけの事実に、私はICT化の悪影響を見出さずにはいられないのだ。因みに、第20位はチェコで134.7 kgの▲5.4%、30位にはポルトガルが12年と同様に108.3 kgながら0.5%の伸びを見せていた。問題の中国は73.2 kgで対前年比1.4%の成長だった。とは言え、GDPと同様に、アメリカや我が国のほぼ3分の1程度で、30位のポルトガルと比べてもその70%位である。ここに人口が大きいことの影響があるのでは。

私はICT化の進捗が紙・板紙の需要にマイナスに作用するのもさることながら、これから先の世界の消費と需要の伸びを支えていくのは中国を始めとする新興勢力となることが益々明瞭になって来たと思わせてくれた統計だったと痛感する次第だ。最早、紙の消費量は一国の文明を表す尺度ではないのだ。

参考資料:紙業タイムス社刊 FUTURE 14年11月24日号

小学校での英語を教科化を批判する

2014-11-22 07:54:42 | コラム
小学校から英語教育はお止めなさい:

先日の私の「何で英語やらせるの」に対して、海外駐在の経験豊富な専門商社の輸出入業務の責任者が、下記の<>内の意見を寄せて下さいました。彼も勿論批判はである。そこで、それに私の経験談で補足します。

引用開始
<勿論、二か国語を頭脳が固まっていない内に勉強するとなると、どっちつかずになってしまう事が最も懸念されます。>引用終わる

この点は私も重要な問題だと確信していますが、高級官僚や世の学識経験者や有識者はそうとはお解りではないようなのが悲しいのです。

1972年8月、私は生まれて初めてアメリカにtrainingとして行かされて、帰路はカナダ西海岸のBC州Vancouverから。免税店で買い物をしようとした際に気に入った品物が予算より高かったので、つい”Jesus Christ!”と言っていまいました。すると英語で相手をしてくれていた日系人のおば様が血相を変えて、

「貴方は今何と言いましたか。それが”swearword”であるくらいは承知しているでしょう。一寸くらい英語が上手いからと自惚れてそんな言葉を使うとはとんでもない間違いです。取り消しなさい。私は戦時中の育ちでキャンプに隔離されて勉強をさせて貰えず英語も日本語も共に中途半端になりました。ではあっても、”swearword”を使ってはならないことくらい知っています。そういうことですから、貴方も十分に注意なさい」

と、当に声涙ともに下るお説教でした。私は黙って頭を下げて聞いているだけでした。何とも有り難いお話しだと思って傾聴しました。こういうレッスンは学校では教科に入っていないでしょう。私はまたとない機会を得て学びました。

英語とは如何なる言語か、日本語はどういうものかも解らない子供に英語を教えてしまうと、言葉遣いとしての良し悪しの判断が出来ない危険性があると思うのです。即ち、どれがチャンとした上品な言い回しで、どれが”swearword”のような一定以上の階層のものが使ってはならない品格がない表現科は判断出来ないでしょう。私はこんなことに立ち入る前に国語をキチンと教えることを優先すべきと信じています。英語などそれから後で十分間に合うのは自分で立証してあります。

ここでの要点は、冒頭の貴方指摘された<>の中の事柄でしょう。小学校から英語などを教える過ちを犯せば、英語どころか日本語も中途半端に終わる危険性が高いと断じます。こんな簡単なことが解らない政府の委員や学識経験者や有識者などは、度しがたい無意味な「英語崇拝者」ではないでしょうか。