新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

我が国の英語教育に見える混乱

2014-11-08 08:17:12 | コラム
我が国の英語は混乱している:

人気俳優のブラッド・ピット主演の”Fury”という映画が来るのかあるいは来ているらしい。その邦題は「フューリィー」だとテレビのCMで連呼されている。またかと思って、念のために辞書を調べてみた。即ち、私が忌み嫌っている”security”=「セキュリティ-」というおかしなカタカナ表記と同じ誤記で悪ければ、おかしなカタカナ表記かと思ったからだ。念のために申し上げておけば、私は「セキュアラティー」派である。

ということは、”fury”は「フュアリィー」と表記されるのが望ましいとお思っているという意味だ。先ずジーニアス英和だが、その発音記号には「フュアリィー」となっており、次ぎに英国式で「フューリィー」となっていた。ところが、Oxfordではその逆で「フュアリィー」が先発で、アメリカ式が「フューリィ-」となっていたのだった。「アレ、アレ」だった。

そこで急遽”security”の再確認を行ってみた。Oxfordでは「セキュアラティー」が先で、アメリカ式が「セキュリティ-」なのだった。ジーニアス英和はその反対でアメリカ式が「セキュアラティ-」で、英国式が「セキュリティ-」なのだった。此処まで来て私の頭の中は十分に混乱させられていた。私は長年アメリカ人の中にいてアメリカ式と英国式を混合して使っていたことになったからだ。反省すべきかも知れないと、やや慌てた次第。

正直に言えば、話す時にその発音が何れの国の方式かを意識したことはほとんどない。綴りを思い浮かべて感じたままで発音してきただけ。その経験から”security”は「セキュアラティー」だと閃いたのである。実は”fury”という言葉を使った記憶はなかったが、”furious”はあったかと思う。感覚的には「文語」であって話し言葉の領域にはないと捉えていた。日常的に英語しかない世界にいれば、一々辞書など見ている暇がある訳がない。(言い訳か?)

次は近頃テレビCMにで来る蒸気を使った掃除機(なのだろう)で、「スティーム・イズ・サイエンス」と言っているのがある。言いたいことは解るが、これは極めて不適切な英文擬きであると思う。これだと(本当に英語にすると、という意味だが)「蒸気と科学が同じもの」だと言っていることになってしまうのだ。何を言うのかと言われそうだが、そうなるのであって、ここが我が国の英語教育の成果?として良くある文章なのだ。

どう考えても蒸気と科学が同じものである訳がないだろう。ここで、私が瞬間的にこのCMが表現したかったら何と言うべきかを考えて、答えが出てこなかったほど難しい概念というか内容なのである。正確に言いたければ長文になりそうだとは思ったが、CMならば簡にして要を得ていなければなるまい。そして捻り出せたのが、”Steam is like science itself.”だったが、これでは舌足らずだと思わずにはいられなかった。

次は”The nature of steam is like that of science.”かな、となった。本来は「水蒸気を分析すると、それは科学そのものである」と言いたいのだと思うのだが、これを英語にすれば多くの表現の仕方があるだろうと思う。英語とは、このように面倒くさい言語であって使い方が難しいのだ。

私が言いたいことは「英語で何かを言いたい時には言葉をケチらずに表現したいことをなるべく多くの言葉を使って、省略することなくと言うか『ここは言わなくても察してくれるだろう』と考えることなく細部まで言わないと、思うことが完全に伝わらない危険性がある」なのである。即ち、以心伝心や相手の心の中を読んでくれることがない言葉を操る人たちの言語であることを、忘れてはならないのだ。

私はここに「文化と思考体系の違い」を見出すとともに、我が国の英語教育には「Englishとは如何なる性質の言語かを考えて」改善すべき余地がありはしないのか、と言いたいのだ。英語とは他所の国の言葉であり、国語と同じように考えて教えても、学ばせてもいけないものなのだ。