新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

価値観の違いを考える

2014-11-25 08:35:02 | コラム
マスコミと私の価値観の違い:

今朝も何処の局だったか、白鵬が大鵬の32回(だったか?)の優勝記録に並んだことを賞賛するかの如き内容の放送の仕方をし、白鵬が「もう泣かない」と言ったの言わないのということを採り上げていた。私はこのような報道の仕方を「テレビを含めたマスコミが彼等の価値観を押し付けているのだ」と受け止めて苦々しい思いで聞いた。大体からして、我が国の全ての人が相撲の愛好者ではないだろう。私はその一人だが。

確かに、白鵬の記録は立派なものであるし、金田正一の400勝、イチローのMLBでの多くの新記録、錦織君の世界ランキング第5位、一寸違うかも知れないアマチュアの吉田沙保里の世界選手権10連覇とオリンピック3連勝等々にも並ぶ偉業だろう。

だからと言って、我々で悪ければ私にまで、その偉業を讃えよとばかりの姿勢で報道するのは如何なものかと批判したい。私は相撲にせよプロ野球にせよ、お客様に入場料を払って見に来て頂いてナンボの世界ではないのか。彼等は歌舞伎の役者ほどではないかも知れないが、お客様を”entertain”=「楽しませる、慰める」のが職業である。その慰めの仕方が出来が良くて当然なのだと、私は思っている。歌舞伎の役者だって同じ範疇に入れて良いだろう。

「楽しませ方と慰め方」の出来が非常に良かったのは寧ろ当たり前のことで、礼賛せよとの価値観を押し付けることかと疑うのだ。マスコミ、特に中継したり、報道するのが仕事の者たちは、その成績を讃えるのも当たり前だろう。業績を挙げる為に彼等の価値観で報道するのも当然だが、その価値観を観る者や聴く者に押し付けるのは筋が違うと思うのだ。

アメリカを語る時に述べたが、私は我が国でもスポーツのように競争であり且つ興業でもある層、相撲は純粋のスポーツと言うよりも歴史的に観ても興業の色彩が濃厚だと思う世界であり層でもあるもの、映画・音楽・アイドルの層といった具合に、それぞれが横一線で並んでいると思っている。その各層での成功者を「良くやった」、「良く楽しませてくれた」という風に褒めるのは結構だと思う。だが、だからと言って礼賛や賞賛や崇めることの対象にするのは如何なものかと思う。

即ち、マスコミの価値観で放送か報道することを批判する気はないが、その価値観を押し付けるような勢いで採り上げて、批判や否定する見方が出来ないような若年層にまで影響を与える結果になっている気がしてならない。彼等のやり方を見ていると、AKB48やジャニーズのような連中が青少年の価値観となってしまったような気がしてならないのだ。即ち、後難を怖れていえば、私は価値観の押しつけのマイナスの効果が出ていると言いたいのだ。

私は海外と国内のサッカーや野球は楽しみつつも冷静な評論家として観る姿勢は忘れない。メッシやロナウドや香川や本田や岡崎がどんなに良いプレーをしても賞賛はするが礼賛はしない。それが彼等の職業なのだから。何処までいっても私の価値観で観ている。これが血液型のAがなせる業かも知れないが、楽しみ且つ批評するのが私の価値観であり、私でもある。