新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

高齢化社会に触れて思うこと

2014-11-15 16:15:23 | コラム
引退後の世界に入って楽しむ心の準備があるか:

某専門商社を定年退職し、第二の職を得てそれまでの経験を活かして活躍していた海外経験豊かな友人が、先頃第二の職場も定年に達することになった。そのを前にその商社の知人が私も交えた送別の昼食の機会を設けてくれた。単なる偶然だが、彼は私と同じ大学の出身者だったので、何となく親近感があった。

穏やかな人物だが皮肉屋でもある彼は言った「本当に仕事を離れたら一体どうやって過ごしたら良いのかが見えてこない。先日、試みに家の近所の都下のM田と銀座から有楽町界隈を散歩してみた。そして失望落胆した。何処に行っても真っ昼間から数多くの老人が徘徊しており、その服装(ナリ)と言えば皆一様に爺むさいジャケットを着て古くさいズボンをはいて安物のスニーカー。しかも誰もがショルダーバッグを斜めにかけているではないか。

俺も間もなくあの仲間入りをするのかと思うと寒気がした。あのようなナリも歩き回りもすまいと固く心に誓った。だが、そうしなかった場合には何をするのかと問われれば、完全に『ノー・アイディア』。さりとて在職中は偶に出掛けられるから趣味だと言えた長距離のサイクリングを毎日やっていては新鮮味にかける。貴方は何をして20年を過ごしたのですか」とあらためて問い掛けられた。

彼が私が20年間してきたことを知らない訳がないので、答える必要もないと思った。私のように偶然の機会に恵まれて昨年まで仕事があったような場合を別にすれば、彼が嘆いたように定年後の時間の使い方を難しい問題なのかなと今更ながら認識した。家人に無趣味と誹られていても、多くの方のご厚意もあって、何とか二度の心筋梗塞までも乗り越えてきた幸運に感謝すべきだと再認識した。

そこで小田原で発見できた高齢者群の旅行である。そういう過ごし方もあるだろうが、矢張り集団行動になるのかなと痛感していた。余程の一人旅に慣れてない限り、何時も単独行動で旅に出るのは容易ではないのではと考えていた。故にご夫婦と見える二人組が多いのもまた当然だろうが。

ところで、昨日は当方が何故か過度に疲労したこともあって、帰路は小田急のロマンスカーに投資した。すると、通路を隔てて反対側に座席の向きを変えて対面式にして低い声で穏やか口調話し込んでいる人品骨柄卑しからざる3人組の老人がいた。窓際には缶ビールの空き瓶が何本か並んでいた。

聞きたくなくても、未だに聴力が衰えていない私には何を語り合っているかは聞こえて来てしまう。それは(失礼を顧みずに言えば「恐らく日本の会社で定年まで過ごされた方にとっては普通の話題だろう」となるが)驚くべきことでもなかったが、終始一貫して会社の思い出だったのだ。「誰が移動してきたこうなった」とか「あの方が亡くなってこう変わったのは」とか「あの場ではこういう裏があった」とか「我が社では・・・」いったことを表情も変えずに延々と語り合っていたのだった。

私は文化の違う日本の大手企業内ではこういうことになるだろうし、そこを語り合う為に箱根(ロマンスカーは箱根発である)に旧交を温めに行ってこられたのであろうと、寧ろ微笑ましいとさえ思って座り聞き?していた。ところが、事態はそういう生やさしいことではなかった。新宿の手前で1人が途中下車された後でビールの空き缶を捨てることになった。

その担当は窓際に座っておられた恐らく往年の偉さの順番が最も低かったのだろうと家内と推理した方が立ち上がって、缶を手で潰して両手に抱えて立ち上がった。すると、通路側の席の上位の役職者だっただろう方は微動だにせず「ご苦労様」の一言で、ゴミ捨て役の方は恐縮しながら前を通り過ぎて役目を果たし、又失礼して窓側の席に座ったのだった。席を替わって上げれば良いじゃないかと思って見ていた。

私はこういう仕来りを否定したくてこういうことを書いているのではない。私だってこういう世界で17年を過ごしてからアメリカの会社の変わったのだから。そこには年齢・性別・国籍で人を差別することを法律で許していない世界があるということ。その何れが良いとかどうのということではない。あのアメリカの世界だって年功序列もあるし、偉さに順番の厳しさというか身分の違いがえげつの現れ方などは、時と場合によっては我が国の比ではないのだ。

私はアメリカ人はその身分差を瞬間的にも忘れさせる為に「ファーストネームで呼び合う習慣を導入したのではないのか」とすら疑っている。その両国間の違いを語ろうと思えば、結局は「文化の違い」に持っていくしかない。しかも、彼等にはリタイヤー後に何年経っても仲間が集い古き良き日を語り合う文化等ないと理解しているが。アメリカでは、リタイヤー後も個人単位で過ごせということらしいようだ。

習近平は無礼なのか

2014-11-15 12:30:34 | コラム
習近平は単なる礼儀知らずだと思うのです:

中華思想だの何のと申しますが、結局は中国人は「自分がルールブックであり、審判でもある」と思い込むことが、他の世界では受け入れられていないと知らない裸の王様の如き哀れな存在と思います。所詮は大きな面積の田畑を持つ田舎者で、先天的と言いたいほど西欧人のような社交性が欠如し、社交辞令で局面を誤魔化す技術すら持ち合わせがないと思いました。

私は今朝の何処の局だったかで青山繁晴が指摘していた「習近平の数々の無礼な振る舞いは単に言語道断であるのみならず、厳重に外務省から抗議すべきでは?」と思っていました。だが、どうやら外務省は事前にあの扱いを承知していたかのように青山の解説が聞こえました。あの時の画面には非礼な握手の前では、習近平はカーテンの陰で一旦立ち止まり、それを誘導する手下の動きも出ていました。全てが筋書き通りだったのです。そのカーテンには日章旗が出ていないのも見破っていました。

もしも、外務省は未だにチャイナスクールのような者どもが先頭に立っており、事前にあの形での形だけの握手の場面を知られ、それを事前に総理に報告して習近平の企みの裏をかくシナリオを作っていたのだったならば、外務省を拍手喝采します。ではなかったのならば、彼等は我が国を貶めるような中国の振る舞いを看過する気だったことになります。安倍総理がそのような突発の事態をよく我慢をされたとなってしまいませんか。

しかし、あの振る舞いが世界に向けて報じられたので中国と習近平は墓穴を掘ったという見方もあるでしょう。だが、外務省が看過して何も言わなかったのならば「今後もこれまで通りに日本を侮辱してままで良いのだ」という先例になりはしないかと危惧します。習近平の国内向けジェスチャーだったといういうなお為ごかしの報道を私は認めたくありません。

一部のマスコミ報道のように、中国の「日本も勉強になっただろう」などという戯言の言い分を嬉々として伝えているようでは、今後も甘く見られ続けるでしょう。中国から押し付けられた報道協定を墨守しているのだったならば、そう言って報道すれば良いのかなとすら思ってしまいます。

私は外務省は中国に対して「論争と対立を怖れ」ている間は、対中国の交渉だけではなく、北朝鮮を相手にした拉致問題の交渉は進む訳がないと危惧します。言うべき事を何者をも怖れずに言わないと、相手を動かすことは無理でしょう。一部の報道では伊原局長が語気を強めて「本当の調査をせよと迫った」とあります。これは当たり前のことが言えただけではありませんか。

即ち、外務省は対北朝鮮に向かっては国交回復が優先であり、以前から報道されていたように「拉致被害者の取り戻しは二義的である」という推定を証明しただけではないかと思えてなりません。私はビジネスの場では何度も何度も「貴方の気力と体力が持つかが心配だ」と得意先に気を遣って頂いたほどの「論争と対立」を経験していますが、外務省の方はどうなのでしょうか。

「こんな不愉快な交渉を長時間我々に強いた連中と晩飯など食えるか」と、会談終了後の当方の申し出を受け入れず文字通りに席を蹴って退出されたような経験がおありでしょうか。我々は翌日の再会の確約をとってから別れ、翌日に手打ちに持って行けましたが。相手が本当に我が国(ビジネスならば自社)と切れても構わないのかくらいは読んでかかるべきだし、相手側だって腹は決まっているはず。そこが駆け引きでしょう。

それにしても、何で通訳がそれのみしか出来ないとしか思えない女性なのでしょうか。その女性がそこまでの全部の経緯と総理の秘密事項であるべき腹の内を事前に知らされているとは思えないのです。だからこそ私は責任がある担当者であっても「通訳もする当事者」と自称して、国際的な交渉の場に臨んでいたのです。

高齢化社会体験記

2014-11-15 08:43:53 | コラム
高齢化社会を実感:

13日は小田急線の小田原経由で熱海に出かけた。小田原に行ったのは5年ほど前のことだったが、その駅での様変わりと言うべきか小田急のプラットフォームと小田原駅の所謂コンコースを埋める前後期高齢者の波に圧倒された。凄い人数の老人が単独、夫婦、集団(グループだってカタカナ語だ)で歩き回り、土産物屋で物色し券売機も前に立ち塞がる様には「これぞ高齢者社会」と実感させられた。

正直、この状況は予期していなかったので、家内とともに驚き且つその数に圧倒されたのだった。高齢者の中には杖をついておられる方も多いし、歩行器を押して人波を押し分けて進んでおられる方も見受けられた状態で、その元気なことには言葉を失うほどだった。私には小田原にこれほど人気がある訳が解らなかったが、恐らく箱根に行く途中なのだろうが、それなら小田急にそのまま乗っていけば済むことでは等と余計な考えていた。

「オレオレ詐欺」などの被害のニュースでは高齢者は数百万、時には数千万円の単位の高額な現金を直ちに用立てて(詐取されて?)いると報じられているのを聞く度に「よくぞ瞬間的のそれほどの準備が出来るものだ」お驚き呆れその豊かさに感心していた。しかし、嬉々として小田原ないしはその先に出掛けて行かれるからには、それを賄うだけの資金が準備されているのだろうし、この光景を見れば詐欺団が標的に設定する訳だと妙な感心の仕方をしていた次第だ。

さて、我々はそこからJRで熱海に向かうのだが、改札口の前と言うか上に大きな横断幕が掲げられており「熱海から先はスイカもパスモも有効ではないので乗車券を買うように」とあった。初耳だった。一般のカード保持者はこの制約を何処で知らされるのだろうま。熱海以遠で降りて無効宣告をされたらどうなるのかなと他人の疝気を思いつつパスモで改札を通った。

JRに乗車して車中で「これは何だ」と驚き且つ不愉快な目に遭った。それは4人が向かい合って座る従来型の車内で、空いていた席に座ろうとする時に、本当の物凄いダッシュで我々の脇をすり抜けて追い抜いた老女が、空席に荷物を放り込んで残る3名の仲間に「ここが空いている」と叫び、私を無言で押しのけて座ってしまったのだ。驚き呆れる典型的な高齢者の仁義なき振る舞いだった。

実は、往路の車中でも、この方式で押しのけられてしまって、高齢化された女性の厚かましさには「やっぱりか」と寧ろ感心させられ、孫子の模範にはなるまいなと、少しだけ残念に思っていた。

礼儀作法の問題はさて措くとして、熱海の町中で陳腐な土産物を売る商店街の店を大人数で占拠していたのも高齢者。私はこの所作を批判するよりも、巷間伝えられているように高齢者には相当な可処分貯蓄があるのだと、あらためて実感させられたのだった。さらに、有り余る暇を持て余すことなく、こういう方法で使っていれば安倍総理を悩ますGDPの成長率に少しは貢献するのではないのかと、お節介なことも考えていた。

私は既に何人かの同世代の友人から「このままなけなしの金を使わずに逝ってしまったらな何にもならない」と聞かされている。尤もだとは思うし、自分でも考えねばならぬかとも思う。財務省に為す術もなく蹂躙されて増税等の好ましくない手法で高齢者層から収奪することばかりをやらされている政治家は、少しは高齢者が楽しくお金を使って余生を過ごせてなお且つ財政の健全化に寄与させる方法に頭を使えよと言いたくなった2日間だった。

実は、図らずも高齢化社会を荒波を経験したせいか、折角静養のつもりで出掛けた温泉宿の度で、寧ろ疲労困憊して帰ってきたのだった。