新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

的外れなアンケート調査

2014-12-15 13:46:57 | コラム
安倍政権に望むことが景気対策だそうだ:

マスコミがしきりに行うアンケート調査(誤った表現である。「世論調査」と言う方がまだ良い)で最も多い答えが景気対策だと報じていてる。私はこういう尋ね方をする方もする方で、答える方も如何なものかと思う。間違いであろう。如何に安倍政権が立派な内閣であっても、総理以下が直接市場に乗り出して懸命且つ具体的に景気浮上に努める訳ではないと信じている。

以前にも指摘したことで景気浮上は企業、就中、経営者が最善の努力するべき事であり、如何に多くの経営者の質の劣化があっても、彼等がその責務を負っていると承知していないとは思いたくない。「成らぬは人の為さぬなりけり」ではないのか。政府の公共投資で潤う業種などは限定されているとは何度も立証されてきたこと。

私は企業側が一意専心すべきことは多いと思っている。順序不同で列記していけば(卵が先が鶏かという理屈ではない)、昇給、人員配置と生産設備の合理化、エネルギーコストの合理化、販売価格の合理化(必ずしも値下げではない)、新規市場の開拓、製品の品質改良と改善、時代に適合する新製品の開発、究極的には雇用の増大、陳腐な言い方で恐縮だが国際競争力の向上と強化、為替対策等々と枚挙に暇が無い。

利益が挙がらないから、人員を縮小したいから、自らの地位を安泰のところに置きたいから、政府の対策を待ちたいから等と経営者が考えていたり期待していたとすれば、それでは本末転倒である。勿論、私でさえもアメリカのように経営者に権限があり、労働市場に流動性があれば思いきったリストラや不要不急設備の売却や合理化と言うか、過剰設備の廃棄等の手法に打って出られるだろうし、M&Aや経営統合や業界再編という手段もある。これらが我が国の経営の風土に合わないくらいは承知で言っている。

既に述べたことで、アメリカの世界最大の製紙会社”International Paper”等は2007年に経営体質転換と称して、アメリカ国内の製紙業からほぼ撤退し、これから先の成長が期待出来ると称する”Brics”を主たる新規投資先として、従来の売上高を維持して見せたし、利益も確保している。私は何もこの模倣をせよと言うのではなく、こういう工夫があっても良くはないかと言いたいだけである。現に我が国でも立派に経営体質転換を果たした会社があるではないか。

そこまでやらずして、非正規雇用を増やしてみたり、円安インフレに手を拱いているようでは仕方がないということだ。そして、無責任なマスコミにアンケートなどさせて、景気浮揚が政府の責務であるが如き論調を許すようでは、経営責任を果たしていないとみなさざるを得ない。私が1997年に業界の専門誌に連載させて頂けたコラムの第1回目の題は「何でもありの時代」だった。これからも「何でも可能なことが起きる時代」は続いていくだろうし、それの備えが必要だ。

ICT化などがこれほど進んでしまった現代では、これから先には何が起きるかなどは予測できるわけがない。そこをにごく短期的先を何とか読み切ってでも、経営を建て直していく為に経営者たちはそれなりの高額の年俸を得ているはずだ。自分から打って出て、自らの会社の手で景気浮上を模索していくべきではないのか。一般市民も無責任なマスコミの調査などに乗せられないで欲しいのだ。

彼等国民の皆様も「自らが景気浮上の責務を担う一員」との自覚を持って働いて貰いたいと望むのは誤りだろうか。いや、そんなことはあるまいと信じている。アベノミクスは政権担当者がその景気対策の軌道を設置しているだけではないのか。

サッカーの話

2014-12-15 07:01:33 | コラム
往年の名選手に訊いた:

12月4日の我が高校のサッカーの会(とは言ってもOB会とは関係ない任意の集まりだが)でメルボルン・オリンピック選手(2期上)にして元K大監督のTKさんと、我が国の大学サッカー代表の戦後初の海外遠征(ドイツのドルトムントだった)の一員だったW大OB(1期上)のSOさんに少しだけ現在のサッカー界について訊く機会があった。

先ずはFC東京から代表に出てきたK大在学中の武藤嘉紀。2人とも「非常に良い」と絶賛だった。TKさんによれば「大学のサッカー部から離れるのは惜しかったが、その方が当人と我が国の代表の為になると喜んで理解して送り出した」とのことだった。

因みに、武藤君は慶応高校の出身だそうで。SO氏は普段は厳しいことを言う方だが「あれは良い。非常に良い。未だ伸びる」と全く褒めただけ。私は如何にもK大らしいスマートさはあるものの、やや力強さに欠ける気がするが、優れた素材だと認識していたので納得の評価だった。彼の今後の成長に期待しよう。

私は常に現在のサッカー選手たちの技術水準は、我々が昭和20年代に大学でやっていた頃、ないしは全国制覇し損なった頃とは全く違っていて、国際的に見ても非常に高くなっていると認識していた。この点については誇り高きSO氏でさえ「我々の頃には想像も出来なかった高い水準にある」とその進歩と変化を認めていた。しかし、そこまでの域に達していてもW杯で予選リーグすら突破出来なかったのだ。矢張りそうだったかと、やや残念な感が残った。

というような話が聞けていたのだったが、想定内であったにもせよ、当方の緊急入院などいう事故があった為にこの一種の内輪話を今日まで纏める機会がなかった。ここに敢えて公開する次第だ。