新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

アメリカという世界で生き残るには

2014-12-22 14:05:17 | コラム
上原浩治は言った「自分のことだけで精一杯」と:

昨21日にTBSのサンデーモーニングにゲストで出てきたRed Soxの上原浩治は、司会の関口に「アメリカにいる間に日本のプロ野球の成り行きが気になりますか」と訊かれて「シーズン中は自分のことだけで精一杯で、何も知らない」と答えた。私は極めて尤もなことだと受け止めた。あの世界で、しかも何時出番が来るかも知れぬクロウザーをやっていれば、それほど集中していなければならず、そういう余裕はないだろうと思った。

かく申す私も19年間もW社日本駐在マネージャーとしての後半の10年ほどは、年間の約3分の1がアメリカ出張、3分の1が単独か来日した者との日本国内出張、残る3分の1が東京の事務所に出勤という具合だった。即ち、自分に与えられた仕事を間違いなくこなしていくのに精一杯で、世界は兎も角としても、我が国の中で何が起きているかというかどうなっているかなどを落ち着いて観察する暇がなかった。

どれほど知らなかったかと言えば、かの司馬遼太郎と言う産経新聞出身の作家がいて「坂の上の雲」等々数多くの本を出していたことなどは風の便りに聞いた気が朧気ながらあったが、何が書いてあったかなどはほとんど知らなかった。弁解すれば「本を読まなかったのではなく、アメリカでよく売れていた経済小説の類いの本は仕事上役に立つ言葉を覚えられるので、本部の秘書たちに勧められるままに読みまくっていたのだったが。

家庭だって顧みなかった訳ではなく極力家族と過ごす時間を作ってはいたが、何分にも上述のような次第で家にいる時間も限定された。その辺に気を遣ってくれた副社長は家内を連れての出張を認めて、本社で家内に言ったことが「日頃貴女の亭主を貴女と子供たちを家に残すような使い方をして済まない」と言ったのだった。これがアメリカ式社交辞令の上手さというか巧みさで、私に言わせて貰えば「典型的な文化の違いだ」となる。

上原と私の仕事は性質が違い過ぎるが、何とかして自分に割り当てられた仕事をやり遂げて責任を果たさねば生存出来ないという点では同じだろうと思う。上原は「英語が話せなくて」などと謙っていたが、自分に与えられた仕事をやり遂げることの大変さを問わず語りしていたのだと思って聞いていた。そんなことは日本の企業にいても同じだと言われそうだが、アメリカでは給与に見合う働きをしなければ即「馘首」という辺りが違うと思うのだ。

失職の危機を回避するために懸命に働くのだ。「俺が首になることは99%あるまい」と確信はしていても。一寸した失敗をすると残りの1%が99%に膨れあがってくるのだ。人によってその危機感が何%かは異なるだろうが、そのパーセンテージを膨張させないために懸命になっていなければならない緊張感が怖いのだ。現に上原はRed Soxが3球団目だったように思う。

アギーレ監督論

2014-12-22 06:53:06 | コラム
本人が関係していないと言っている:

これはサッカー協会の原専務理事が、目下大きな問題となっているアギーレ日本代表監督のスペインでの八百長疑惑について説明した台詞である。本人が否定しているのだから無実だと言いたいのだろう。いえ、そう思い込みたいとの希望的観測がこめられているのだろう。私はnaive過ぎると思う。念のため申し上げれば、これが「ナイーヴ」の正しい使い方だ。

私は残念ながら原専務理事は欧米人の文化と思考体系では先ず自らの非を潔く認めるようなことを絶対に言わない人種だとご承知でないのか、あるいは知っていても自らの選択の誤りを認めたくないのかの何れかであろうとすら考えて聞いていた。その程度のことも知らずに外国人監督を招聘したのだったならば、彼が有罪だと思う。私の長年の経験からも、彼等がそういう否認する言動で自分を守ろうとすることを、いやというほど思い知らされてきたから言うのだ。

報道によればアギーレ監督は近々釈明会見を開くと言うが、それなら時期が遅すぎる。かの釜本邦茂は自分が当事者だったら辞めさせると言っている。私は同感だ。あのまま疑惑の監督の下で世界の試合に出ていくことが通用するのがどうかを、原専務理事と大仁会長は良く考えるべきだろう。この辺りの発想は我が国独自の「恥の文か」に基づいているのだ。

私はメキシコについては言って良いことと悪いことを承知している積もりだ。だが、この際は全て留保しておくことにしたい