100人に1人か1,000人に1人か/どれが本当のアメリカか:
これは今日までに何度か述べてきた「アメリカ人の中に極めて優秀な者がどれだけいるか」との議論だ。この件を1990年代に偶々帰路のNorthwest航空(今やDeltaに吸収されてしまったが)の機内で隣り合わせた我が国の某財閥系エンジニアリング会社のアメリカ支店長さん交わしたことがあった。実は、私は腹蔵なき極論だがとして「1000人に1人くらいしか本当に優秀と認めて良い者がいないと感じさせられている世界」と述べた。
支店長さんの意見は「優秀な者が少ないとの説には同感。だが、いくら何でも0.1%は極論である。私は100人に1人が妥当なところだと考えている」とヤンワリ否定された。それから暫く0.1%対1.0%を巡って討論を続け、結論としては1%説に落ち着いたのだった。私はこの支店長さんの幅広いアメリカ観と認識には感心させられるだけではなく、大いに勉強させて頂いたのだった。
さて、議論が終わった後の雑談で、私は迂闊にもアメリカ国内における空港やホテルでのチェックインの際や、規模の大小を問わず小売店での客への応対の杜撰さと遅さ等を非難した。要するに、我が国でごく普通に当たり前のように経験出来る素早さもなく、暗算も出来ず、兎に角時間ばかりが無駄に流れてしまうのが、生来せっかちな私には腹立たしいので、そう言ってしまったのだ。
すると、彼は笑って言った「それは自己矛盾でしょう。貴方はほんの少し前に0.1%を捨てて1.0%を受け入れたばかり。即ち、アメリカの街中では極めて優秀な者に出会える確率が1.0%だと認めたのです。我が国並みの人に出会える可能性は低いのでしょう。即ち、貴方は99%の者に出会っているだけでは」と。誠にご尤もで、恥じ入ってしまった。
何でこのような自分の失敗談を持ち出したかと言えば、多くの我が同胞がアメリカを単独かパック旅行ででも旅した場合に、本当に優れた能力者や実力者に出会えて意志を通じ合える確率はどんなに幸運にも恵まれても精々1%にも達しないだろうからだ。そこに私が考えた「層」中で、アメリカ総人口の5%を占めるに過ぎない「アッパーミドル以上の白人の層」か「ビジネスの中枢にいる人たち」を考えれば、その人たちと旅行中に出会える機会は先ず訪れないのではないか。
私が言いたいことは「我が国で多くの方がアメリカだと思って見ておられる、承知しておられる、知らされている、映像で見ている、本で読んでいる、自分で行って感じてきたアメリカは、もしかすると99%の部類というか、95%を占めているだろう4年制大学出身者とそれ以下の学歴の人の層、労働組合員等の層、少数民族等の層の人たちとその文化を『これぞアメリカ』と受け止めて、理解し、認識していたのではないのか」なのだ。
そこには「自由で平等で、差別はあっても努力しさえすれば恵まれた生活を楽しめる立場や地位を確保出来そうな理想というか、一種の夢と希望が実現出来る余地が残っているかも知れない国」という映像が、恰も現像されていないフィルム(古いかな?)のように存在しているのではないか。それを印画紙に焼き付けるのは難しいのではないか。だが、私はそれを全面的に誤りだ等とは言う勇気はない。
だが、更に言えば、貴方がアメリカに今から成功を目指して、ではなくともアメリカを楽しもうと期待して出掛けて行っても、貴方が思い描いた形が出来たとしても、これまでに別けてきた四つの層の何処に入れるか、どれを見たいのか、または何処を見られるかを予め十分に考えておく必要がありはしないか。
それよりも何よりも私が言いたいことは、これまでに別けてきた四つの層のどれを以てアメリカだと思い浮かべてきたかが問題ではないのかという点だ。私には誰でもが何とか懸命に努力してアッパーミドルと同等ないしはそれ以上の世界に定着出来て、彼等の仲間入りすることが不可能だとまでは言えないし、言う権利もないだろう。だが、そこで彼等の中で対等以上にわたりあって生き残るのは、如何なる世界ででも大いなる努力が必要だと承知しておくべきではないと思うのだが。
私はこれから先に我が同胞がアメリカに外国人として入っていくか、ないしは入ってしまう場所は、如何なる層が自らに適しているかも考慮の余地があると思う。どの層に入っていくことになるかを十分に事前に検討しておく必要もあると思う。かの地では如何なることで差別される危険性があるかなどは、実際にその場に立ってみなければ解らないことだ。現に私は何度か「アメリカの会社があのようなものだと予め承知していたら、転身しなかっただろう」と述べていた。
また、芸能・スポーツ・映画・演劇・音楽の世界で成功して引退後にカリフォルニア州でプール付きの豪邸で悠々自適の元野球選手もいたとは聞いた。だが、その人物は1億2,600万人中の何%であるかを先ず考えねばなるまい。あの層の中で競争に勝って生き残る大変さを考えずに「上手く行くこと」か「何となるだろう、アメリカに行けば」的な安易なというか、希望的観測だけで行って良い世界ではないと私は思う。
先ずは自分が知らされていた、承知していたアメリカとは一体どの層のことだったかを知る必要があるのだ。オバマ大統領が大統領になれたことを以て、差別は消えて自由な国だと立証されたか否かなどは、現在でもリタイヤーして20年も経って彼等アメリカ人と日常的に交流している訳ではない私には、容易に語れる材料など持ち合わせはない。
私の結論は、経験から纏めた手持ちの資料だけではなく、長年のアメリカ在住の経験者の意見と認識にマスコミ報道をも含めて総合的な資料を基に判断して、「何もアメリカに限ったことはないが、外国を『こんなものだろう』などと簡単に決めつけて考えることは必ずしも良い方法ではなく、危険なことではないのか」なのである。事前の十分な調査は必要だ、マイナスの意味の100人に1人にならないためにも。
なお、これは継ぎにある版を訂正したものであることをお断りしておきます。
これは今日までに何度か述べてきた「アメリカ人の中に極めて優秀な者がどれだけいるか」との議論だ。この件を1990年代に偶々帰路のNorthwest航空(今やDeltaに吸収されてしまったが)の機内で隣り合わせた我が国の某財閥系エンジニアリング会社のアメリカ支店長さん交わしたことがあった。実は、私は腹蔵なき極論だがとして「1000人に1人くらいしか本当に優秀と認めて良い者がいないと感じさせられている世界」と述べた。
支店長さんの意見は「優秀な者が少ないとの説には同感。だが、いくら何でも0.1%は極論である。私は100人に1人が妥当なところだと考えている」とヤンワリ否定された。それから暫く0.1%対1.0%を巡って討論を続け、結論としては1%説に落ち着いたのだった。私はこの支店長さんの幅広いアメリカ観と認識には感心させられるだけではなく、大いに勉強させて頂いたのだった。
さて、議論が終わった後の雑談で、私は迂闊にもアメリカ国内における空港やホテルでのチェックインの際や、規模の大小を問わず小売店での客への応対の杜撰さと遅さ等を非難した。要するに、我が国でごく普通に当たり前のように経験出来る素早さもなく、暗算も出来ず、兎に角時間ばかりが無駄に流れてしまうのが、生来せっかちな私には腹立たしいので、そう言ってしまったのだ。
すると、彼は笑って言った「それは自己矛盾でしょう。貴方はほんの少し前に0.1%を捨てて1.0%を受け入れたばかり。即ち、アメリカの街中では極めて優秀な者に出会える確率が1.0%だと認めたのです。我が国並みの人に出会える可能性は低いのでしょう。即ち、貴方は99%の者に出会っているだけでは」と。誠にご尤もで、恥じ入ってしまった。
何でこのような自分の失敗談を持ち出したかと言えば、多くの我が同胞がアメリカを単独かパック旅行ででも旅した場合に、本当に優れた能力者や実力者に出会えて意志を通じ合える確率はどんなに幸運にも恵まれても精々1%にも達しないだろうからだ。そこに私が考えた「層」中で、アメリカ総人口の5%を占めるに過ぎない「アッパーミドル以上の白人の層」か「ビジネスの中枢にいる人たち」を考えれば、その人たちと旅行中に出会える機会は先ず訪れないのではないか。
私が言いたいことは「我が国で多くの方がアメリカだと思って見ておられる、承知しておられる、知らされている、映像で見ている、本で読んでいる、自分で行って感じてきたアメリカは、もしかすると99%の部類というか、95%を占めているだろう4年制大学出身者とそれ以下の学歴の人の層、労働組合員等の層、少数民族等の層の人たちとその文化を『これぞアメリカ』と受け止めて、理解し、認識していたのではないのか」なのだ。
そこには「自由で平等で、差別はあっても努力しさえすれば恵まれた生活を楽しめる立場や地位を確保出来そうな理想というか、一種の夢と希望が実現出来る余地が残っているかも知れない国」という映像が、恰も現像されていないフィルム(古いかな?)のように存在しているのではないか。それを印画紙に焼き付けるのは難しいのではないか。だが、私はそれを全面的に誤りだ等とは言う勇気はない。
だが、更に言えば、貴方がアメリカに今から成功を目指して、ではなくともアメリカを楽しもうと期待して出掛けて行っても、貴方が思い描いた形が出来たとしても、これまでに別けてきた四つの層の何処に入れるか、どれを見たいのか、または何処を見られるかを予め十分に考えておく必要がありはしないか。
それよりも何よりも私が言いたいことは、これまでに別けてきた四つの層のどれを以てアメリカだと思い浮かべてきたかが問題ではないのかという点だ。私には誰でもが何とか懸命に努力してアッパーミドルと同等ないしはそれ以上の世界に定着出来て、彼等の仲間入りすることが不可能だとまでは言えないし、言う権利もないだろう。だが、そこで彼等の中で対等以上にわたりあって生き残るのは、如何なる世界ででも大いなる努力が必要だと承知しておくべきではないと思うのだが。
私はこれから先に我が同胞がアメリカに外国人として入っていくか、ないしは入ってしまう場所は、如何なる層が自らに適しているかも考慮の余地があると思う。どの層に入っていくことになるかを十分に事前に検討しておく必要もあると思う。かの地では如何なることで差別される危険性があるかなどは、実際にその場に立ってみなければ解らないことだ。現に私は何度か「アメリカの会社があのようなものだと予め承知していたら、転身しなかっただろう」と述べていた。
また、芸能・スポーツ・映画・演劇・音楽の世界で成功して引退後にカリフォルニア州でプール付きの豪邸で悠々自適の元野球選手もいたとは聞いた。だが、その人物は1億2,600万人中の何%であるかを先ず考えねばなるまい。あの層の中で競争に勝って生き残る大変さを考えずに「上手く行くこと」か「何となるだろう、アメリカに行けば」的な安易なというか、希望的観測だけで行って良い世界ではないと私は思う。
先ずは自分が知らされていた、承知していたアメリカとは一体どの層のことだったかを知る必要があるのだ。オバマ大統領が大統領になれたことを以て、差別は消えて自由な国だと立証されたか否かなどは、現在でもリタイヤーして20年も経って彼等アメリカ人と日常的に交流している訳ではない私には、容易に語れる材料など持ち合わせはない。
私の結論は、経験から纏めた手持ちの資料だけではなく、長年のアメリカ在住の経験者の意見と認識にマスコミ報道をも含めて総合的な資料を基に判断して、「何もアメリカに限ったことはないが、外国を『こんなものだろう』などと簡単に決めつけて考えることは必ずしも良い方法ではなく、危険なことではないのか」なのである。事前の十分な調査は必要だ、マイナスの意味の100人に1人にならないためにも。
なお、これは継ぎにある版を訂正したものであることをお断りしておきます。