予定が過多だった週が終わった:
昨夜22時頃に「単なる腰痛だけではなく全身が凝りに凝っていた」と判明したスポーツマッサージから帰宅して、過多なスケジュールの一週間分だけが終わった。先日の石原君の引退会見であの激しい衰え方に愕然としたし、同情もしたし、もう無理だと同期である私に解りきっていたのに等々と嘆いていたが、あれやこれやと病気を抱えている私には今週の予定をこなすのは一種の賭のようなものだった。無事に終わったかどうかが解るのは来週以降のことだろうが。
15日(月)は08:45に国立国際医療研究センター(NCGM)に入って消化器科外科で診察を受けて「痔の手術は必要なし」との診断を頂き、ホッと胸なで下ろし、翌日の泌尿器科での前立腺肥大の診察に備えて採血と採尿に向かった。そしてICT化された機械で会計を終え調剤薬局に回って昼過ぎに帰宅。無事に終わったとはいえ、「手術せよ」と言われるのではないかとの不安感があったので精神的にはきつい半日だった。
16日(火)は08:50にNCGM着。泌尿器科で前日の前立腺の状態の検査の結果を聞かされてやや落胆。と言うのも、夜間の頻尿も問題が徐々に好転してきており、前夜などは2度で終わったので好結果を期待するに十分な理由があったから。しかし、PSAがここ2年ほどの平均値10を飛び越えて14だったので、25日の午後に造影剤を使用するMRIの検査となってしまった。検査の結果を聞くのは1月13日で当方の好む数字なので淡い期待を抱かせてくれた。
午後は思い切ってやや軽くなってきたとはいえ依然悩みの種である腰痛対策で鍼灸治療院に向かった。確かに効果はあったが、若き女性の鍼灸師に「一回で治ることではありません」と再来を促された。想定内だ。次いで雨中を15分間ひたすら歩いて最後の予約である歯科医に。ただひたすら寒かった。風邪を引かされるのが怖かった。だが、この程度のリスクを覚悟で臨まないと治らないと割り切ったのだが、長くて寒い一日だった。
17日(水)09:40にフィットネスクラブ入り。退院後は何となく精神的に萎縮していたが「これではいけない」と徒歩10分のクラブに出向いた次第。一寸だけストレッチをして腰を温めるシャワーとジャクージ(「ジャグジー」は愚かなイタリア語を読み誤ったカタカナ表記だ!)で暖めて、湯冷めしないように心掛けて帰宅。さらに16:49新大久保駅前発のバスで平河町二丁目の都道府県会館に向かった。
目的は18:15から開催される大学の同期である畏友・篠宮良幸氏主宰の水曜会で、彼から依頼された「不自由と不平等の国、アメリカ合衆国、チャンスもあるが差別もある」という難しい題名と内容での講演をするためだった。言わば病み上がりの状態ではこれも一種の冒険だったが、得意とする分野なので何時もよりも一層力を込めて、ない声を張り上げて語り終えた。
外銀勤務の経験がある会員の方が「良い話しだったが、外国の会社勤務経験者ならより一層解りやすかっただろう」と好意的なご批評を賜ったのは有り難かった。実は、「一般的な我が国の会社勤務を経験された方々には異様に聞こえることだと承知でお話しする」とお断りしたと思ったのだが、矢張り何人か興味を示さすに終わった方がおられたと知っていた。力不足だと反省。帰宅は21時過ぎ。
18日(木)は最も楽な予定の日だった。09:49のバスで柳町駅前に向かい、都営大江戸線で勝ちどきまで。そこには数十年の馴染みである我が国最大の紙パルプ専門商社がある。その会社の輸出入の専門家と月に一度の昼食会兼放談会。現実の世界に触れておられる方から、そこにどのような変化があり、世の中がが何処を向いて進んいるかを聞けるのは無上の幸せ。当然?私も豊富な?経験談という名の昔話をご披露。
帰路はバスで銀座を抜けて新橋からJR山手線で新大久保に。銀座には矢張り人が沢山出ていて、極めて陳腐なことを言えば「これでも我が国は未だ不況なのだろうか」ないしは、「外国人が「日本は本当に不況に苦しんでいるのか。この人では何のためか」と訝ったのを思い出した。
19日(金)最後の胸突き八丁。09:00に東京山手メデイカル・センター(旧社保中)の大腸・肛門科に定期検診に。実は、15日にNCGMの大腸専門の外科の医師に「こと痔となれば、社保中の方が長年の経験と蓄積があると言われている」との、極めて異例とも思えるコメントを聞いていた。診察の結果は良好で一安心。
13:30にはもう26年もも掛かりつけとなったS外科クリニックで新宿区の無料健康診断に。幸いにも最初に入ったので少し救われたが、後から後から風邪の患者さんが入って来て熱を測られるは咳をするは鼻をかむわで、うつされては大変とハラハラドキドキ。ここでは所定のコースが淡々と終わって14:20に帰宅。抜いてあった遅い昼食の後に、16:30にJR山手線で有楽町に。
17:45に愚息と落ち合ってグローバルスポーツ治療院で腰痛の治療。マッサージである。開始数秒で私にも解ったことは単なる腰痛だけではなく全身が凝りに凝り固まっていたことだった。90分間十分に治療を受けたが、ここまで悪化した原因の一つに5日間の入院中とその後今日まで身体を動かさずストレッチをしていなかったことがあると指摘された。反省。ここでも「一度では完治しない」と宣告された。想定内。
終了後に愚息と築地場外の彼の評価では回転としては一級品の寿司屋で遅い夕食。こんな機会でもなければ彼と語り合う機会はなかっただろうか。送って貰って帰宅がほぼ22時だったか。長い一日で、これで強行スケジュールの前半が終わっただけ。来週は25日まで空いた日がないのだ。気力で持たそうとは考えているが、25日は造影剤が入るMRIである。私は何分にも造影剤が小水に廻る速度が速いのが難点だ。
昨夜22時頃に「単なる腰痛だけではなく全身が凝りに凝っていた」と判明したスポーツマッサージから帰宅して、過多なスケジュールの一週間分だけが終わった。先日の石原君の引退会見であの激しい衰え方に愕然としたし、同情もしたし、もう無理だと同期である私に解りきっていたのに等々と嘆いていたが、あれやこれやと病気を抱えている私には今週の予定をこなすのは一種の賭のようなものだった。無事に終わったかどうかが解るのは来週以降のことだろうが。
15日(月)は08:45に国立国際医療研究センター(NCGM)に入って消化器科外科で診察を受けて「痔の手術は必要なし」との診断を頂き、ホッと胸なで下ろし、翌日の泌尿器科での前立腺肥大の診察に備えて採血と採尿に向かった。そしてICT化された機械で会計を終え調剤薬局に回って昼過ぎに帰宅。無事に終わったとはいえ、「手術せよ」と言われるのではないかとの不安感があったので精神的にはきつい半日だった。
16日(火)は08:50にNCGM着。泌尿器科で前日の前立腺の状態の検査の結果を聞かされてやや落胆。と言うのも、夜間の頻尿も問題が徐々に好転してきており、前夜などは2度で終わったので好結果を期待するに十分な理由があったから。しかし、PSAがここ2年ほどの平均値10を飛び越えて14だったので、25日の午後に造影剤を使用するMRIの検査となってしまった。検査の結果を聞くのは1月13日で当方の好む数字なので淡い期待を抱かせてくれた。
午後は思い切ってやや軽くなってきたとはいえ依然悩みの種である腰痛対策で鍼灸治療院に向かった。確かに効果はあったが、若き女性の鍼灸師に「一回で治ることではありません」と再来を促された。想定内だ。次いで雨中を15分間ひたすら歩いて最後の予約である歯科医に。ただひたすら寒かった。風邪を引かされるのが怖かった。だが、この程度のリスクを覚悟で臨まないと治らないと割り切ったのだが、長くて寒い一日だった。
17日(水)09:40にフィットネスクラブ入り。退院後は何となく精神的に萎縮していたが「これではいけない」と徒歩10分のクラブに出向いた次第。一寸だけストレッチをして腰を温めるシャワーとジャクージ(「ジャグジー」は愚かなイタリア語を読み誤ったカタカナ表記だ!)で暖めて、湯冷めしないように心掛けて帰宅。さらに16:49新大久保駅前発のバスで平河町二丁目の都道府県会館に向かった。
目的は18:15から開催される大学の同期である畏友・篠宮良幸氏主宰の水曜会で、彼から依頼された「不自由と不平等の国、アメリカ合衆国、チャンスもあるが差別もある」という難しい題名と内容での講演をするためだった。言わば病み上がりの状態ではこれも一種の冒険だったが、得意とする分野なので何時もよりも一層力を込めて、ない声を張り上げて語り終えた。
外銀勤務の経験がある会員の方が「良い話しだったが、外国の会社勤務経験者ならより一層解りやすかっただろう」と好意的なご批評を賜ったのは有り難かった。実は、「一般的な我が国の会社勤務を経験された方々には異様に聞こえることだと承知でお話しする」とお断りしたと思ったのだが、矢張り何人か興味を示さすに終わった方がおられたと知っていた。力不足だと反省。帰宅は21時過ぎ。
18日(木)は最も楽な予定の日だった。09:49のバスで柳町駅前に向かい、都営大江戸線で勝ちどきまで。そこには数十年の馴染みである我が国最大の紙パルプ専門商社がある。その会社の輸出入の専門家と月に一度の昼食会兼放談会。現実の世界に触れておられる方から、そこにどのような変化があり、世の中がが何処を向いて進んいるかを聞けるのは無上の幸せ。当然?私も豊富な?経験談という名の昔話をご披露。
帰路はバスで銀座を抜けて新橋からJR山手線で新大久保に。銀座には矢張り人が沢山出ていて、極めて陳腐なことを言えば「これでも我が国は未だ不況なのだろうか」ないしは、「外国人が「日本は本当に不況に苦しんでいるのか。この人では何のためか」と訝ったのを思い出した。
19日(金)最後の胸突き八丁。09:00に東京山手メデイカル・センター(旧社保中)の大腸・肛門科に定期検診に。実は、15日にNCGMの大腸専門の外科の医師に「こと痔となれば、社保中の方が長年の経験と蓄積があると言われている」との、極めて異例とも思えるコメントを聞いていた。診察の結果は良好で一安心。
13:30にはもう26年もも掛かりつけとなったS外科クリニックで新宿区の無料健康診断に。幸いにも最初に入ったので少し救われたが、後から後から風邪の患者さんが入って来て熱を測られるは咳をするは鼻をかむわで、うつされては大変とハラハラドキドキ。ここでは所定のコースが淡々と終わって14:20に帰宅。抜いてあった遅い昼食の後に、16:30にJR山手線で有楽町に。
17:45に愚息と落ち合ってグローバルスポーツ治療院で腰痛の治療。マッサージである。開始数秒で私にも解ったことは単なる腰痛だけではなく全身が凝りに凝り固まっていたことだった。90分間十分に治療を受けたが、ここまで悪化した原因の一つに5日間の入院中とその後今日まで身体を動かさずストレッチをしていなかったことがあると指摘された。反省。ここでも「一度では完治しない」と宣告された。想定内。
終了後に愚息と築地場外の彼の評価では回転としては一級品の寿司屋で遅い夕食。こんな機会でもなければ彼と語り合う機会はなかっただろうか。送って貰って帰宅がほぼ22時だったか。長い一日で、これで強行スケジュールの前半が終わっただけ。来週は25日まで空いた日がないのだ。気力で持たそうとは考えているが、25日は造影剤が入るMRIである。私は何分にも造影剤が小水に廻る速度が速いのが難点だ。