新浪剛史氏はローソンからサントリーへ:
そもそもは三菱商事に新卒で入社された新浪氏は先頃ローソンの経営者を経てサントリーホールディングスの代表取締役社長に就任され、話題となっていた。私はそのマスコミ報道があった際に流通業界から製造業界への転身をやや危ぶむことを書いていた。実は、何を隠そうこの私は1972年に約17年間を過ごした紙流通業界(代理店)からアメリカの製造業(メーカー)に転身していたのだった。
新浪氏のことは一先ず措くとして、紙パルプ産業界でのことを述べてみよう。ここでは「メーカーから(販売)代理店等の流通部門への転身(と言うか天下りという見方すらある)には特筆すべきような成功例が少なく、反対に流通部門からメーカーへの天上がり?には成功の可能性が高い」という、言わば通説のようなものがあった。私はそのような説を知らず、無謀にも出ていったかも知れなかったのだ。
我が国の紙パルプ業界の中でも流通部門は1993年に第一次クリントン政権が誕生した辺りから「原料しか買い入れず世界最高の品質のアメリカの紙を買わない」と批判され、輸入せよとのかなり厳しい圧力に曝され始めた。特に紙の流通機構の複雑さが輸入紙の増大を妨げていると、アメリカ側から自らの不勉強を棚に上げた見当違いの批判が出てきたのだった。
この当時を振り返ってみれば、アメリカのみならず欧州でも理解出来ていなかったことは「我が国では流通機構というかメーカーが直接末端の需要家や中小の紙商に販売しない江戸時代からの業界内の仕組みである」との歴史と事実だった。その点を真に理解して認識する必要があることを知らず、メーカーが直接に販売することが主体であるアメリカと同様であると思い込んで日本市場に乗り込んできた準備不足が原因だった。
その文化的で歴史的な違いを十分に事前に調査・研究して弁えていれば、アメリカ製の紙には不向きで不適切な市場だと簡単に認識出ているはずだったのだ。言葉を換えれば、流通機構と末端の大と中小の需要家の何処にどのような経路で売り込めば成功するかを承知している者を中途採用すれば、成功する可能性が残っていたのだった。
しかし、江戸時代に既に確立されてきた第一次販売店とも言えるメーカーの販売部門のようである代理店から始まって、第二次・第三次・第四次と段々に規模が小さくなっていく販売店が、その規模に合わせた需要家に販売していく流通機構を、外部(海外のメーカーとその輸入代行業者)から理解し認識して取り組んでいくのは容易ではなかったのだ。
しかし、その流通機構で育ってきた者には、海外の紙の製造法と使用されている原木と我が国の紙の品質の違いをそう長い時間をかけずに認識出来て、海外の紙で通用する需要先を開拓、定期的な得意先に時間をかけて仕上げていくことが出来たのだった。一言で表現すれば「違いが解っていれば何となる」世界だったとなる。
長い話しにしてしまったが、私が三菱商事からコンビニ業界の大手・ローソンであれほど活躍された新浪氏がサントリーに転出されて、単一商品ではないウイスキー、ビール、サプリメント等を製造し、テレビ通販までを含めた広範囲の流通機構に加えて、末端までに販売する組織を如何に管理・運営されるのかなと感じたままを述べたのだった。私がアメリカ製でも紙を勝手知ったる需要先に買って頂く会社に変わったのとは何処かが違うのではないかと思ったのだった。
だが、彼はその会社の社長としてその事業に臨まれるのであり、担当マネージャーの私の仕事とは大いに異なるものであろうとは承知していた。即ち、私は直接に自分が需用者に販売する仕事だが、社長はその販売部門を最高責任者として会社全体の事業とともに管理・運営されるのだから、話が違うのだと認識している。一介のマネージャーの転身とは違うのだと。
結論めいたことを言えば、私は言わばアメリカ式に他業種への転身・転出が経営者の段階で盛んになっていくことを歓迎すべきだとも思っている。これまでにもそういう傾向が徐々に出てきてはいるが、アメリカやヨーロッパとは生い立ちが違う我が国の産業界には短期間には定着しないだろう。
現在のように変化余りにも早く且つ大規模になってくれば、国の内外で広く経験を積んだ経営者が求められていくと予測したいのだが、如何なものだろうか。
何も新浪氏のように流通から製造だけに限ったことではなく、政治・経済・官僚機構等の間を自由に動く時代を考えているのだが。
そもそもは三菱商事に新卒で入社された新浪氏は先頃ローソンの経営者を経てサントリーホールディングスの代表取締役社長に就任され、話題となっていた。私はそのマスコミ報道があった際に流通業界から製造業界への転身をやや危ぶむことを書いていた。実は、何を隠そうこの私は1972年に約17年間を過ごした紙流通業界(代理店)からアメリカの製造業(メーカー)に転身していたのだった。
新浪氏のことは一先ず措くとして、紙パルプ産業界でのことを述べてみよう。ここでは「メーカーから(販売)代理店等の流通部門への転身(と言うか天下りという見方すらある)には特筆すべきような成功例が少なく、反対に流通部門からメーカーへの天上がり?には成功の可能性が高い」という、言わば通説のようなものがあった。私はそのような説を知らず、無謀にも出ていったかも知れなかったのだ。
我が国の紙パルプ業界の中でも流通部門は1993年に第一次クリントン政権が誕生した辺りから「原料しか買い入れず世界最高の品質のアメリカの紙を買わない」と批判され、輸入せよとのかなり厳しい圧力に曝され始めた。特に紙の流通機構の複雑さが輸入紙の増大を妨げていると、アメリカ側から自らの不勉強を棚に上げた見当違いの批判が出てきたのだった。
この当時を振り返ってみれば、アメリカのみならず欧州でも理解出来ていなかったことは「我が国では流通機構というかメーカーが直接末端の需要家や中小の紙商に販売しない江戸時代からの業界内の仕組みである」との歴史と事実だった。その点を真に理解して認識する必要があることを知らず、メーカーが直接に販売することが主体であるアメリカと同様であると思い込んで日本市場に乗り込んできた準備不足が原因だった。
その文化的で歴史的な違いを十分に事前に調査・研究して弁えていれば、アメリカ製の紙には不向きで不適切な市場だと簡単に認識出ているはずだったのだ。言葉を換えれば、流通機構と末端の大と中小の需要家の何処にどのような経路で売り込めば成功するかを承知している者を中途採用すれば、成功する可能性が残っていたのだった。
しかし、江戸時代に既に確立されてきた第一次販売店とも言えるメーカーの販売部門のようである代理店から始まって、第二次・第三次・第四次と段々に規模が小さくなっていく販売店が、その規模に合わせた需要家に販売していく流通機構を、外部(海外のメーカーとその輸入代行業者)から理解し認識して取り組んでいくのは容易ではなかったのだ。
しかし、その流通機構で育ってきた者には、海外の紙の製造法と使用されている原木と我が国の紙の品質の違いをそう長い時間をかけずに認識出来て、海外の紙で通用する需要先を開拓、定期的な得意先に時間をかけて仕上げていくことが出来たのだった。一言で表現すれば「違いが解っていれば何となる」世界だったとなる。
長い話しにしてしまったが、私が三菱商事からコンビニ業界の大手・ローソンであれほど活躍された新浪氏がサントリーに転出されて、単一商品ではないウイスキー、ビール、サプリメント等を製造し、テレビ通販までを含めた広範囲の流通機構に加えて、末端までに販売する組織を如何に管理・運営されるのかなと感じたままを述べたのだった。私がアメリカ製でも紙を勝手知ったる需要先に買って頂く会社に変わったのとは何処かが違うのではないかと思ったのだった。
だが、彼はその会社の社長としてその事業に臨まれるのであり、担当マネージャーの私の仕事とは大いに異なるものであろうとは承知していた。即ち、私は直接に自分が需用者に販売する仕事だが、社長はその販売部門を最高責任者として会社全体の事業とともに管理・運営されるのだから、話が違うのだと認識している。一介のマネージャーの転身とは違うのだと。
結論めいたことを言えば、私は言わばアメリカ式に他業種への転身・転出が経営者の段階で盛んになっていくことを歓迎すべきだとも思っている。これまでにもそういう傾向が徐々に出てきてはいるが、アメリカやヨーロッパとは生い立ちが違う我が国の産業界には短期間には定着しないだろう。
現在のように変化余りにも早く且つ大規模になってくれば、国の内外で広く経験を積んだ経営者が求められていくと予測したいのだが、如何なものだろうか。
何も新浪氏のように流通から製造だけに限ったことではなく、政治・経済・官僚機構等の間を自由に動く時代を考えているのだが。