新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

母校・湘南中学の自慢記

2014-12-23 09:17:39 | コラム
矢張り朝日は偏っている:

旧制湘南中学同期の旧友(級友)が朝日新聞の神奈川版の「母校群像記」に10月31日から12月5日までに6回掲載してくれた記事を送ってくれた。因みに、我々は昭和20年に入学したのだが、進駐軍が学校制度を改悪したために中学3年を終えたところで卒業させられ、新制の湘南高校の1年生にされてしまっった。

その湘南高校の出身者の特集のようらしく、我々26期生(中学からの通算の数字で、昭和26年卒)以降の者たちばかり(で生存者が)登場する特集だった。26期生から載せて頂けたのは、同期会会長の吉居時哉君(東大→大蔵省→国土庁事務次官→東日本銀行頭取)と脇村春夫君(東大→東洋紡→大阪大学大学院・経済学博士→高野連前会長)だけだったのは偏っていると言わざるを得ない。

脇村君は昭和24年に野球部が最初で最後に出場した夏の甲子園の野球で優勝した選手の一人だった。そのせいかあらぬか、その優勝投手だった田中孝一さん(25期、早大→ゼネラル石油?)、佐々木信也(27期、慶大→トンボユニオンズ)、原田靖男(東大→三菱化成)は載っていた。

我々蹴球部出身者に言わせて貰えば「これは偏向」である。我が蹴球部は戦後第一回の神戸で開催された国体の中学蹴球の部で神戸一中を破って優勝し、福岡での第三回には準優勝だったのだ。この当時の選手には松岡巌さん(23期、慶大→日立製作所副社長)がおられ、その同期の故香川嵩さんは東大から東京海上副社長だった。24期にはメルボルン・オリンピック代表選手だった小林忠生さん(慶大→東京海上)がおられる。

因みに、松岡さんと小林さんは慶応大学の監督を務めておられたのだった。私の偏見を言えば、蹴球は毎日新聞が旧制の頃から全国大会を主催していたので、甲子園野球主催の朝日は無視したのかも知れないと疑っている。

さて、同期である。石原慎太郎君は第一回目に採り上げられていた。だが、彼は卒業したのは1年後で27期生になっていた。この期は多士済々だが、敢えて何人かを挙げれば、キャノンの社長候補とまで噂されNHKも特集した同社のコピー機とプリンタを開発した田中宏君(早大)や、日本興業銀行最後の頭取で富士と第一勧銀の三行合併を成し遂げた故西村正雄君(東大)辺りが有名人だっただろう。他の諸君、お許しを。

この記事のお陰で湘南の出身者にはこういう有名人がいたのかと勉強させて貰えた。その中で39期生になるなのだろうか岡本行夫(一橋→外務省)が言った「高校の思い出は家に帰るようなもの。人生で最も多くが凝縮された素晴らしい時期だった」には同感。我々26期生は同じ学校に6年間在籍し、多くのことを学び、素晴らしい同期生に恵まれたのだった。以上のように私は凡俗であっても、周囲には優れた者が多いのである。