高齢者は補聴器の市場か:
9月末に元W社ジャパンの代表者だったY氏と久し振りに会食した際に、これから調整に行かれるという3Dプリンタで作ったと言われた片方だけで無慮数十万円の補聴器を初めて見る機会があった。「このピストル(は古いか?)まで作れると聞く新たな文明の利器にはこういう利用法もあったのか」と感じ入ったものだった。この世の進歩と変化どれほど早いかと痛感してしまった。
それに刺激された訳ではないが、先月上旬に眼鏡のPMが顧客を招待した展示会に家内を連れて参加してみた。実は、狙いはどうも聴力に衰えがあるかと気懸かりだったので、本来は耳鼻科に行くべきだと知りながら同社が扱っている海外のメーカーの補聴器の市場調査くらいの軽い気持ちだった。ところが、実際には同社が取り扱っているデンマークのReSound社の日本法人の係員に綿密な検査をして貰うことになったのだった。
結果としては検査係員に「問題あり。もう少し早く気付かれたら」と指摘されたほどの状態だったと判明し、不注意を深刻に反省させられた。そこで発注までする運びになったのだが、その価格帯は展示会用の販売促進で特別と説明されたものは両方で40万円に近く、博学多識のYM氏に教えられていた「片方で20万円が最低線」を裏付けるものだった。この価格帯まで来ると、着用していることは先ず気取られない形になってくるのだった。
因みに、YM氏は「街中でよく見かける耳の裏側に大きくかけられた形になっている所謂『補聴器』は言わば集音器のような機能しか果たさず、あのようなもので妥協せず思い切った買い物をしないと後悔する」と教えてくれたのだった。そして、その通りだったと解った次第。彼は「補聴器は未だ進歩発展の余地がある器機で、その市場も増加する一途の高齢者を見込んでいるだろう」とも指摘していた。
しかし、如何に機能が優れていてもあのような価格帯では年金暮らしの方には結構な重い負担になるだろうから、容易に普及しないのではないかとは思うのだ。眼鏡のPM社に訊けば「眼鏡だけでは難しい時代に入ったので、何でも出来ることは手がけていこうという政策」と説明していた。そう言われてみれば、多くの眼鏡店には「補聴器」の取り扱いの看板が出ているし、ポスターも貼られている。
余談だが、この文明の利器は着用すれば永遠に機能を果たすのではなく、電池式だったのだ。俗に「機械が高額ならばそこで使われるサプライ用品が経済的な価格に設定されている」と言うが、この電池は器機とは相対的に低価格に設定されているかの感もある。だが、寿命が比較的に短いようなので買い置きでもしておかないと万が一のこともあるかと思わずにはいられなかった。何れにせよ、進歩と変化には追いついていけない時代になったものだ。
9月末に元W社ジャパンの代表者だったY氏と久し振りに会食した際に、これから調整に行かれるという3Dプリンタで作ったと言われた片方だけで無慮数十万円の補聴器を初めて見る機会があった。「このピストル(は古いか?)まで作れると聞く新たな文明の利器にはこういう利用法もあったのか」と感じ入ったものだった。この世の進歩と変化どれほど早いかと痛感してしまった。
それに刺激された訳ではないが、先月上旬に眼鏡のPMが顧客を招待した展示会に家内を連れて参加してみた。実は、狙いはどうも聴力に衰えがあるかと気懸かりだったので、本来は耳鼻科に行くべきだと知りながら同社が扱っている海外のメーカーの補聴器の市場調査くらいの軽い気持ちだった。ところが、実際には同社が取り扱っているデンマークのReSound社の日本法人の係員に綿密な検査をして貰うことになったのだった。
結果としては検査係員に「問題あり。もう少し早く気付かれたら」と指摘されたほどの状態だったと判明し、不注意を深刻に反省させられた。そこで発注までする運びになったのだが、その価格帯は展示会用の販売促進で特別と説明されたものは両方で40万円に近く、博学多識のYM氏に教えられていた「片方で20万円が最低線」を裏付けるものだった。この価格帯まで来ると、着用していることは先ず気取られない形になってくるのだった。
因みに、YM氏は「街中でよく見かける耳の裏側に大きくかけられた形になっている所謂『補聴器』は言わば集音器のような機能しか果たさず、あのようなもので妥協せず思い切った買い物をしないと後悔する」と教えてくれたのだった。そして、その通りだったと解った次第。彼は「補聴器は未だ進歩発展の余地がある器機で、その市場も増加する一途の高齢者を見込んでいるだろう」とも指摘していた。
しかし、如何に機能が優れていてもあのような価格帯では年金暮らしの方には結構な重い負担になるだろうから、容易に普及しないのではないかとは思うのだ。眼鏡のPM社に訊けば「眼鏡だけでは難しい時代に入ったので、何でも出来ることは手がけていこうという政策」と説明していた。そう言われてみれば、多くの眼鏡店には「補聴器」の取り扱いの看板が出ているし、ポスターも貼られている。
余談だが、この文明の利器は着用すれば永遠に機能を果たすのではなく、電池式だったのだ。俗に「機械が高額ならばそこで使われるサプライ用品が経済的な価格に設定されている」と言うが、この電池は器機とは相対的に低価格に設定されているかの感もある。だが、寿命が比較的に短いようなので買い置きでもしておかないと万が一のこともあるかと思わずにはいられなかった。何れにせよ、進歩と変化には追いついていけない時代になったものだ。