新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

「不景気だよ」

2014-12-03 13:55:14 | コラム
栄寿司の大将は嘆いた:

本日は昼食を豪華に?百人町の栄寿司で¥800のチラシにしてきた。話題が豊富な大将に景気のほどを尋ねると、手を左右に振って「駄目だ、駄目だ。不景気だよ。俺たちは良く解るんだ」と。理由は「毎朝築地の河岸に行くが最高では1,200軒あった仲買が800軒に減り、その権利も最高¥1億だったものが、¥700万や¥500万にまで落ち込んでいる。これで豊洲に越せば仲買は今の半分になりはしないか」だからだ、と解説してくれた。

「なるほど、こういう世界ではそういう状態になっているのか」と納得した。彼はさらに「高い寿司屋が流行っているようだが、こういう街中の店には中々好転したという景気は降りては来ない」と言って嘆いた。元々景気好転説を信じていない当方には、遺憾ながら「我が意を得たり」的な大将の時事解説のような愚痴だった。彼は「歌舞伎町に夜にでも行ってご覧。客待ちのタクシーが沢山停まっているし、夜通し流している」とも言っていた。

折から衆議院選挙で高田の駅前では次世代の党の松沢成文がアベノミクスを批判していた。だが、そんなことを言う前に、私が何度も言ってきたことだが、この界隈に来て油を売っている長いタクシーの列や、たった今聞いた大将が指摘する築地の河岸の実態でも自分で調べてから訴えて貰いたいものだと思わせられた「寿司屋が語る不景気論」だった。

先輩対後輩とは

2014-12-03 08:09:59 | コラム
先輩対後輩の間柄を考える:

私は昨今の先輩と後輩の関係は「長幼の序」や「年功序列」の礼儀とは違うものではないかと考えるのだ。

3日朝にテレ朝で「26歳の飲み仲間の先輩が25歳の後輩が生意気だという理由で説教した後で、20メートルの崖から突き落として重傷を負わせた」と報道していた。呆れ返るような異常な事件だと思って聞いていた。近頃はテレビに出てくる芸人どもがしきりに「先輩」と「後輩」の間の言わば身分の差と言うか序列のようなことを言い募っている。私には聞いていると我が国独自の文化である「長幼の序」や企業社会や体育会等における「年功序列」とは異なった現象のように思える。

私は旧制中学から高校と大学の間に運動部の一員だったので、「上級生」と「下級生」という間柄は未だに尊重し、集まればそれに従っている。現に明4日には昭和23年の第3回国体の高校の部で優勝しそこなかった仲間の昼食会に参加する予定だ。これは会費制である。私の頭の中(「私の中」ではない、念のため)にあるのはこの間柄だけで「先輩・後輩」より優先している。この集まりで奢ったり奢られた経験はない。

私が中学生だった頃には現在のように厳然たる「体育会」などなかった記憶しかなく、それとそこでの独自の文化(仕来り)がが現れたのは昭和26年(1951年)に大学に進んだ後のような気がする。だが、その大学は如何なる分野でも強豪ではなかったので、厳しい上下関係はなかったと思う。また、新卒で就職した会社でも常識的な年功序列はあったが、それ以上でも以下でもなかった。

だが、冒頭の事件が示すように現在の社会には妙に「先輩対後輩」の関係が強調されているかのようだ。特にそれが現実かどうか判断は出来ないが、テレビドラマなどを見ている限りでは、名前ではなく「先輩」と言って呼びかけている例が極めて多いし、社会でも「彼は何年先輩」であるとか「何年後輩」という表現を聞かされることがある。私にはそれが単に「年齢だけによる優位性」を誇示しているかに聞こえてしまい、年功序列ではないと思わせられる。

簡単にここで結論めいたことをいえば、私にはこのような「先輩対後輩」を強調するようなことは好ましいとは思えないのだ。それは1972年からほとんど年功序列がないアメリカのビジネスの社会に転身したこともあるだろうが、ただ単に年齢が上というだけで、人格や何ら仕事等の面においての能力が優っていないのであれば「先輩」を強調するのは不当のように思えるのだ。

私は日米何れの文化、即ち制度というか習慣が良いとか優れていると言いたいのではなく、違いがあることを指摘したいのだ。私が何度か「生涯最高の上司」と紹介した副社長兼事業本部長は私よりも10歳年下だったが、社会人年齢が上である私は彼の類い希な能力を尊敬して10年以上も喜んで彼に指揮下に身を置いた。また19年間在籍した事業部で私よりも年長だった者は、入社時の上司と副社長の2人しかいなかった。

アメリカには「年齢・性別・国別で差別してはならない」という文化もあり、求人広告などには厳密に適用されている。そのようなアメリカの文化が良いと言うのではなく、その世界に22年もいればただ単に年齢が上だというだけで優位性が保証されているかのような「先輩対後輩」の関係は如何なものかと思うのだ。だが、彼等は私が年長者であることを十分に尊重してくれたと感じている。

テレビでは芸人たちは屡々「後輩を何人も連れて食事を奢った」といって先輩の辛さを嬉しそうに語っている。私はこれは芸人の世界での文化であって、我々の世界とは別のものだと思って聞いている。若い人を可愛がることは決して非難するのではないが、その奢ることをさも良いことのように公共の場で語らせるテレビ局に問題があるのではないかとも考えているのだ。