新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

スマホを考える

2015-04-08 07:58:47 | コラム
スマホは社会貢献になっているのか:

スマホに見るICT化進歩がもたらす問題を考える時に、私の考えに対して畏メル友の両氏から下記のようなご意見を賜りましたので、ご紹介します。

佐藤氏は「大学の講義が外部記憶だけのものも多く、そんなものはネットにあるなんてことでは、大学自体の意義もなくなります。信大はスマホで学べぬ講義を行う!なんてキャッチフレーズはどうでしょうか。」

と言われます。佐藤氏ならではのご意見と謹聴ではなかった謹読。因みに、信州大学は我が国の300数十の大学の中で創造性において第一にある由。

また尾形氏のご意見は「<デジタル化で全てが猛烈な勢いで“進化”しています。それを無視していては、学校も仕事も、研究も不可能になっています。ですから、どこまで、自分が主体的に「道具として利用する」ことが出来るか、ということでしょうか?>

でした。

私はそこが問題だと思います。「道具」に嬉々として使われている若者たちは、使っているつもりでも「使われている認識」はないのでしょう。ゲーム如きにうつつを抜かしている者どもを見ると、ガラケイもスマホもない古き良き時代に育った私には、あれは「亡国の現象」としか見えないのです。

DeNAを始めとするスマホゲーム創作企業は私は寧ろ社会悪に近いかと疑いたくなる時があります。しかし、DeNAの経営者は優秀な大学卒で、一流であるべき会社を離れてあの会社を作り、プロ野球の球団を買収し今度はマラソン選手団も抱えました。これは一見社会貢献の如きですが、スマホゲームに熱中する者どもが知らずに支えている皮肉と思うのは誤りではない気がしますが、如何。

昨日も歯科医で僅か1分もなかった待ち時間だったのに、待合室に座った若者は即スマホをヒップポケットから取り出していじり始めた途端に呼ばれました。最早条件反射なのかと感心してみていました。

何故我が国にはプラスティック・ボトル入りの牛乳がないのか

2015-04-08 07:56:30 | コラム
プラスティック・ボトル入りの牛乳のコストを分析すれば:

昨7日夜にテレビ東京の「ありえへん常識クイズ」とかいう番組の中で、この「何故我が国にはプラスティック・ボトル入りの牛乳がないのか」という件が採り上げられていた。その中では答えを業界の専門の団体に聞きに行っていた。当然(?)「コストが高くなるから」が答えだったが、制限がある時間内では細部にわたる説明はされていなかった。私は番組の意図は「紙パックよりも安いのでは」と思わせる辺りにあったと見た。

確かに、我が国では未だに牛乳は言うに及ばず、アメリカではあれほど全般的に普及しているプラスティック・ボトル(英語は”jug”だが)入りのジュースすらほとんど見かけない。ジュースには実はコスト以外の理由があって、アメリカでも紙パックを採用しているメーカーもあるが、ここではその点は除外して考えていく。なお、アメリカでは家庭の冷蔵庫の大きさもあって、プラスティック・ジャグ入りの牛乳は圧倒的に1ガロン(約3.8 リットル)入りである。

コストが高くなる理由の第一は輸送費だ。即ち、ミルク充填前の一個の容器の容積が大きいことが挙げられる事はご想像願えるだろう。それを外部の工場でブロー成型させてトラックに積んで輸送すると、まるで空気を運んでいるのと等しいことになって効率が悪く、輸送コストが高くついてしまうのだ。一方の紙パックは折りたたんで段ボール箱に500枚も入るので、輸送効率はプラスティックよりも遙かに良好だ。

そのコスト改善対策として牛乳工場内にプラスティック・ボトルの成形機を設置すると、その生産効率を高めるためにはそれこそ24時間操業していなければならなくなり、作れば充填せねば置き場なくなり、紙パックを使っている時間も余地もなくなってしまうのだ。極言すれば、牛乳工場がジャグの成型工場になってしまうのだ。

次には印刷の問題が挙げられる。紙パックには我が国ではアメリカとは異なってほとんど美術印刷の部類に入るような美しい多色印刷がパック加工時点で直接に施されている。しかし、我が国の技術を以てしても空のプラスティック・ジャグに美術印刷をするのは至難の業であるから、アメリカでは出来ないのは当然で充填された後で、別な工程でレーベルを貼っていくことになり、ここでも余計なコストがかかるのだ。

アメリカでも紙パックには求められない注ぎ口の開閉が可能な蓋がついているジャグの便利さは評価されているし、それ故にジャグが広まっていった理由もある。だが、あの蓋は別途製造し工程内で充填後に閉めねばならず、場合によっては外部から購入されている。これもコスト高を招く原因になる。

以上の点から計算すると、自工場内で製造可能でコストも(外部から購入する紙パックよりも)割安かも知れないプラスティック容器も、コストを綜合すると割高になってしまうのだ。それにアメリカ式のガロン乃至は4 リットル入りの容器は我が国の冷蔵庫には不向きであるのも事実だ。また、牛乳工場も販売店も大型容器で売る方が効率的だが、それもアメリカでのみ通用する理屈なのである。

私は何故我が国ではプラスティック・ジャグが普及しないのかを考える時に、確かにコスト高の件は否定出来ない要素だと思うが、原油価格と為替の変動に振り回されそうなプラスティック容器の製造工場にならざるを得ないことの方が、「コスト不安定化」の問題を抱えることになりはしないかとの懸念を重視したい気がするのだが。

テレビでは屡々「トリビア」という言葉が使われる。私はこの上記のような知識もトリビアの一種だと思うのだが、如何かな。