新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

沖縄問題

2015-04-04 15:31:55 | コラム
私には理解不能だ:

本4日午前中に7チャンネルの週間ニュース新書に元外務省の田中均氏と琉球国際大学の前泊教授(元琉球新報論説委員長)がゲスト出演して、普天間問題が論議されていた。私にはこの普天間移設問題と沖縄の翁長県知事の政府に反旗を翻す姿勢は理解出来ないのだ。もっと単純に言えば「県知事が防衛省の出先機関である沖縄防衛局に工事差し止めの指示を出せる権限があるのか」ということである。

いや、長年会社員であった者からすれば「一つの県の言わば支店長が本社の決定に逆らって、役員会の命令を覆す権限があるのだろうか」という極めて素朴な疑問だ。私でさえも沖縄県には日本中の米軍基地の大半を抱えている負担があるとか、普天間が危険な基地であるとか、その他の県よりも多くの経済的問題があるくらいは承知している。だが、沖縄県の経済が基地に依存しているとも聞かされているし、本土から多くの基地反対の運動家が渡っているとも承知している。

それはそれとして、私には解らないことは基地反対と辺野古移転に反対という民意と先頃の四件の選挙で自民党の候補を破ったという民意を背負っていると前泊教授は穏やか且つ強硬に言った。だが、だからと言って日本政府とアメリカが何年も前に合意したことを破って良いということを主張する権利というか権威が何処から来るのかが解らないのだ。

私が見ていた限りでは、民主党政権時代に鳩山総理だったか菅総理だったか記憶は定かではないが、苟も一国の首相が県知事に会いに沖縄まで出向いて、県知事が着席している状態で首相が立ったままで挨拶しているのを見て「何が順序が間違っている。あれでは県知事をつけ上がらせるのではないか」と不思議に思っていた記憶がある。

私にはそれ以降、沖縄県知事の地位は総理とは言わないまでも大臣並みに昇格したのかと思っている。果たしてそれで良いのだろうかと秘かに危惧していた。

前泊教授は「安倍内閣になってからは県知事が何度お会いしに(「お目にかかりに」が私はあるべき日本語の表現だと信じているが)行っても門前払いだったと言うが、この辺りが沖縄県の要職にある者の認識というか意識なのかと思わせられた。しかも、今回は菅官房長官が、5日の翁長知事との会談に備えて沖縄入りしたと報じられた。田中氏は「一度会ったからといって問題が解決するものではないだろう」と言っていたが。

話題を変えれば、私の中学の同期だった者が藤沢市役所に勤務して係長だった頃に同期会が開催された。会長は当時大蔵本省の課長補佐だったと記憶する。会長と係長は同級(カタカナ語ではクラスだが)だった。そこで係長に「何故会長に挨拶に行かないのか」と尋ねると「何を言うか。如何に同級で同期でも藤沢市役所の係長が本省の課長補佐に気安く声をかけるような真似が出来る訳がないではないか。身分が違いすぎる」と言われてしまった。

この論理を沖縄に当て嵌めると、翁長知事が菅官房長官に会いに行くのが筋のように思えてならないし、沖縄県知事が防衛局に指示を出せる権限があるものなのかが解らなくなるのだ。多分、私にはその辺りの官庁の組織や権限やマトリックスが解っていないから生じた疑問なのかも知れない。田中均氏は「沖縄の選挙は普天間の移転と基地建設の是非を問うものではなかったはずだ」と指摘したが、前泊教授は当然のように「それが民意だ」と主張した。

安倍内閣には、もうそろそろこの案件に決着を付ける時が来たのではないだろうか。それとも翁長知事は彼の決定は「選挙で示された県民の総意は政府とそのアメリカとの合意に優先する」と示す気でいるのだろうか。私には解らないことだ。

佳子様のICUご入学とその報道

2015-04-04 08:01:26 | コラム
マスコミの空疎な報道姿勢は疑問だ:

今月、秋篠宮佳子様が国際基督教大学(ICU)にご入学とあってマスコミ、特にテレビが大きく採り上げて報じているのは、余りにも空騒ぎが過ぎるのではないかと、私は苦々しい思いで眺めている。佳子様ご自身が迷惑されているかどうかまで知る由もないが、あれでは皇室関連の報道ではなくICUをも巻き込んだ芸能ネタではないか。何処かが間違っていると思う。

甚だしい例では女性の芸能レポーターが「佳子様はこれから楽しいキャンパスライフを云々」等と言っていたことがあった。私はICUがどのような基準で授業を展開するのかまで承知していないが、少なくとも”Christian school”(俗に言うミッションスクール)である以上、またGHQがプロテスタント広めようとして設立した大学であると聞いているので、学生が楽しんでいられるような基準は設けていないのではないと思う。

私は1951年にそこまでとは知らずに入学した上智大学(所謂ミッションスクールではない、念のため)のが欧米式の厳しい管理方式に大いに驚かされたものだった。それは簡単に言えば「学生生活を謳歌する」等という雰囲気からはほど遠く、出席点、平常点、膨大な量の宿題とレポートの提出、テスト、試験等学生に次から次へと課される試練に耐えていかないと「落第」か「留年」が待っているという多くの新入生が予想もしなかった厳格さだった。

余談だが、当時は授業を3分の1以上欠席すると受験資格を失って、科目によっては留年が自動的に決まってしまうとの制度があったものだった。必須科目は席が決められており、学務課の担当者が後ろから目視で欠席者を見極めていく方式だったので、代返等の誤魔化しがきかないようになっていた。

但し、それは欧米ではごく普通のことであって、我が国の「大学の文化」とは異なっているだけのことなのだ。特に当時では「規則に定められている学生服を着用し角帽を被っての登校」を守らないと確か50円だったかの罰金徴収」があったし、定められた場所以外での喫煙も同様だで、始業のベルが鳴っても着席していなかった学生がいたというだけで全員を欠席扱いにしてしまった神父様がおられたという具合だった。

特に宿題は強烈で5 cm もあろうかと思わせるような原書を配られて「来週までに読んで感想文を書け」などいう物理的に不可能としか思えないようなものは当たり前で、時には「何頁から何処まで読んでその内容を纏めてくること」等という宿題も出された。これらは全て英語で書くのである。私はある時にその種の本を翻訳本を発見してレポートを提出したところ、神父様に「翻訳を読んだと解る。主語である単語が原本と異なっているではないか」と叱責された。しかし、参加しただけでも評価すると合格点を貰えた。

当時の上智では欧州人の神父様たちの授業はほとんど英語であり、それを聞いてノートを取り試験の答案の英語で書いていたのだから、今思い出しても決して楽ではなかった。現在の上智大学がどのような形で授業が行われているかを知らないが、ICUでもこういうような欧米の基準で行われていると思うのは間違いだろうか。

ハーヴァードのビジネススクール出身のYM氏も「膨大な宿題の量を1週間でこなすためには何人かでグループを結成し、分厚い本を誰がどれだけ読むかを割り当て、1週間という厳しい期限を乗り切ったこともあった」と回顧している。ICUもこういうやり方をしているのならば、決して「楽しいキャンパスライフ」などではなく、「日夜勉学に励む」という極めて当然の学生生活に入っていくことになるのではないか。ましてや、近所の商店街の祝福騒ぎ?まで採り上げるのは見当違いだろう。

私はこの度の佳子様ご入学報道で、ICUの名声は日本国中の広まっただろうと思う。それ自体は良いことだと思う。だが、1学年に600人程度しか取らない大学ではないか。まして、そこでは如何なる制度で授業が行われるかも事前に知らずに入学を目指す若者が増えることが、必ずしもICUの真の望みでもないのではと危惧する。既にICUは”Christian school”と指摘した。そこを良く認識すべきではないのか、テレビ局とレポーターの連中も含めて。