新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

英語論

2015-04-15 10:14:44 | コラム
英語論を考える:

お早う御座います。MI様には「頂門の一針」3629号の荒木純夫氏のご意見をお読みだったと思って申し上げてみます。

私は貴方様も荒木様も我が国の学校教育の中で十分に学ばれ、しかも優れた英語力を養ってこられて基本的な力を備えてこられたと推定してご尊敬申し上げております。その基本を活用されて海外でも最高限度の実績を挙げてこられた上で英語を論じておられる、私とある意味で対極にある学究的な方だと申し上げても良いかと、勝手に解釈しております。

実は、かく申す私も普通に我が国の学校教育の中から育ったのですが、その傍らで幸か不幸かGHQの秘書を含めて多くのアメリカ人と接触する機会があって、学校教育の場以外に自由に話す機会に恵まれたという点が違うかと思います。その後に就職した会社では、英語とは全く無縁な国内の販売だけを16年続けた後で、本当に偶然のことでアメリカの会社に転身していました。その経過は「アメリカ人は英語がうまい」に述べてあります。

そこから先にMI様の英語でのご経験と英語論との違いが発生する原因が出てきたと思っています。それは「私の場合は英語しかない世界に飛び込んだことで、“アメリカ人の英語の世界”を内側から見てきた結果になった」ということです。一方、Mi様は英語の世界をご経験なさったのでも、飽くまでも外国人としてのご経験を積まれたので、外側から見た経験した英語ではなかったのかと思わせる点が多々ありました。

これは転身後長年付き合ってきた大手商社、大手需要家(全部が一部上場会社と言いたいのですが、スエーデンのTetra Pakは多国籍企業ですが非上場)、船社、倉庫輸送会社等々には我が国でも最優秀の社員が揃っていました。そこで聞かれた英語は「学校教育の最優秀な成績を収めた精鋭のそれ」ばかりでした。そこに我が国の英語は何処か違うなと思うに至りました。

そこで我々(と言って良ければそう言いますが)が感じたのは、駐在や留学の経験で鍛え上げられた高い水準にあるとは言え、何処まで行っても「科学として英語教育」での優秀さであって、native speakerたちとは一線を画しているのですが、立派にアメリカ人たちと議論も交渉も折衝も出来る水準以上にある方々が多かったのです。

故に、私は長い間「我が国の英語教育には問題なしとなしないが、あれはあれで良いのだ」と無批判且つ無干渉にしてきました。しかし、リタイヤー後に若手の部類に入る大学の先生方に接する機会を得て論じ合ってみますと、一般論としては(MI様たちのような実力者は除くという意味です)我が国の外国語教育の質の低さには憂うべき点が多々ある世界最低の部類に入る」ということが明らかだと思うようになり、改革論を彼らと共に唱え始めました。

そして今回MI様と意見交換の機会を得て痛感したことは「明らかにMI様と私ではよって来たる基盤と経験が異なるので、言うなれば別の学派に属するとでも言えるほど違う。即ち、MI様は自分の言語ではなく英語を外側から認識して使ってこられた方である」ということだと認識しました。

一方の私は、仮令知らずに入っていった世界であっても、アメリカ人だけと過ごす時間が長くそれしか使える言葉なないことを経験したので、英語を内側から見るというか、ほとんど自分の言語として使い続けた結果での英語論に到着したのだ」と言うMI様との違いが出たと思うのです。しかも私の環境ではある程度以上の品格を求められるという一種の難しい規制まであったのです。

そこまでのことを一般的に我が同胞に求める必要なないとMi様は言われていると思っておりますが、如何ですか。私もそうは思いますが、最初から妥協することなく一定以上の高いところを目指しておく方が、後々では良いのではないかというのが私の理論だと思っております。更に言えば、私は異なる見解と持論に立脚した意見交換が出来ること、今回のように出来たことが非常に良かったし貴重な経験だと感謝申し上げております。

また、それ以上でも以下でもない得がたい経験だと申し上げたいのです。荒木氏のご経験もご素晴らしいと敬意を表しますが、矢張り私とはよって来たる基盤もご経験も異なるので、相互に批判も何もすべきではなく、有り難く承っておくべきだと思うのですが、MI様は如何お考えですか。

英語の言葉を分類すれば

2015-04-15 07:31:21 | コラム
英語の言葉の分類:

ここに採り上げるのは、文法に言う「品詞」=“a part of speech”ではなく、言葉の種類、すなわち「口語」=Colloquialism、Spoken language、「俗語」=slang、(通用語、専門用語、隠語、符丁等)、「慣用語句」=idiom、(成句、熟語)、「汚い言葉」=Swearword、(罵り言葉)を知る限り解説してみようとのかなりな難問である。だが、何とか試みてみよう。

Idiomとは:

慣用語句と訳されている。実際にこれを読んだり、聞かされたりしても直ちに「今、idiomが出てきた」と感じるようなものではないと思う。Oxfordには”A group of words whose meaning is different from the meanings of individual words”とあり、Websterには”An expression that cannot be understood from the meanings of its words but must be learned as a whole”となっている。すなわち、慣用語句の中の言葉一つ一つの意味が解っても、全体の意味は把握できない。だから全体を覚えよ」ということである。

He gave in.=「彼は屈服した」
He burnt his bridge (boat).=「彼は退路を断った」
He saw the handwriting on the wall.=「悪い兆候が見えた」、「悪いお知らせだった」
I was between the devil and the deep blue sea.=「進退窮まったり」
Let’ get the show on the road.=「さー、仕事を始めよう」、「さー。出掛けようぜ」
It’s a piece of cake.=「朝飯前だ」なのだが、“cinch”も“It was a cinch.”の様に使われている。ジーニアスは“No sweat!”も例に挙げている。
How come you put up with such a bad treatment against you? ではput up withは「我慢する」か「耐える」の意味である。

Colloquialismとは:
「口語」のことである。Oxfordには”A word or phrase that is used in conversation but not in formal speech or writing.”とある。私は文語の反対語で話し言葉くらいかなと考えている。すなわち、信頼するに足る辞書「ジーニアス」には反対語は”literary”となっている。実は、上記の例文はジーニアスでは口語に分類されている?

そこで、私が思う例文は

I’ll take a rain check.=「次の機会にします」これはジーニアスには「雨天順延券」となっており「招待などを次の機会にはお受けします」と解説している。入場券を切られた後の半券のことと考えれば解りやすいか。
I’ll sleep on it.=「今晩一晩考える」
Let’s hit the sack.=「さー、寝よう」
How are you getting along in this hot weather?=「暑さに中で頑張っているかい」とでも言うか。

Slangとは:

「俗語」のことである。これが我が国で最も広く誤解されている言葉である。すなわち、残念なことにslangと上記のswearwordを混同しておられる方が誠に多いという意味である。その結果、アメリカ人は「下品なスラングを多用する」と蔑視する方向に進むのだった。かの大作家SM氏が「アメリカ兵が下品なスラングで話し始めた」と書いておられた。これは明らかな誤りである。兵隊たちは確かに両方を話す例が多いが、“スラング”とスエアーウワードを識別できた英語力をお持ちだったら敬意を表したいものだ。

ここでもOxfordの助けを借りよう。”Very informal words and expressions that are more common in spoken language, especially used by a particular group of people, for example, children, soldiers, criminals, etc.”とある。ジーニアスには「特定の社会や職業の通用語、専門用語。隠語、符丁、合い言葉」とある。何だ、犯罪者も使うのならば下品ではないか-と言いたいだろうが、それは次のswearwordの解説を読めば解って貰えると思う。

Slangの例を挙げて見よう。
I don’t care for booze. このboozeは「酒」の意味でかなり広く使われている。
cop=「警官」なのだが、その謂われは警官のバッジが銅製なので、“copper”(コッパーではない、念のため)を詰めたと聞いたことがあった。
cabby or cabbie=「タクシーの運転手」。タクシーは“taxi cab”というから“cab”を縮めたのだろう。
pop=古い言い方では炭酸系飲料だが、soft drinkの代わりに使われている。
Give me a buzz.=「電話をくれ」なのだが“buzz”が俗語である。この代わりに“ring”を使っても同じことになるので、ringも俗語に入れて良いだろう。勿論、正式には“call”と言うべきだ。
gas=ガソリンで、元は“gasoline”なのは言うまでもあるまい。故に、gas stationとなる。「ガソリン・スタンド」は和製英語だから、混同しないこと。

私は以下の硬貨の俗称もslangと考えているのだが。
buck=ドルである。10㌦ならば複数の“s”を付けねばならない。
quarter=25セント。すなわち、4分の1である。
dime=10セントなのだが、“a dime”とすると否定的に使って“I don’t care a dime about that matter.”で「そんなことちっとも気にしない」となって、ややidiom的な感も。
nickel=5セントになる。
penny=1セントである。
gotcha=(相手が言うことが)「解った」であり、誰かを「見付けた」ないしは「捕まえた」という意味に使う。I’ve got you.を短縮した形。これは上品ではないだろう。

Swearwordとは:
「汚い言葉」と訳しておくが、その解説に入る前に、是非この言葉についての私の思い出を採り上げておきたい。

私が1972年8月に生まれて初めてアメリカに出張し、帰路はカナダ西海岸のヴァンクーヴァーからとなった。そこで母親と家内に土産でも買うかと、空港の免税店立ち寄った。応対してくれた販売員はかなり高齢の日系の女性だった。これはと思った物が予算を超過していたので何気なく“Jesus Christ!”と口走った。

するとその販売員がキッとなって急に日本語に変わって「貴方は何という言葉を使うのですか。少しくらい英語ができるからと言っていい気になって汚い言葉を使うとは何事ですか。即刻お止めなさい。私は戦争中にここで育ったために日本語も英語も中途半端になってしまったが、それでもswearwordを使ってはいけないくらいは心得ています。これから先は絶対に使わないようにしなさい」と将に声涙ともに下る忠告を戴いた。私は言葉もなかった。肝に銘じた。

だが、それでも懲りなかったようで、1975年3月にW社に転身後にも東京事務所で日系人のJ氏にも会議室に呼び出されて「貴方の品格を下げる言葉を使うな」と厳しく戒められた。当人はそれほど頻繁に使ったつもりではなかったが、W社のマネージャーともあろう者が使ってはならないとあらためて言われた。

また、本社事業部の副社長にも彼のオフィスに呼ばれて「外国人のお前がswearwordをそれほど上手く使うのは聞いていて気持ちが悪くなる。今後絶対に使うな」と叱責された。

ここまでのエピソードでswearwordとはどういう種類の言葉かお解り頂けたと思う。

これの定番的日本語訳はないだろう。私が好んで採り上げる使用例に「沢尻エリカの“Oh, shit!”」がある。そして、これは最も使ってはいけない言葉の一つである。Oxfordは”A rude or offensive word, used especially to express anger.としているが、これでは弱いと思う。Websterは”to swear”を”Use profane or obscene language.”としている。

私は当初はこれが何であるかという性質を知らずに覚えていた。だが、知らないのは恐ろしいもので、一旦覚えると何となく使ってみたい誘惑に駆られるものであった。これは戦後に駐在した占領軍の兵士たちが使ったために我が国で広まったのである。特に「ゴッダメ」=“God damn it.”がその代表格だっただろう。英語が何であるか良く知られていなかったあの頃には、何の躊躇いもなくアメリカ人が使う言葉を真似していたと思っている。

何故いけないかは上に述べたように明かである。それは我々が所属した(大)会社の本社組織に属する年俸制の社員ともなれば、人前では使ってはいけないものなのである。それだけでは具体性がない。これを使うと、言いたいことを強調できるのだが、それが同時に「語彙の貧弱さ」と「無教養」とを表し「お里が知れる」ことになるのが良くないのである。例を挙げるが、それを見ればslangとは明確に一線を画していると解ると思う。

shit.=「チクショウ」か「何だよ」辺りになるだろうが、下品である。
bull shit=これも「コンチクショウ」であり「この野郎」にもなるだろうか。“horse shit”と言う場合もある。
He is a hell of a salesman.=「彼は凄腕のセールスマンだ」なのだが、このhellがいけないのだ。“hell of a driver”と言えば「運転が凄く上手い人」という具合だ。
God damn it! これも「コンチクショウ」で、日本語でも余り褒められない表現だ。
Jesus Christ.=「なんてこった」か「コンチクショウ」辺りが訳語だろうか。
fuck.→日本語に訳すのも躊躇うような言葉。fuckingとも言う。
ass hole=日本語にも「何とかの穴の小さい奴」という表現があるが、それとは意味が違うものの、汚い言葉の代表格であろう。
Oh, brother.=「何としたことか」とでも言おうか。

要注意事項:

汚い言葉の例はまだ山ほどあるが、この辺で打ち止めにする。その言葉がswearwordかどうかの判断の基準には、先ず”four letter word”がある。日本語と妙な符号であるが4文字の言葉を指す。例えば上記の例にも4文字のものが幾つかある。次が動物である。そして最後に宗教関連である。その例は上に掲げたが”brother”もそのうちだろう。

ここに採り上げた分類ではidiomを除いては気安く使わないように注意すべきである。特にswearword=「汚い言葉」は絶対に避けるべきだ。迂闊に使えば上述のように品格の問題になる。残る二つについては時と場合を熟慮して使って欲しい。だが、例を挙げてくれなくてはどれがそうと解らないと言われそうだが、対策を述べておくに止める。

それは、数年前に気が付いたのだが、映画やテレビのドラマに出てくる警官や守衛等の役ではこの言葉が多用されている。私は口語を知ろうと思えば映画を見ると良いと言ってはきたが、英語を学ぼうと思って気安く副音声にしないことだ。私が最も巧みにswearwordを操っていると見た映画は、一寸古い例になるが、“Die hard 2”の空港警備隊のLorenzo隊長役だった。この役者は日常生活でもこの言葉だけで暮らしているのかと思うほど巧みだった。

参考までにswearwordを知って置こうと思われれば、このDVDかVideoを買うか借りてみることか?これ以外では、アメリカ人を主体として外国人と話をしている時に生ずる問題だから、こちらが知らずに使ってしまったか否かを相手に尋ねればよいし、相手が使ったと思えば”What do you mean by saying so?”であるとか、”What do you mean by using such an expression like hell of a sales person?”とでも質問する方法もある。

041415MM改訂


「英語で考える」勉強法を考える

2015-04-15 07:25:48 | コラム
科学としての英語」の問題点を考えると:

私が考えている問題点は単語やそのアクセント、文法、英文和訳や英作文、構文が何処にどうかかるかといった我が国での教え方が「英語だけで考える作業」を妨げているのではないかと考えている。しかし、この主張には疑問を呈される向きが多い。そこであらためて論じ見たい。

変わらない結論を言えば「辛くて厳しい道ではあるが、英語は『こういう時にはこう言うのか』とそのまま覚えて頭の中には和訳を残さないで置こう」という主張だ。それを「ギアの切り替え」と表現したのだ。しかし、それらを覚えておいて、英語で言いたいことを先ず日本語で思い浮かべることなく、直ちに英語での表現が出てくるように訓練を積んでおいて欲しいものだと言っておく。

また、文法を正確に厳しく教えていることは結構なのだが、実際に言葉がどう使われているかを分析して教えていないために、我々が”big word”と呼ぶ難解で文語的で日常は使われていない言葉や、俗語や、時には汚い言葉までが文章や会話の中に現れてきてしまう結果を招いていると見ている。また、翻訳本の中には「慣用句」や「俗語」に惑わされた誤訳も散見されるのは、「品詞」は教えるが、私が言う「分類」が取り残されているためだと思っている。

この「言葉の分類」は何度か纏めて見たが、今回はこの稿を草するに当たって3度目の改訂を行ったのだが、これは長過ぎるので、別途掲載することにしたい。私の経験では我が同胞が最も苦労されていたのがその中で採り上げた「慣用句」または「慣用語句」だったと思う。それは慣用句を形成する単語が集合すると、その各単語の元の意味からはかけ離れた意味を合成するので、理解が難しくなる為だと思っている。しかも、それらの単語は所謂難しい言葉ではなく、中学1~2年程度の単語である例が極めて多いのだ。

それでは”big word”とは何を指すのかだが、直ぐに思い浮かんだのが近頃テレビで濫用されている「コラボ」である。これは”collaboration”という名詞が元だと思うが、動詞ならば”collaborate”だろう。以前にも述べたが、私はこういう言葉は承知はしていたが、一度も使った記憶はないのだ。これを聞いて英語ならどういうかを考えると”to work together with ~”が出てきた。さもなければ”to work at it jointly with ~”だろうかと考えた。

Oxfordには”to work together with ~ in order to produce or achieve ~”とあり、私の解釈で良かったと思った次第だ。即ち、big wordを単語として学んであった成果で「共同して」を言いたくてcollaborationが出てきて、ご丁寧にもそれを短縮してカタカナ語化していたのだった。私が指摘したい問題点は「我が国の英語教育では品詞を教えても、口語体と文語体の分類が十分に教えられていない模様で、ましてや慣用句や俗語も知らせずに終わっているので、平易な言葉とbig wordが混在するような文章になってしまった例をかなり多く見たり聞いたりしてきたのだった。

この教え方をせよという主張と「英語で考えよう」と何処が違うのかと指摘されそうだが、私は「こういう時にはこのように言えば理解される為にはわざわざ日本語に直して記憶して、もう一度英語に戻すやり方を避けて置こう」と言っているのだ。そういう英語らしい文章やclause(節、乃至は文節で、その中に主語+動詞の形になっているもの)をなるべく沢山音読と暗記・暗誦で覚えておこうと言っているのだ。その積み重ねで「頭の中のギアを英語から日本語、日本語から英語と自在に切り替えられる」ように努力して頂きたいと言っているのだ。

これは私だけではなく、そう出来ている方をいくらでも見聞してきたので言っているのであり、英語で言う”I have not grabbed it out from the air.”ではないのだ。無理に日本語にすれば「無から有を生じさせたわけではない」とでもなるだろうか。即ち、「根拠があって主張している」という意味だ。