新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

48歳と1ヶ月24日の三浦知良がまた得点した

2015-04-20 10:19:14 | コラム
三浦知良には彼の選んだ道を進んで貰いたい:

張本勲に激励された結果か三浦君がまたへディングで得点した。48歳と1ヶ月24日だったそうだ。偉いものだ。

そこで、私が48歳の時にどのような(「どのように」でも良いが)サッカーを楽しんでいたかを思い出してみた。暫し、回顧談にお付き合い願いたい。正直なところ記憶力を誇る私は「藤沢四十雀」というクラブに何時加盟し、何時止めたかの記憶がないし、記録も残していないのだった。しかし、間違いなく1976年には入っていたし、81年までは嬉々として試合に出ていた。ということは48歳まではサッカーをやっていたことになる。

このクラブは極めて大らかなもので、40歳以上の人が集まっており、上を見れば嘗ては関東大学一部リーグの正選手(一本目でも良いか)もいれば、下には(失礼だが)サッカー経験がない素人の方もいて、皆で楽しくリクリエーションとして楽しんでいられるような組織だった。

私は全国制覇を逃した高校の頃は兎も角、関東大学四部リーグの花形?だったが、卒業後5年ほどは母校の非公認コーチを務めた後はサッカーと縁を切った形だった。そして、1976年には16年の空白を経て、見知らぬ人たちの中に入ってボールを蹴ることになった次第だ。

そこで驚かされたのが靴とボールの進歩と変化だった。物がなかった中学から高校の時期と大学の頃には考えられなかったほどキック力が向上したと思わせられたほど、球を遠くまで蹴ることが出来たのだった。同じクラブや対戦相手となったティームにいた高校の下級生だった連中に「40歳を超えてなおキック力が向上した人を見たことがない」と皮肉とも褒められたとも採れることを言われた。

しかも、嘗ては雲上人とまでは言わないまでも自分たちの四部リーグでは手の(足の?)届かない名選手だと思っていた連中も、40歳を過ぎればただの小父さんだったのにも「案外なものだ」と痛感させられた。思うに、彼等は一部校ので猛練習と厳しい試合を続けたために体力を使い果たしてしまったのに対して、碌な練習もせずに過ごした四部校の出身者には未だ高校当時の体力がある程度維持出来ていたのだろう。

回りくどい言い方だったならばお詫びするが、私は往年の名選手の中に入って体力とキック力の点ではひけを取らずに、楽しくリクリエーションとしてのサッカーが出来たのだった、48歳になっても。そう考えてくると、三浦君は高校の頃に一念発起してブラジルに渡って技術に磨きをかけ、全日本代表となるまで鍛え上げたことは、生半可な練習量ではなかったはずだ。

しかも、往年のスピード感も見えず、持ち過ぎることもないとは言え、自分の子供のような年齢の者たちの中に入って試合に出て、しかも得点出来ている体力と精神力を維持していることは誠に素晴らしいものがあると言って賞賛して良いだろう。私は体力も精神力も個体差というか個人差があると思っているので、三浦君が今後とも周りや張本が何と言おうと気にせずに、我が道を進んでいけば良いと思う。

しかし、重ねて言うが「晩節だけは汚さないよう」十二分に注意して貰いたいものだ。

大量の難民を乗せた船が転覆

2015-04-20 09:30:42 | コラム
地中海で700人もの移民が乗った船が転覆:

報道によれば、イタリアの沖でこれだけの大量の移民(難民?)を乗せた船が転覆し、約50人が救出されたとあった。私は救われたそのアフリカ系アフリカ人(妙な言い方だが「黒人」という表現を避けるとこうなってしまう)たちがアフリカや中近東の紛争中の地域から逃れてきたと聞いて、「我が国はそのようなところから遠く離れていて良かったのではないか」というのが偽らざる実感だった。

同時に既に合法・非合法の移民の流入に悩まされているヨーロッパの諸国は、このような形で絶え間なく混乱する自国から逃れてくる大量の難民を受け入れざるを得ない立場に追い込まれているのかと、あらためてその苦しみが何となく解る気がした。さらに、我が国には何時の日にかアジアなのか大陸なのか予想もしたくないが、紛争から逃れた移民があのような形で流れ込もうとしたらどうやって対応するのかと思うと、空恐ろしくなってきた。

政府や一部の政治家は我が国の若年労働者の不足を補わんが為に、近隣の諸国からの移民の受け入れを唱え始めている。これには賛否両論があるが、私は受け入れには反対を唱えたいのだ。

私は別に差別論者でも何でもないが、我が国は何処の国とも国境を接していないために、異文化と異なる宗教を持つ人々との交流に未だ不馴れであると同時に、外国人に必要以上に気を遣いすぎているし且つ又親切すぎる点に、限りない不安を感じさせてくれるから反対を唱えたいのだ。

考え過ぎかも知れないが、あのような大量の移民を乗せたヨーロッパを目指す船の地中海での転覆が続いていると聞かされて、ヨーロッパの諸国の苦悩がその辺りにあるのかと、認識させられたのだった。事実、既にヘイトスピーチ問題も起きていれば池袋には中華街設置反対論もあったし、ここ大久保百人町界隈にはKoreatownの繁昌と衰退があるではないか。その辺りに十分な対応が出来ていないのが現状ではないか。

国際化だのグローバリゼーション等という言葉は聞こえは良いが、オーストラリアやカナダでは既に中国や韓国からの大量の移民の流入にあって、法的な制限策を講じ始めたではないか。あの地中海での転覆を見て、私は最早「対岸の火事」と思って見ていられない時が迫ったのではないかと感じたのだ。同時に、それが杞憂に終わって貰いたいと願っているのだ。