英語での表現力について:
MI氏より今後の展開について以下のようなご意見が寄せられた。それは
「今回の英語論?のやり取りは、白か黒かと言った論争ではないので、お互いに思うところを率直に言うということで、よろしくお願いしたいと思います。ですから、多少過激であってもご遠慮いただく必要なくこうあるべきだ等、言っていただいた方がありがたい程です。」
となっていた。私ももとより賛成で「腹蔵なき意見の交換こそが望ましいと思います。同感です。」とお答えして、下記のような意見を述べた次第です。
“1975年3月にWeyerhaeuserに転身して、駐在のUniversity of WashingtonのMBAである日系人に教えられた表現に”to exchange views and opinions without any reserve”というのがありました。これが「腹蔵なき意見交換」をどう言えば良いのか」と尋ねて、彼が即座に答えた文章です。所謂「難しい単語」など使われていません。凄い日本語の解釈力でした。私はこうやって、これという表現を覚えていきました。
私の論旨は発想の違いを言いたいのです。換言すれば「易しい言葉を使って言いにくいというか(学校英語的には難しい単語を使わずにか?)、難しい内容を英語にする」場合の、我が国に学校英語とアメリカ人の発想とは違うという意味です。学校英語では言い表せない微妙な点があります。
それは、私は「単語という部品をバラバラに覚えてそれを並べようとするのではなく、こういう時はこういう風に使うのだと流れの中で覚えておくと、イザという場合に覚えていた流れの中で言葉を適切に置き換えれば、綺麗な(native式なとでも言うか)英語になり、彼等に間違いなく解らせることが出来る」という主張をしてきました。それは高次元を目指しているとも言えるかも知れません。
私が1990年代後半に某商社の若手の個人指導をしたことがありました。前途有望な(24歳くらいだったか?)彼には「間違うことを怖れるな。例えば街中で目に入る風景を実況中継しながら歩いて見ろ。通行人がおかしな奴という顔をすることを怖れているようでは君には上達の望みはない」と言いましたし、帝国ホテルの1階のサロンで2時間も「の席の人がどう思うかを気にせずに英語で話せ」と強制して、チャンとした表現になるまで返事はしないようなことまでやりました。
その後に彼が言ったことが「貴方は何でそんな難しいことを簡単な単語ばかりで言えてしまうのですか」でした。(これは拙著に出てくる「アメリカ人アメリカ人は英語がうまい」と同様な意味です)私は日本の学校教育の英語で育ち、良い成績を取った方々が話す英語を沢山聞いて「あれでは本当に外国人に思うことが完全に通じないことがあり得るのでは」と危惧したことがありましたし、「??」だったことが実際にありました。
これは決して高望みではなく、英語教育の質の問題であり、その中で生じた問題だと思います。私は中学高校を通して徹底して音読・暗記・暗誦式勉強法で押し通しました。しかし、その頃には学校の勉強と併行してGHQの秘書の方と日常的に英語で話していました。この方は極めて厳格でしたし、”you know”を会話の中に挟んではならないと最初に教えられたのは、後に多くのアメリカ人に”Good for her.”と賞賛されました。
私の英語論の基本にはこういうことがあると申し上げておきます。なるべく彼等の発想を知り自分との違いを認識し、そこに付け込んでいくことが「間違いなく解らせる確実な早道」だと思います。この点を微妙に衝いた名作に、ナンシー坂本さんの”Polite Fictions”があります。英文ですが平易で平明です。未だ入手可能かどうか、版元は金星社?だったかと記憶。
上記に対するMI氏の反応は以下のようなものでした。
<と言いながら入手したばかりの貴方の著作の最初の数頁を読みましたら、”Go down the hallway as far as you can go and take a left. ・・・・・”のところが目に留とり、拾い読みしたら何となく貴方の言わんとするところが見えてきたような気がしました。即ち、単に通じれば良いのではなく、現地の言い方があるのだろうなのでしょう。であるとすれば私が以前に述べた文語調でしゃべる友人がいたのですが、それと基本的に同じ事かと思いました。
また、”to exchange views and opinions without any reserve"この例を読ませていただき、大凡貴方の言わんとすることが明確に判りだしました。「英語らしい英語表現」ということでしょうか。そしてそんなに難しくない、珍しい単語を使わず、ということですね。
以上の理解でよろしければ、全く賛同します。(尤も、私がそのようにうまく表現が常にできるわけではないが)でも、そうするためには、現地人とのより沢山の会話、より沢山の本を読んで(特に小説でしょうか)、同じことを言うにしても、彼らの使う表現を拾っていく、という努力が必要ですね。ということで、前回までの貴方のご主旨は完全に理解しました。>
となっていました。
この段階で私流に結論めいたことを言えば「英語で文章を書くか話す場合にはなるべく簡単な言葉を沢山使ってやさしく表現することを心掛けること。そして、これを言わなくても相手が私の心中を察してくれるだろう等と勝手に考えて省略しないこと。彼等は言わないことを読んでくれるような優しさを持ち合わせていないことを忘れてはならない」とでもなるでしょう。
MI氏より今後の展開について以下のようなご意見が寄せられた。それは
「今回の英語論?のやり取りは、白か黒かと言った論争ではないので、お互いに思うところを率直に言うということで、よろしくお願いしたいと思います。ですから、多少過激であってもご遠慮いただく必要なくこうあるべきだ等、言っていただいた方がありがたい程です。」
となっていた。私ももとより賛成で「腹蔵なき意見の交換こそが望ましいと思います。同感です。」とお答えして、下記のような意見を述べた次第です。
“1975年3月にWeyerhaeuserに転身して、駐在のUniversity of WashingtonのMBAである日系人に教えられた表現に”to exchange views and opinions without any reserve”というのがありました。これが「腹蔵なき意見交換」をどう言えば良いのか」と尋ねて、彼が即座に答えた文章です。所謂「難しい単語」など使われていません。凄い日本語の解釈力でした。私はこうやって、これという表現を覚えていきました。
私の論旨は発想の違いを言いたいのです。換言すれば「易しい言葉を使って言いにくいというか(学校英語的には難しい単語を使わずにか?)、難しい内容を英語にする」場合の、我が国に学校英語とアメリカ人の発想とは違うという意味です。学校英語では言い表せない微妙な点があります。
それは、私は「単語という部品をバラバラに覚えてそれを並べようとするのではなく、こういう時はこういう風に使うのだと流れの中で覚えておくと、イザという場合に覚えていた流れの中で言葉を適切に置き換えれば、綺麗な(native式なとでも言うか)英語になり、彼等に間違いなく解らせることが出来る」という主張をしてきました。それは高次元を目指しているとも言えるかも知れません。
私が1990年代後半に某商社の若手の個人指導をしたことがありました。前途有望な(24歳くらいだったか?)彼には「間違うことを怖れるな。例えば街中で目に入る風景を実況中継しながら歩いて見ろ。通行人がおかしな奴という顔をすることを怖れているようでは君には上達の望みはない」と言いましたし、帝国ホテルの1階のサロンで2時間も「の席の人がどう思うかを気にせずに英語で話せ」と強制して、チャンとした表現になるまで返事はしないようなことまでやりました。
その後に彼が言ったことが「貴方は何でそんな難しいことを簡単な単語ばかりで言えてしまうのですか」でした。(これは拙著に出てくる「アメリカ人アメリカ人は英語がうまい」と同様な意味です)私は日本の学校教育の英語で育ち、良い成績を取った方々が話す英語を沢山聞いて「あれでは本当に外国人に思うことが完全に通じないことがあり得るのでは」と危惧したことがありましたし、「??」だったことが実際にありました。
これは決して高望みではなく、英語教育の質の問題であり、その中で生じた問題だと思います。私は中学高校を通して徹底して音読・暗記・暗誦式勉強法で押し通しました。しかし、その頃には学校の勉強と併行してGHQの秘書の方と日常的に英語で話していました。この方は極めて厳格でしたし、”you know”を会話の中に挟んではならないと最初に教えられたのは、後に多くのアメリカ人に”Good for her.”と賞賛されました。
私の英語論の基本にはこういうことがあると申し上げておきます。なるべく彼等の発想を知り自分との違いを認識し、そこに付け込んでいくことが「間違いなく解らせる確実な早道」だと思います。この点を微妙に衝いた名作に、ナンシー坂本さんの”Polite Fictions”があります。英文ですが平易で平明です。未だ入手可能かどうか、版元は金星社?だったかと記憶。
上記に対するMI氏の反応は以下のようなものでした。
<と言いながら入手したばかりの貴方の著作の最初の数頁を読みましたら、”Go down the hallway as far as you can go and take a left. ・・・・・”のところが目に留とり、拾い読みしたら何となく貴方の言わんとするところが見えてきたような気がしました。即ち、単に通じれば良いのではなく、現地の言い方があるのだろうなのでしょう。であるとすれば私が以前に述べた文語調でしゃべる友人がいたのですが、それと基本的に同じ事かと思いました。
また、”to exchange views and opinions without any reserve"この例を読ませていただき、大凡貴方の言わんとすることが明確に判りだしました。「英語らしい英語表現」ということでしょうか。そしてそんなに難しくない、珍しい単語を使わず、ということですね。
以上の理解でよろしければ、全く賛同します。(尤も、私がそのようにうまく表現が常にできるわけではないが)でも、そうするためには、現地人とのより沢山の会話、より沢山の本を読んで(特に小説でしょうか)、同じことを言うにしても、彼らの使う表現を拾っていく、という努力が必要ですね。ということで、前回までの貴方のご主旨は完全に理解しました。>
となっていました。
この段階で私流に結論めいたことを言えば「英語で文章を書くか話す場合にはなるべく簡単な言葉を沢山使ってやさしく表現することを心掛けること。そして、これを言わなくても相手が私の心中を察してくれるだろう等と勝手に考えて省略しないこと。彼等は言わないことを読んでくれるような優しさを持ち合わせていないことを忘れてはならない」とでもなるでしょう。