新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

努力って何?

2015-04-26 09:30:52 | コラム
「努力できるのも運のうち」:

週刊新潮4月30日号の連載コラム「生き抜くヒント」で五木寛之氏が「努力できるのもうんのうち」と題して論じておられる中で、”ある世界的アスリートが「人生で成功する為に大事なことはなんだと思われますか」と問われて「99パーセントの努力と1パーセントの幸運」”と答えたとあった。如何にも尤もらしい答えのようだが、私には衒いが感じられた。

それは、私は「一定以上の水準にあるスポーツ選手ならば一所懸命にきつい練習や厳しい試合に励むのは当たり前のことであって、殊更に他人様に向かって言うことではない」と思っているから。「運」等というものは一所懸命にやった者が恵まれる性質であり、ただ座して待っていても運が向こうから流れてくることはないと信じている。努力してあれば、90%以上の確率で運が向いてくるものだとも考えている。

私は我が国では教訓的にも、学問の世界でも、企業の世界でも、学校の勉強でも、運動競技の分野でも、マスコミ論調でも「努力」は常に高い評価を受け、何かを志す者は努力するのが当然であると認識されていると思っている。それは五木氏が文中に引用されている「天賦の才」に恵まれていても、それだけでは如何なる分野に於いても真の意味での成功は容易に為し得ないものであると認識されているからだ。

私は「努力」の意義と価値を認めている方である。だが、努力とは「何かを目指して一所懸命に集中することであるが、それが人並みであれば多くの対抗者から抜け出すことはできないこと」だという風に解釈していた。そこで、ここで初めて広辞苑には何と出ているかを調べてみた。それは意外にもあっさりとしたもので「目標実現のため、身心を労してつとめること。ほねをおること」とあった。

そこで英語に目を転じて”effort”をOxfordで見ると”the physical or mental energy that you need to do ~. ~ that takes a lot of energy”とあった。”endeavour”(アメリカ式ではendeavor)にも似たような感覚があるのでWebsterを見ると、”a serious determined act”とあった。Oxfordは”an attempt to do ~, especially new or difficult”となっていた。ジーニアスには”effort”は「努力すること「しばしば~しようとすること;(精神的・肉体的な)努力」とある。前後したがWebsterの”effort”は”conscious exertion of power”とあって単純明快的だった。

何でここまで辞書の解釈を長々と論じてきたかといえば、私自身がここまでに並べててきたような努力をした記憶がないのだからいうのだ。高校までの勉強は「やらねばならないことである以上何とか人並みにはやっておかないと落後してしまう」との危機感があって好きでもないことをやっていただけで、それと同等程度の努力をサッカーの全国制覇を目指した練習に傾けていたとの事実があった。

1975年にW社に転じた後は事業部の高い目標として対日供給の弱小メーカーに過ぎなかった我が事業部を「対日供給の市場占有率(シェアーと言えばカタカナ語だ!)#1の座に持って行く」を掲げていたので、10年以上は大・中・小の規模の営業面と製品面(=品質問題と特化しても良いだろう)の艱難辛苦を与えられて、四苦八苦の日が続いた。

結局はこれらの全てを乗り越え、切り抜けて念願の#1サプライヤーの地位にのし上がったのだが、その間に数多くの困難な局面を乗り越えるために努力したという記憶は一切なかった。私を含めた事業部の副社長兼本部長以下は「ここを乗り越えれば必ずその先には我らの世界が待っている」との信念で事に当たっていただけだった。即ち事業部員として出来る限りのことを、その担当分野は言うに及ばず、時には同僚の担当を犯しても「何とかせねば」との思いだけで動いてきたのだった。

「努力をした」等と後になって他人に聞かせる為か、聞かせたいだけの台詞が言いたくて行動していた訳ではないと言えると思う。私は「自分の身(職)を守るためにも、ここでは出来る限りことを全てやっておこう、この難局にあっても何とかしてトンネルの先に灯りが見えるようにやっていこう」と考えていただけで、「努力しよう」という観念は全くなかった。「やる以外ないのだ」という思いだけだった。特別なことをするのではないのだ。

私は兎も角本社機構に中にいる連中は”Job security”が念頭を離れなかっただろう。それは個人としての職の安全も兎も角、自分がやるべきことをやっておかないでいれば、事業部そのものの存在の危機に発展しかねないこともあると認識しているのが、アメリカ式な”Job”の観念であると私は考えている。

五木寛之氏は「運」も採り上げておられたが、私は大恩ある日本の会社を辞めてアメリカの会社に転身するという「運」を受け止めて、その運を何とかしてでも活かして自分の道を切り開かねばならないと思って、馴れない環境と世界で懸命に行動しただけだった。その「運」を活かせるか活かせないかが「腕」であって、その「腕」は年月をかけて自分で養っていくしかなったのだと今でも考えている。

但し「運」は何時何処から如何なる形で向かって来るかは予測できないものであり、中には掴んではいけない運もある。そのどれを何時適確に掴むかは「運の良し悪し」もあるかと思うが、私の中学・高校の級友の1人は私が三度の心筋梗塞を乗り切れたのは「運が強いのだ」と言ってくれた。心筋梗塞から生き残れたのはお医者様のお陰だ。努力したためではない。