「頂門の一針」第3034号の向市真知様の「リハビリって何」に思う:
向市様がその中で下記に引用するように論じておられたところが、私には最も印象的だった。
<しかし、患者、家族の方はリハビリは療法士がするものと思い込んでいるケースが多いように思います。よく言われるのに「リハビリが少ない」、
「リハビリをしてもらえない」というクレームがあります。療法士がするものだけがリハビリなら、診療報酬上点数がとれるのは一日20分から180
分です。
「リハビリを受けさせたいから入院させてほしい」とよく言われますが、一日の何分の1かの時間のリハビリだけで「再び生きる」道のりを前に進むことはむずかしいものです。あとの時間をベッドに寝ているだけでは、何の意味もありません。「リハビリのために入院している」というだけの安心感の意味しかありません。
いくら日本一の理学療法士の訓練をうけたからといって、患者本人が「リハビリをする(再び生きる)」心構えになっていなければ、空振りに終わってしまいます。>
と指摘しておられた。私には「空振りに終わってしまいます」とされた最後の節に感銘を覚えた。
私は2月11日に退院出来た25日間の入院中の最後の週に、まずは最初の4日間のリハビリを開始させられた。敢えて「させられた」と言うのは正直なところ「何で主治医はこんな事をさせるのか」との思いがあったからだ。心不全の大病をした私には過剰負担かも知れないし、どれほどの効果があるのかとも少し疑問に感じたのだから。
一方、私はnaiveにも、心の片隅では「退院出来た後には、発症以前の身体に近い状態に戻れて、元の生活が出来るのでは」との何の根拠もない期待感があった。しかし、同時に「もう、俺はこの弱った心臓で残る人生を過ごさねばならない身体だ」とも本気で憂いていた。そう思いつつも「この世には止まない雨はないし、明けぬ夜もないはず」と信じていた。即ち、「回復出来ぬ事はないはず」とも思っていた。
そして、退院後は毎週の水曜日にリハビリに通い続けている。それは病院側の行き届いたリハビリの進め方に「これを続ければ必ずその先に何かがあるはずだ」と解ってきたし、理学療法士の励ましと丁寧に回復の状況を教えて貰えることで、「何とかなるかも知れないし、此処まで来たのだから何とかせねば」という意欲が湧いてきたのだった。リハビリに通うこと自体が楽しみになって来たのだった。
私には未だ道半ばでこの先何処まで行けば「雨が止み、夜が明ける」のかは解らない。だが、以前にも述べたが「トンネルの先見えた灯り」が段々に明るくなってきたのは確かだ。当初は惰性に近いような好い加減な心構えで通ったいたリハビリに、真剣になって来た結果が出たのだと思う。「再び生きる」心構えになって来たようだ。
向市様がその中で下記に引用するように論じておられたところが、私には最も印象的だった。
<しかし、患者、家族の方はリハビリは療法士がするものと思い込んでいるケースが多いように思います。よく言われるのに「リハビリが少ない」、
「リハビリをしてもらえない」というクレームがあります。療法士がするものだけがリハビリなら、診療報酬上点数がとれるのは一日20分から180
分です。
「リハビリを受けさせたいから入院させてほしい」とよく言われますが、一日の何分の1かの時間のリハビリだけで「再び生きる」道のりを前に進むことはむずかしいものです。あとの時間をベッドに寝ているだけでは、何の意味もありません。「リハビリのために入院している」というだけの安心感の意味しかありません。
いくら日本一の理学療法士の訓練をうけたからといって、患者本人が「リハビリをする(再び生きる)」心構えになっていなければ、空振りに終わってしまいます。>
と指摘しておられた。私には「空振りに終わってしまいます」とされた最後の節に感銘を覚えた。
私は2月11日に退院出来た25日間の入院中の最後の週に、まずは最初の4日間のリハビリを開始させられた。敢えて「させられた」と言うのは正直なところ「何で主治医はこんな事をさせるのか」との思いがあったからだ。心不全の大病をした私には過剰負担かも知れないし、どれほどの効果があるのかとも少し疑問に感じたのだから。
一方、私はnaiveにも、心の片隅では「退院出来た後には、発症以前の身体に近い状態に戻れて、元の生活が出来るのでは」との何の根拠もない期待感があった。しかし、同時に「もう、俺はこの弱った心臓で残る人生を過ごさねばならない身体だ」とも本気で憂いていた。そう思いつつも「この世には止まない雨はないし、明けぬ夜もないはず」と信じていた。即ち、「回復出来ぬ事はないはず」とも思っていた。
そして、退院後は毎週の水曜日にリハビリに通い続けている。それは病院側の行き届いたリハビリの進め方に「これを続ければ必ずその先に何かがあるはずだ」と解ってきたし、理学療法士の励ましと丁寧に回復の状況を教えて貰えることで、「何とかなるかも知れないし、此処まで来たのだから何とかせねば」という意欲が湧いてきたのだった。リハビリに通うこと自体が楽しみになって来たのだった。
私には未だ道半ばでこの先何処まで行けば「雨が止み、夜が明ける」のかは解らない。だが、以前にも述べたが「トンネルの先見えた灯り」が段々に明るくなってきたのは確かだ。当初は惰性に近いような好い加減な心構えで通ったいたリハビリに、真剣になって来た結果が出たのだと思う。「再び生きる」心構えになって来たようだ。