オリンピックのエンブレム見直しに見る我が国の思考体系:
先程、というか昼過ぎにテレビ画面にこの一件の速報が流れた。私はこの件については全く触れてこなかったが、国立競技場建設問題で不手際は非難した。その理由は簡単で「私にはグラフィックデザインについて何か言える材料の持ち合わせがない」からという簡単(濫用されているカタカナ語「シンプル」はこういう場合に当てはまるだろう)なことだった。
今回のエンブレムの案件にせよ、国立競技場建設問題にせよ、「白紙に戻しゼロベースから」と「見直し」との決定に至るまでに空費した時間が長過ぎた。これは「黒か白か」、「ィエスカノーか」、「やるのかやらないのか」と全てを二進法に思考体系でいともあっさりと決めてしまうアメリカやヨーロッパ人たちとの単純明瞭な思考体系の違いが現れただけかと思う。だが、この違いは大きい。
実は、私は国立競技場が問題化した時に直ちに考えたことは「やり直し」だった。また佐野某が巻き起こしたエンブレのデザインの剽窃疑惑を聞いた時にも「止める方が良い」と即刻考えていた。これは長年慣れ親しんだアメリカ式思考体系の影響が素直に現れただけのことで、その残渣が未だに残っているのだと、我ながら感心(?)していた。我が国の組織委員会は何とか(落としどころを見出して)穏便に解決をと苦労されていたことは良く解って経過を眺めていた。
ここで念のために申し上げておきたいことは「私は二進法的思考体系を礼賛していないし、最善なものだとも思っていないし、見習って欲しいとも考えたことはない。重要なことは「彼等は我が国とは全く正反対な思考体系に基づいて動いている人種だ」と知ることだ。それだけではない「文化が違う」との認識を持つべきだということだ。私はこの度の見直しは時間をかけてよりよき結論を導き出したと思っている。
先程、というか昼過ぎにテレビ画面にこの一件の速報が流れた。私はこの件については全く触れてこなかったが、国立競技場建設問題で不手際は非難した。その理由は簡単で「私にはグラフィックデザインについて何か言える材料の持ち合わせがない」からという簡単(濫用されているカタカナ語「シンプル」はこういう場合に当てはまるだろう)なことだった。
今回のエンブレムの案件にせよ、国立競技場建設問題にせよ、「白紙に戻しゼロベースから」と「見直し」との決定に至るまでに空費した時間が長過ぎた。これは「黒か白か」、「ィエスカノーか」、「やるのかやらないのか」と全てを二進法に思考体系でいともあっさりと決めてしまうアメリカやヨーロッパ人たちとの単純明瞭な思考体系の違いが現れただけかと思う。だが、この違いは大きい。
実は、私は国立競技場が問題化した時に直ちに考えたことは「やり直し」だった。また佐野某が巻き起こしたエンブレのデザインの剽窃疑惑を聞いた時にも「止める方が良い」と即刻考えていた。これは長年慣れ親しんだアメリカ式思考体系の影響が素直に現れただけのことで、その残渣が未だに残っているのだと、我ながら感心(?)していた。我が国の組織委員会は何とか(落としどころを見出して)穏便に解決をと苦労されていたことは良く解って経過を眺めていた。
ここで念のために申し上げておきたいことは「私は二進法的思考体系を礼賛していないし、最善なものだとも思っていないし、見習って欲しいとも考えたことはない。重要なことは「彼等は我が国とは全く正反対な思考体系に基づいて動いている人種だ」と知ることだ。それだけではない「文化が違う」との認識を持つべきだということだ。私はこの度の見直しは時間をかけてよりよき結論を導き出したと思っている。