新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

スコットランドに負けた我が代表

2015-09-24 08:28:39 | コラム
力を出し切って負けた:

心ならずも連日ラグビーを論ずることになってしまった。23日夜は初めて我が代表の戦い振りを深夜(?)22時半のキックオフから見ることになった。マスコミは中三日である事を強調していたが、それは彼らが負けた場合の「言い訳」を予め用意していたことになるのではないかと、心中密かにその不見識さを嘲笑っていた。

(1)善戦健闘だったが、如何せん力が及ばなかった:
我が代表は前半にはマスコミの「中三日」とやらの懸念を振り払うように力一杯の健闘で、スコットランドのゴール前のライン・アウトからのモール(と言うのかな)を形成して押し切ってトライに持って行くなど、取れる間に取っていこうとの強固な意志を見せる力一杯の攻め方でスコットランドを押していった。だが、今回は南ア戦の反対で不用意な反則で前半だけでPKで12点も取られたのが、私には結果的に敗因になったと思わせてくれた。

その点を除けば、前半は互角以上の試合展開で、我が代表の実力はそこまで上がってきたかと思わせるものがあった。だが、よく見れば「良いプレーだ」であるとか「強いな、良くタックルに耐えて前進したな」や「身体の強さで負けていないな」と思わせるプレーの過半数は外国人なのだった。以前は外国人選手は個人的に目に物見せようとするプレーを展開し「皆で一丸となって」という我が国独自の精神とは異質の個人プレーが際立ったいた。

その欠陥がここまで来るとかなり是正され、彼らは「ティーム・ウワーク」に貢献しようとするかのように15人の一員である事というか、皆の為にやっていこうと一所懸命になってやるようになって来たと見えるようになって来た。それが混合ティームとしては嘗てない纏まった力を発揮する大いなる原因になっていたと、私は見ている。

と言うことは、ラグビーのW杯はサッカー界にある世界地域別クラブ選手権と同じ存在である事になってしまう。だが、世界の強豪国が外国人を加えているか否かは、私は寡聞にして知らないし、マスコミはそこまで踏み込まない。それは、例えばオーストラリアの有力選手が自国の代表に選ばれなかったので、一念発起してニュージーランドに渡って3年間プレーして選ばれる例があるのかという意味だ。

(2)試合の経過:
前半は我が代表が持てる力を限界まで発揮して僅差でスコットランドを追い詰め、特に前半最後のプレーでスコットランドのゥイングがあわやトライかと思わせるラインに際の快走を五郎丸が懸命のタックルでタッチラインの外に押し出した守りなどは「力の限界までのプレー」として褒めて良いだろう。そこまで良く耐えていたと私は解釈していた。スコットランドはその間に我が方の出方を十分に把握したと危惧していた。

しかし、マスコミが褒め称え、あのキックの前のお呪いのような仕草の解説までした五郎丸のキックが不思議なくらい決まらず、またスコットランドが危険な場所で反則をしてくれなかったことも敗因の一つに入れて良かっただろう。後半にスコットランドは我が方の細かいミスを逃さずチャンスに変えただけではなく、力というか身体の強さと鋭いカットバック走法で我が方に守りを切り裂いて5本のトライを決めて押し切ってしまった。

そこには「中三日」という不利な条件は勿論あっただろうが、アナウンサーが再三喚いた「猛練習の成果」で我が代表は最後まで気力で負けることなく、大敵を相手にして持てる力を十分に発揮して善戦健闘していたと、私は見ている。だが、そこまでやれても、勝負というものは意地が悪いもので、ここぞという時に実力の差が悲しいほど現れるものなのだ。私はあの35点差を大きな実力の差と見るのか、僅かの差と見るかは微妙な問題だと思う。

(3)不適切なアナウンサーの中継:
不愉快と言えば言いすぎかも知れないが、私はアナウンサーが我が代表が勝って欲しいと思う一念が余りにも中継の語りというか喚きというか叫びに現れていて、聞き辛かった。熱心なのは解らないのでないが、屡々当方の冷静な観察の妨げになっていたのは遺憾だった。思い入れ過剰だった。

あれではアナウンサーという名の応援団で少し冷静さを欠き主観が入りすぎている。例を挙げれば、主将のリーチ・マイケル(帰化人でありリーチが名字だ)がボールを持つ度に「キャプテンのリーチ・マイケルが」と期待感たっぷりに叫び、今にも彼が所謂「ゲイン・ライン」を突破して突進するかのように言うのは感情移入が過剰だと言うこと。

また、解説の大畑大介も豊富な国際試合の経験に基づいて解りやすく語ってはくれたが、彼もここぞというチャンスかあわやというピンチの局面では、完全に解説者の立場を忘れて一人の応援団員となってしまっていたのは如何なものかと言わざるを得ない。彼の心中は察するに余りあるが、解説者という以上、あそこまでの感情移入は避けるべきだっただろう。

(4)結び:
我が代表に力が付いてきて世界の強豪というか上位の国とあそこまで渡り合えることは十分に認識出来た試合だった。だが、そこまでの相手との試合ではほんの一寸したというかほんの些細なミスと、気を抜いた瞬間とか、あと半歩でも及ばなかった場合に取り返しの付かないピンチが襲ってきて失点に繋がってしまうものだと、昨夜の敗戦が痛いほど教えてくれた。

我が代表が残る二試合を勝ち抜く為にはこのような僅かの差を如何にして克服していくかにかかっていると思う。技術、体力、走力、判断力、ティームとしての総合力はかなり強豪国に遜色ないところまで来ていると見た。その先にあるものが「この僅かな」というか「ここぞという時にミスをしない力」を養うことではないか。だが、この辺りの差が、勝負を左右するものだと認識するよに精神力を強化して貰いたい。