副作用欄には下痢も載っていた:
昨15日の医長先生の定期検診で、今年2月の入院中から始まっていた何時終わるとも知れないとすら感じた下痢を起こしていたある胃腸薬が処方箋から外された。この症状は病院以外のクリニックの先生方にも診て頂き薬を出して頂いていたが、一向に止まる気配がなく、それでなくても神経が絹糸よりも細い私を苦しめていた。それが先月の内視鏡検査と大腸の組織の生検の結果で2月から処方されていた胃腸薬が原因と特定されたのだった。
私はこれまでに「薬は飲まないのに越したことはない」であるとか「副作用が無い薬はない」や「恐ろしい副作用」等々を見聞してきた。現に2006年1月の第1回目の心筋梗塞発症以来多くの薬を飲み続け、薬局が発行する説明書に副作用とされている事柄のかなりなものを大なり小なり経験してきても苦しめられるほどではなかったし、ここに言う下痢ほどの酷さは未だ嘗てなかった。
そして、多くの先生方はそれがある特定の胃腸薬の副作用とまでは診断されなかったようだった。クリニックの先生方もCTスキャン、エコー(超音波検査)、血液検査等々をして下さったが、結論が出なかった。そこで8月にS先生が敢えて国際医療研究センター病院・消化器内科に紹介状を書いて下さって胃と大腸の内視鏡検査になった次第だった。
私は複数のクリニックの先生方も気付かれなかったその薬の副作用が私に出ていたとは考えておられなかったことを、どうのこうのと論じる気はない。「恐らく極めて例外的なことだったのだろう」と考えている。しかし、クリニックの先生方は異常であると思っておられたのは間違いないと思う。私にはそもそも処方された循環器科の先生が何故ご存じではなかったのかとは考えたが、そこを責めて何になるのかとの思いもある。
しかし、苦しかった。それは私が1985年10月にシアトルで貰い事故に遭い頸椎を損傷され、結果的に数ヶ月にわたった神経性下痢を発症して塗炭の苦しみを味わっているから余計に今回の原因が特定されない下痢が続くことが恐怖だったのだ。どのような苦しさだったかを詳しく述べる気はないが、外出するのが怖くて着るものだけではなく、はくものにも非常に神経を遣ったとだけ申し上げておく。
ここからが結論だが、私はこれまでの人生で薬のお陰で救われた経験はあるので、薬の服用を否定する気はない。また先生方は治す為に処方して下さっていると信じている。だが、今回のように半年も副作用とは知らなかった下痢を経験すれば、持論である「硬貨には両面がある」はその通りのことがあると痛感せざるを得なかった。
嘗てW社の中央研究所担当の上席副社長は「人間とは面白いものだ。自動車事故に遭って車が危険だなものだと痛感しているはずなのに、またその危険な存在である救急車に躊躇わずに乗せて貰う」と言った。私もこれから先も何時どのような副作用が出てくるかも知れないあの胃腸薬以外の薬を、生き延びたい為に飲み続けるだろうと思っている。
昨15日の医長先生の定期検診で、今年2月の入院中から始まっていた何時終わるとも知れないとすら感じた下痢を起こしていたある胃腸薬が処方箋から外された。この症状は病院以外のクリニックの先生方にも診て頂き薬を出して頂いていたが、一向に止まる気配がなく、それでなくても神経が絹糸よりも細い私を苦しめていた。それが先月の内視鏡検査と大腸の組織の生検の結果で2月から処方されていた胃腸薬が原因と特定されたのだった。
私はこれまでに「薬は飲まないのに越したことはない」であるとか「副作用が無い薬はない」や「恐ろしい副作用」等々を見聞してきた。現に2006年1月の第1回目の心筋梗塞発症以来多くの薬を飲み続け、薬局が発行する説明書に副作用とされている事柄のかなりなものを大なり小なり経験してきても苦しめられるほどではなかったし、ここに言う下痢ほどの酷さは未だ嘗てなかった。
そして、多くの先生方はそれがある特定の胃腸薬の副作用とまでは診断されなかったようだった。クリニックの先生方もCTスキャン、エコー(超音波検査)、血液検査等々をして下さったが、結論が出なかった。そこで8月にS先生が敢えて国際医療研究センター病院・消化器内科に紹介状を書いて下さって胃と大腸の内視鏡検査になった次第だった。
私は複数のクリニックの先生方も気付かれなかったその薬の副作用が私に出ていたとは考えておられなかったことを、どうのこうのと論じる気はない。「恐らく極めて例外的なことだったのだろう」と考えている。しかし、クリニックの先生方は異常であると思っておられたのは間違いないと思う。私にはそもそも処方された循環器科の先生が何故ご存じではなかったのかとは考えたが、そこを責めて何になるのかとの思いもある。
しかし、苦しかった。それは私が1985年10月にシアトルで貰い事故に遭い頸椎を損傷され、結果的に数ヶ月にわたった神経性下痢を発症して塗炭の苦しみを味わっているから余計に今回の原因が特定されない下痢が続くことが恐怖だったのだ。どのような苦しさだったかを詳しく述べる気はないが、外出するのが怖くて着るものだけではなく、はくものにも非常に神経を遣ったとだけ申し上げておく。
ここからが結論だが、私はこれまでの人生で薬のお陰で救われた経験はあるので、薬の服用を否定する気はない。また先生方は治す為に処方して下さっていると信じている。だが、今回のように半年も副作用とは知らなかった下痢を経験すれば、持論である「硬貨には両面がある」はその通りのことがあると痛感せざるを得なかった。
嘗てW社の中央研究所担当の上席副社長は「人間とは面白いものだ。自動車事故に遭って車が危険だなものだと痛感しているはずなのに、またその危険な存在である救急車に躊躇わずに乗せて貰う」と言った。私もこれから先も何時どのような副作用が出てくるかも知れないあの胃腸薬以外の薬を、生き延びたい為に飲み続けるだろうと思っている。