新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

9月16日 その2 薬の効用を考える

2015-09-16 08:39:14 | コラム
副作用欄には下痢も載っていた:

昨15日の医長先生の定期検診で、今年2月の入院中から始まっていた何時終わるとも知れないとすら感じた下痢を起こしていたある胃腸薬が処方箋から外された。この症状は病院以外のクリニックの先生方にも診て頂き薬を出して頂いていたが、一向に止まる気配がなく、それでなくても神経が絹糸よりも細い私を苦しめていた。それが先月の内視鏡検査と大腸の組織の生検の結果で2月から処方されていた胃腸薬が原因と特定されたのだった。

私はこれまでに「薬は飲まないのに越したことはない」であるとか「副作用が無い薬はない」や「恐ろしい副作用」等々を見聞してきた。現に2006年1月の第1回目の心筋梗塞発症以来多くの薬を飲み続け、薬局が発行する説明書に副作用とされている事柄のかなりなものを大なり小なり経験してきても苦しめられるほどではなかったし、ここに言う下痢ほどの酷さは未だ嘗てなかった。

そして、多くの先生方はそれがある特定の胃腸薬の副作用とまでは診断されなかったようだった。クリニックの先生方もCTスキャン、エコー(超音波検査)、血液検査等々をして下さったが、結論が出なかった。そこで8月にS先生が敢えて国際医療研究センター病院・消化器内科に紹介状を書いて下さって胃と大腸の内視鏡検査になった次第だった。

私は複数のクリニックの先生方も気付かれなかったその薬の副作用が私に出ていたとは考えておられなかったことを、どうのこうのと論じる気はない。「恐らく極めて例外的なことだったのだろう」と考えている。しかし、クリニックの先生方は異常であると思っておられたのは間違いないと思う。私にはそもそも処方された循環器科の先生が何故ご存じではなかったのかとは考えたが、そこを責めて何になるのかとの思いもある。

しかし、苦しかった。それは私が1985年10月にシアトルで貰い事故に遭い頸椎を損傷され、結果的に数ヶ月にわたった神経性下痢を発症して塗炭の苦しみを味わっているから余計に今回の原因が特定されない下痢が続くことが恐怖だったのだ。どのような苦しさだったかを詳しく述べる気はないが、外出するのが怖くて着るものだけではなく、はくものにも非常に神経を遣ったとだけ申し上げておく。

ここからが結論だが、私はこれまでの人生で薬のお陰で救われた経験はあるので、薬の服用を否定する気はない。また先生方は治す為に処方して下さっていると信じている。だが、今回のように半年も副作用とは知らなかった下痢を経験すれば、持論である「硬貨には両面がある」はその通りのことがあると痛感せざるを得なかった。

嘗てW社の中央研究所担当の上席副社長は「人間とは面白いものだ。自動車事故に遭って車が危険だなものだと痛感しているはずなのに、またその危険な存在である救急車に躊躇わずに乗せて貰う」と言った。私もこれから先も何時どのような副作用が出てくるかも知れないあの胃腸薬以外の薬を、生き延びたい為に飲み続けるだろうと思っている。


ファッション左翼から旧制高校を論じれば

2015-09-16 07:42:31 | コラム
旧制高校を語れば:

畏メル友尾形美明氏との間でファッション左翼論から始まって旧制高校論を交わしましたので、ご紹介します。

(1)始めに当方から:
<その昔、未だ旧制高校があった頃、弊衣弊帽に高下駄の彼等は共産党に入党し、肺結核を病んで青白い顔で咳をしている連中が流行の最先端を行っていました。実は、私たちの教育制度変更で旧制高校に行き損なって年齢層には高等学校は憧れだったのです。お笑い下さい。その後にファッション左翼と言われた者たちも現れました。私は昨夜のあの国会前でのデモ帰りの連中を見てその「ファッション左翼」を思い出しましたが、同時に極めて腹立たしい思いがありました。>

(2)尾形氏より:
<戦前の旧制高校や大学は、言っちゃなんですが、戦後の“駅弁大学”とは格が違います。戦前の大卒は本当のエリートでした。大卒への進学率は数%だったのではないでしょうか。ですから、一校・東大卒ともなると、「末は博士か大臣か」などと言われたものです。

旧制中学への進学率も僅かでした。ですから、小学校の先生も中学卒が大半だったのではないでしょうか。庶民の子供は尋常高等小学校までが普通でした。それでも、結構、子供達の読み書きのレベルは高かったように思います。>

(3)当方から:
<私の個人的な感想かも知れませんが、私の6年上の従兄弟に湘南中学→水戸高校(現茨城大)→東大法学部→弁護士(故人)がいました。彼の前後の学年の交友関係で私が「高等学校の人たち」を知り得たとも言えますが、旧制高校出身者はまさしくエリートで、アメリカで言えばIvy League出身のMBAのような支配階層になっていく存在でした。

その従兄弟との関係で知る水戸高から東大出身者だけでも弁護士、王子製紙・専務2人、旧山陽国策パルプ(現日本製紙)・専務、東大教授等々で、まさしく我が国の政治・経済・法曹界の中心にいました。21世紀パラダイム研究会の前会長・上田正臣氏(旧制山形高校→東大→興銀常務)は繰り返し「旧制高校を廃止して失ったものは大きい。あの3年間の勉強と切磋琢磨で人格が築き上げられた」と述懐されました。

しかし、私には現在の猫も杓子も大学進学時代と彼ら旧制高校出身者と何処かどのように違っているかを明確に認識出来ていません。だが、ハッキリと言えることは例えば東芝の例に見るような「経営者の劣化」を招いている感はあります。一言でいえば「気骨が違います」でしょうか。「理想も低くなってしまった感」もあります。

当時は今とは比較にならない「差別社会」でしたが、皆その分を弁えていて何処かの新聞のように「格差排除」などとは言いませんでした。再び言いますが、どちらが良いのかは解りません。現代は「悪平等を謳歌する」かの感がありますが。>

(4)尾形氏より
<仰せのように難しい問題ですね。ただ言えることは、戦前の日本は世界的な視野で見れば、それが普通だったのです。いや、世界的視野で見れば、断然、先進的であったと思います。だって、江戸時代の日本が世界最高の識字率を誇ったように、その時代の基準で見るべきだと思います。

明治以降の日本は、教育の面でも決して遅れてはいませんでした。それこそ、国民国家となり、四民平等の下で教育にも尽力してきました。当時の清や李氏朝鮮など比較になりませんでした。欧米諸国と比べても、一般国民の教育は断トツだったのではないでしょうか。

戦後、奇跡的な経済成長を成し遂げると、国民の大半を占めていた農村から長男以外は都会に出て、サラリーマンになりました。そして、1990年までの高度成長時代に、日本では中産階級が大半を占めるようになり、子供たちの進学率も年ごとに高まってきたというわけです。

私は昭和二桁生まれですが、高校進学率は50%程度、大学進学率は2割程度だったでしょうか。それが現在は、高校進学率は90%超、大学進学率は50%超ということになっているようです。

世界的にはどうなっているかは分かりませんが、欧米と比べてもい方ではないでしょうか。ドイツやフランスは、意外と低いかと思います。ドイツでは小学校の高学年から進路が決まってしまうようです。フランスの事情の大いにユニークです。カルロス・ゴーン氏の自伝的な本を読むと分かりますが、フランスは超エリートが政財界を牛耳っています。

ロシアや旧東欧は酷い格差社会です。アジア・アフリカ・南米などの教育環境は相当厳しい国が大半ではないでしょうか。こうした問題を考えることは殆どありませんが、こうして改めて考えると色々ありますね。>

(5)当方よりの結び:
<私にはアメリカとの比較しか出来ませんが、我が国民の一般的な教育水準の高さと質は明らかにアメリカを凌駕しています。それが大学進学者が増えたことと言うよりも小学校教育の徹底が効果を発揮していると実感していました。算数などは九九がないアメリカの教育とは比較にもならないほど違うと思います。しかし、それを「ゆとり教育」とやらで崩しかけている感が深いのは、文科省の責任は重大でしょう。

President誌が毎号採り上げる大手企業の社長を始め役員の学歴を見ると、圧倒的に全国の有名私立校と各県の公立校の出身者ばかりです。勿論大学も旧制七帝大、一橋、四大私立(または三大)までが過半数です。ということは、私にはIvy League卒等にエリートが集中している「アメリカ化」の傾向を見る気がします。それが皆「試験で良い点を取る受検秀才」というか「答えは一つ」式試験の熟練者ばかりか?との疑問も湧きます。

私はアメリカ式の「少数の名門の家柄で有名私立校の修士以上ばかりが支配する」という世界が良いとは思えませんが、我が国ではそうはならないと見ています。アメリカは少数民族が「草鞋を作る人」の役目を担っていますが、我が国では草鞋作りを嫌う人たちが出てきた気がして不安です。皆が駕籠に乗れる訳はないので、分相応の社会で出来る限りの努力をして社会に貢献してくれないと、国が纏まらないかも知れないと懸念しています。