新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

9月5日 その2 実務の世界に生きてきた者に言わせて貰えば

2015-09-05 16:11:11 | コラム
今回のオリンピック関連の組織が何故醜態をさらしたか:

私は実務の世界の経験の有無が招いた差が大きかったのではないか、と断じても良いのではないかとすら考えている。換言すれば閣僚か議員と官僚に任せていれば良い案件ではないと考えたということ。

これは何のことを指しているかと言えば、既にご賢察の通り2020オリンピックについて我が国の何処の誰がどのような形で責任を負うべきかが判然としない新国立競技場建設の混乱と、エンブレム白紙撤回の二つの醜態を指しているのだ。この二つの案件の大部分は経済活動はないのか。マスコミにも一部の責任があるとも言いたいのだが、それはもし彼らが迂闊に真っ向から何処かと誰かとを批判した時に来るかも知れない圧力!?を避けたい一心で、何も言わなかったのは意気地が無かったという意味だ。

私は政府は元総理大臣であるとか、元財務事務次官兼元日銀総裁候補であるとか、現職閣僚であるとかいう方々を長に頂く組織を設けて(何でマスコミも一般人も「立ち上げる」などという動詞を続ける熟語を使うのか?)置けば事足りると考えていたようだし、また何処の誰が責任者だったかも判然としないオリンピック関連の人事全般にも問題の根があったと思っている。しかも、それが機能しなかったと見るや、今度は大学の体育会経験者を担当大臣に任命した。私はこれも見当違いだと断じたい。

当方は大学4年間のアルバイトをも含めれば43年間も日米の実務社会に籍を置いてきた。しかもアルバイトを除けば「製造業こそ全産業界において最高位にある」と信じられていた世代の者であり、「製造業に非ずんば」と未だに思い込んでいる。即ち、その世界では松下幸之助氏のように「利益を挙げなければ罪悪だ(?)」とまで断言される方がおられた。

そこではあるプロジェクトを設ければ、先ず利益目標を立て、その為の期間を設定し、何処の誰を選んで営業・生産とその計画・資材か購買・経理・設備の建設・総務・経理・調査・運送等の何を担当させ、誰をそれぞれの組織の長に任じ、総責任者を何処から選んでいくかを事業部本部長乃至は取締役会で決定するのが利益を挙げる為の普通の手順だろうと思っている。換言すれば、そのプロジェクトに属する全員が実務の経験を経ており、如何にすれば目標を達成出来るかをかを心得ているのだ。

これと対比した場合に、「官僚がいるではないか」との声が上がりそうだ。だが、仮令優秀な財務官僚と雖も各取引先の信用状態を綿密に調査して信用限度を設定しそれを全て記憶し、日常の業務遂行の過程でもその限度を忘れずに売買し管理した経験をお持ちではないと思う。これが実務であり経済活動だ。また設定された目標を達成しきれずに焦って得意先に頭を下げて回ったことがあるとは思えないが、如何か。

そのような組織の頂点に立って、各部署の長と日夜綿密に連絡し合って管理督励し、時には得意先から仕入れ先まで訪問して意思の疎通を図って自らの担当分野を管理運営されたことが、中央官庁のエリートが経験されただろうかと言いたい。彼らはそういう仕事をする為に東大の法学部や経済学部を指向した訳ではあるまい。彼らはピッチに出て球を蹴ったりシュートする実務の担当ではないのだ。だから、元財務次官を委員長に選んだからといって組織委員会が最善に機能を果たしたのではなかったということになったのではないか。

私は国立競技場建設問題の混乱が始まった時に真っ先に思い付いた、この案件の管理の最善の遂行者は現在はバスケットボール界の再建に手を貸しておられる元サッカー協会・キャプテンの川淵三郎氏の名前が浮かんできた。彼はサッカーでも名を為されたが、古河電工でも支店の部長職にあって管理・運営の経験者であり、それを基にしてJリーグを成功に導いた実績があり、既にバスケットボール界の立て直しも軌道に乗ったと見えている。それだけの手腕の持ち主である。

誤解されないように申し上げておくと、私は川渕氏をオリンピック関連の組織の長であるとか重要な地位に推しているのではない。オリンピック関連の組織には彼のような実務の世界でも管理職の経験者であり、スポーツかその他、例えば芸術の世界でも組織の運営に確たる実績を残してこられた人物を据えるべきではないかと論じているのだ。その意味では既に新聞辞令が出ている某順天堂大学教授には疑問を呈さざるを得ない。

オリンピック関連の組織に入れば、先ず国立競技場の建設では海千山千のゼネコンと折衝せねばならないという大役がある。ゼネコンというか建設業界の裏表を知り尽くして、あの業界と五分に渡り合えるような人物が在野にゴロゴロしているとは思えないし、官僚にしたところで実務の交渉というか売買の交渉を担当業界としてきた経験を持っている人材がいる訳ではないだろう。実務での駆け引きなどは素人が簡単にできるようなものかどうか、考えなくとも解るだろう。

私は敢えてエンブレムの再募集については言及を避ける。それは全く知り得なかった「芸術」という実務とは全く切り離されたというか、別の世界のことであり、何か語るだけの材料の持ち合わせがないからである。この私が回避することを、実務経験が無い方々が取り仕切ろうとされるのには無理があるし、ましてやデザインの世界の権威者を実務の世界に引き入れて責任を持たせるのも見当違いではないのか。いや、既に違っていたと実証されたではないか。

永井某氏はエンブレムのデザインの修正を知らされなかったというのは何を意味するのか、元官僚は何の権威があって無視したのかなどはマスコミはもっと突っ込んでも良かったのではないか。あの元財務事務次官の徹底した責任回避の記者会見などを一向に批判しないマスコミなんて、いないのも同然で役に立っていない。

モゥメンタムのスポーツ

2015-09-05 07:32:11 | コラム
野球Uー18W杯の日韓戦を見て思う事:

昨4日は日本の高校生代表が韓国を7回で12対0のコールドゲームで勝っていく有様を時々見て、大変気分良く寝ることが出来た。日韓の間にこの点数ほどの実力差があるのかどうかは、たった一度の試合からは判断出来ないが、あの大差がつく様子を眺めて「矢張りアメリカ系の競技はモゥメンタム(momentum)のスポーツだ」と思わずにはいられなかった。

兎に角、優勝候補のアメリカを9回表まで4対2だったかに追い込んでいた力を見せていた韓国が、投手と守備が2度も大崩れして日本に一気に1回に5点と6点も取られてしまうのだから、一度「勢い」というか「弾み」がついてしまうと止まるところを知らぬことになってしまうのだ。恐らく韓国の高校生は「対日」という過剰な意識と「勝たねばならない」との緊張感から崩れていったのだろうが、そのような弱さがあの場で出るのが私が指摘する「実力」なのだ。

私は韓国のあの大崩れを見て思い出したことがあった。それは我がサッカー代表の弱敵カンボジアを相手にして最後までモゥメンタムをつけることなく、3点しか取れなかったあの情けない試合である。それが我が代表の実力だと決めつける前に「UK系のサッカーやラグビーはモゥメンタムのスポーツではない」とあらためて痛感させられた。

ラグビーはいざ知らず、サッカーには実力差を超えて昨夜の日韓戦のような勢いづいて大量に点が取れることは極めて希である。先頃の女子のW杯決勝戦で我が代表がアメリカに5点も取られた負けたが、あの大量得点、しかもW杯決勝戦の場面とあれば、モゥメンタムのなせる業と言えないこともないが、私はアメリカにはそれだけの強さの差を感じていた。

言いたいことは「アメリカ系の競技には当日の調子も影響することがあるとは言え、勢いと弾みがつけば面白いように点が入っていく面白さがあって見る者を楽しませる特徴がある。だが、UK系には目が肥えた観客ならば両ティームの優れた技術を鑑賞して楽しむことが可能でも、あの対カンボジア戦のような得点し損ないの拙さをこれでもかと見させられては「サッカーは見るスポーツとしては面白くない」と決め付けられても仕方がないかなと思った次第だ。

とは言ったが、野球でもアナウンサーが解ったような声音で「手に汗握る緊迫の投手戦」と叫ぶ中々点が入らない試合などは、ハッキリ言って面白くないと感じることが多いと私は思っている。

最後に話題をUー18の野球に戻して、日本代表の高校生たちは(負傷者が2名出ているそうだが)残るキューバ戦に勝って予選全勝で、現在2位につけているアメリカとの優勝決定戦でも、昨夜のモゥメンタムを維持して勝って終わることを希望して終わる。

なお、”momentum”を「モゥメンタム」とカタカナ表記したのはカタカナ語を嫌う者として「モメンタム」を避けたからである、念のため。