新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

戦争放棄のタンクトップを着て

2015-09-15 07:27:31 | コラム
楽しげに語り合う集団に出会った:

昨14日夜は急用があって、今年になって最も遅い時刻まで外出していた。帰路は10時過ぎに丸ノ内線(メトロである、念のため)赤坂見附から新宿に向かった。車内は予想通りに混み合っていたが、有り難いことに我が後期高齢者夫婦を見た方2人に席を譲られた。我々の斜め前方に3~4人の異様な風体の若者と中年と見える男女が楽しげに「下北沢での公演では」等々を語り合っていた。

彼らの服装は一寸異様で、中心になっていた女性はタンクトップというのだだろうか黒地に白抜きで「戦争放棄」とあるものをTシャツの上に羽織っていた。他の仲間も「廃案」とアルミ箔(銀紙のこと)の切り文字を貼ったトートバッグを持っており、私の目の前に立った長身の青年はローマ字で”ABE”と記された部分が見える紙をプラスティックのホールダーに入れて掲げていた。全員の服装は言わば芸人風だった。

そこまででふと気付いたのだが「今日は確かまた国会前のデモがあった日ではなかったか」だった。「なるほど、彼らはその参加者で今は帰る途中か」と考えた。彼らの会話を聞きたくなくても聞こえて来たが、政治的なというか安保法制反対等に関するものは一切含まれておらず、激しいデモに参加してきた余韻を感じさせない、彼らが属する集団の関係のことばかりだった。

私は彼らの出で立ちを見て話題を聞き、「矢張りあのデモには、彼らのようなファッション反対派がいたのだ」と思うに至った。彼らが本当にあの法案を仔細に検討し廃案を安倍内閣に迫ろうとして止むにやまれずデモに参加したとは到底思えない雰囲気を漂わせていた。マスコミを信じない私は「恐らく彼らはそういう参加者の実態を承知していても、それを報じては”犬が人を噛んだ”的なニュースであり、価値がないとでも判断したのだろう」と考えた。

病み上がりの身にはやや不安があった夜間の外出だったが、言わば思いがけない発見というか収穫もあったので、それはそれで価値があったではないかと、一寸満足して帰宅した。