新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

9月22日 その3 ここから先が正念場の日本代表のラグビー

2015-09-22 16:20:46 | コラム
次ぎの対戦相手スコットランド以下は日本代表のスカウティングに懸命だろう:

私は我が国ラグビー代表の対南アメリカ戦の勝利は、非の打ち所がない立派なものだと評価している。これは、どちらかと言えば我が国の代表の在り方を支持していない私としては最大限の褒め言葉である。私はこれまでの過小評価を詫びねばなるまい。即ち、勝つとは期待していなかったのだ。

そこで、残るグループリーグの試合だが、それは南アに勝った以上にスカウティング等の準備を万端に整えてかかる必要があると同時に、対戦相手の諸国があの試合のビデオを全員で擦り切れるまで見て(一寸古い表現だが)、懸命に我がティームの総合的弱点と31人いるとか聞いた選手たち全員の長所と欠点を見極めようとしているはずだと承知しておくべきだ。

報道によれば、我が代表はあの南ア戦に備えて猛練習をしてきた由だ。それはICTが進んだ現在では幾らでも南ア代表の試合のビデオを入手可能で、最大限に南アの実力、長所と欠点の見極めが可能だったということである。私は20日に「南アには何処か心に隙があったのではないかな」と指摘していた。それは彼らはそれほど完全に日本のスカウティングをしてこなかったのではという疑いを表していたのである。

世界のランクで二桁の違いがある下位のティームが勝ったことは確かに重大で、W杯に出場している各国は当然のように我が国の代表に注目し、仮令グループが違っても16強で会うことも想定してスカウティングに取りかかるのが普通である。即ち、私はもしも対南ア戦の準備に多大な精力を費やしてきたのならば、我が国の代表はそれ以上の勢力をこれから先の対戦相手のスカウティングに注がねばならなくなるということだと考えている。

また、私には何故か良く理解出来ないあの独特なお呪いをする早稲田の頃から見ていた優れたキッカーの五郎丸君は、これから先の試合では5本もペナルティー・キックのチャンスを与えて貰える場面が減少する危険性が高くなるとしか思えないのだ。それは、相手国は彼にゴールキックを決められそうな位置で反則を犯さないよう気を付けるだろうという当然であり簡単なことだが。

例によって例の如くにマスコミ批判に向かわねばならないが、五郎丸君が一人で24点も取ったなどと騒げば騒ぐほど、対戦相手は反則をしないだけではなくFBとしての彼を厳しくマークしてくるのも明らかだ。また珍しい慶応出身の快足ウイング・山田なども彼自身に対してだけではなく、彼に対するパスの出所にもマークが行くだろうと考えられる。しかも同じグループにはランクが下位であるが、スカウティングの本家のアメリカがいるではないか。要注意だ。

ここまででは例によって冷静な悲観論者が悲観的な予想を述べていると思われる向きもあるかも知れない。だが、あの弱小代表ティームを4年間で南アに勝てるまでの鍛え上げたオーストラリア出身の知将(なのだろう)エディ-・ジョーンズ(Eddie Jones)ヘッドコーチがおられる。たとえ短時間にでも、スコットランド他の相手国用の対策を立てておられるだろうと期待している。だが、これから先の道は険しくなる一方だとも思っている。

最後に矢張りマスコミというかテレビと新聞の批判を。彼らは「勝った、勝った」と褒め立てて、ここまでに何をやってきたかであるとか、過去の悲惨な負け方の歴史を報じたがる。それはそれで良いのかも知れないが、何故我が国がこれから先は他の強豪国のスカウティングの対象となって極端にいえば丸裸にされる危険性がある事くらいに触れないのかと言いたい。同じ球技であるフットボールなどではスカウティング無しで試合に臨むことなどあり得ないのだ。

私は南アに勝った歴史的な偉業を褒め称えるのも結構だが、読者や視聴者がこれから先の試合を少しでも冷静に見ることが出来るような報道姿勢が欲しかったと思っている。未だ一度勝っただけではないか。未だ本当の意味で世界の世界の列強の一角に食い込んだ訳ではないのだ。勝負は当にこれからなのだと純粋なファンや視聴者や読者に知らせて置いても良いのではないかな。兎に角、未だ「ラグビーはルールが解らなくて」と言う人がいるのだから。

なお、今日書いておかないとスコットランドの試合に間に合わないと思って慌てて纏めた次第だ。


9月22日 その2 我が国の外交交渉を考える

2015-09-22 13:24:44 | コラム
外交交渉の場で論争と対立を避けるのは美点だが:

(1)国連人権委員会での北朝鮮の暴言:
呆れ果てた下品な言葉遣いだった。公式な席で使うべき表現ではない。以前にアメリカ政府が北朝鮮を”rogue nation”(=ならず者国家)と呼んだのは誠に尤もだと再認識したほどだった。本筋から外れる話だが、私は本心では「UN人権委員会」としたかったほど、「国連」というお為ごかしの訳が嫌いだ。

昨21日、ジュネーブで開催された委員会の席上で、田口八重子さんのご子息の飯塚耕一郎さんと横田めぐみさんの弟さんの拓也さんが意見を述べて切々と穏やかに早期解決を訴えた。

これに対して出席していた北朝鮮の代表が英語で「日本は戦争で罪を犯しながら云々」と我が国を批判しただけに飽き足らずに、何と終わりに我が国に向かって”Mind your own business.”と締めくくったのだった。と、テレビのニュースでは聞こえた)。無礼だし不愉快だった。テレビ局は知らないはずがないと思うが、この無礼千万な表現に何らの解説もせず、批判もしなかった。全くもの足らない。なお、”None of your business.”という言い方もある。

これを強いて日本語にすれば「余計なお世話だ」という辺りが当たっているだろうし「何のかのと言う暇があれば、自分の頭の上の蠅でも追っていろ」との意味もある極めて下卑た表現だ。良識ある者が公開の席で使うなどとは考えられない性質。だから言う訳ではないが、私は英語を話し出して70年は経つが、公式な席で使った記憶などない。だが、解説出来るだけの知識はある。

私はこれを聞いていて、北朝鮮の品位というか品格は別にして、彼等は我が国が反撃してくるとか言い返してくる(”rebut”とか”refute”とを思い浮かべたが)ことはないと読み切って、平気であの下品な表現で応戦してきたと解釈した。後で知ったが、そこには日本の代表者もおられて、その場で反論しておられた。だが、彼らは先手必勝で「これを言うことで失うものはない」戦法に出たと思った。即ち、我が方が彼らに舐められていたと考えたのだ。

ならず者と論戦することに意味は無いという考え方もあるだろうが、私は先ず彼らを押さえ込む論法に出ていくべきだったのではないかとすら考えている。北朝鮮は如何なる場合でも何時もこの先手必勝方式に出て我が国をして言葉を失わせて、そこから先の交渉を有利に進めようとしていると、私は見ている。即ち、綺麗な戦法ではなく言いたい放題で、我が国の真面目且つ真摯な態度に付け込んでくるのだ。

(2)ロシアのラブロフ外務大臣:
ここでもロシア外相が先手必勝に加えて「これを言うことで失うものはない」戦法に出てきたのだった。ラブロフ外相は我が国の岸田外相との会談後の記者会見で、報道によれば、会談内容とは全く異なる「北方領土問題は議題にならなかった」との趣旨の発言を躊躇せずに行い、意表をつかれた岸田外相を憮然とさせ、暫時立ち上がらせなかった由だった。

先程TBSだったかで筑波大の教授がその発言の背景を種々解説しておられた。それも尤もだと思ったが、私はロシア側にもそれなりの事情はあると思うが、あの無礼な態度の裏にあるものは「これを言うことで失うものはない」との手段で、我が国の温和で論争を避ける外交姿勢に付け込んだと解釈する。さらに、今後の日ソ交渉を有利に持っていく為の「先手必勝」作戦もあると見ている。言わば「足元を見られた外務省の甘さ」だと言うこと。

(3)結び:
では、我が国が彼らのような手段で外交交渉に席に臨めば良いかと言えば、私は必ずしもそうではないと経験上も言いたいのだ。即ち、馴れない「これを言うことで~」や「先手必勝」戦法に出ても、そう簡単には事が運ばないのは、20年以上も経験した対日輸出の白熱した交渉の席で見てきたからである。私は仮令彼らに足元を見られていようとも、我が国式の事前に十分に練り上げた正攻法に徹底すべきだと考えている。

何故そう言うかといえば「正義は勝つ」(=Justice will prevail.”)と信じているからであるし、我が国には彼らのような海千山千駆け引きは似合わないし、また彼らを真似ては「同じ穴の狢」と化していまう危険性があるのだから。


我老いたり

2015-09-22 09:05:52 | コラム
我が体力は衰たのか:

実は、今頃になって体調の変化に本格的に気が付いたのだった。6月18日に循環器科の検査入院が終わった辺りから認識はしていたのだが、年老いた私の身体には三度に及ぶ心筋梗塞を何とか切り抜けたことの影響か結果かと思う現象が現れていた。それらは「髪の毛が伸びない」、「髭が伸びない」、「爪が伸びない」、「皮膚が角質化しない(≠垢が出ない)」等々で、当初は単純に高齢化によるものだとばかり考えていた。

その表れであると感じた現象が去る18日に7月以来3ヶ月に近い感覚で理髪店に行った際にも感じられていた。それほどみっともないほど毛は伸びておらず、多少手を加えれば他人様の前にも出られる程度だったことで、これまでに意識したことがないほど伸びていなかったのだった。これは決して経費節約を図った訳ではなく、胃腸の具合の悪さが長時間の電車利用と徒歩による新宿副都心までの外出を躊躇わせた結果だった。

今や、その下痢も止まって心配なく出歩けるようになって来た。また、不調の頃でも歩かないでいれば足の衰えが進だけだとその道の先人に教えられたし、国際医療研究センター病院のリハビリ科の理学療法士にもそう勧告されていた。そこで天候と腸の具合が許す限り毎日の散歩を欠かさないようにしてきた。そのリハビリの頃には歩く速度を毎分50 mに制限されていたが、今では恐らく100 m近くでも歩けるかも知れないほど復調してきた。

ところが、である。2月の退院以降自発的に毎朝05:30頃に測定する体重が最低時の45 kg台からほとんど48 kgに手が届くところまで増加してきていた。だがしかし、前日に30分以上かなりの高速で歩くか、電車やバスを利用して1日に2~3個所も回ってき翌日には、必ずと言って良いほど1.5%も落ちるのだと判明した。昨日も職安通り視察に出掛け外食もして90分後に戻ったところ、今朝も47 kgすれすれにまで減少していた。

原因は体力の復活が未だ本物ではないことも考えられるが、昨日の気温の高さにもあったかと考えた。だが、18日(金)のように懇談会から理髪店に次いでアシックスまで回った時は雨天でも、19日には見事に1.5%減だった。してみると、未だ回復途上にある以外に、退院後に病院の栄養相談で勧められた毎食最低でも150 gの米飯食を実行せねばならないのかとも考えた次第だ。食欲は普通にあるが、私には150 gは結構な負担なのだ。

以上、ただそれだけの私的なことだが、私は愚かにもこの年齢になって、あれほどの度重なる大病の後でも、体力というか体調は60歳台の頃のそれに近いところまで復調出来るし、またそうせねばならないと信じ込んでいるのだ。である以上、本日も好天であれば、昨日買い忘れたあるものが未だ買えるかと、徒歩で片道20分以上を要するドンキホーテに「運が良ければ」と出掛けて行こうと考えている。