新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

9月2日 その2 媚中派め

2015-09-02 15:25:40 | コラム
中国の対日戦争勝利記念行事に参加する媚中派:

産経が9月1日に「中国大使館で開かれた「抗日戦勝70年」を記念するレセプションが元麻布の在日中国大使館で開かれ、に出席した共産党の穀田恵二国対委員長、公明党の山口那津男代表、民主党の赤松広隆前衆院副議長、村山富市元首相 が出席した」と写真入りで報じた。

なお、冒頭の挨拶で、程永華駐日大使(創価大学出身)は、「日本軍国主義が起こした侵略戦争は、中国とアジアの被害国国民に甚大な災害をもたらした」と発言。アジアの近隣諸国と関係を改善する上で、「過去のあの歴史を正しく認識して取り扱うこと」を日本に求めた由である。山口代表の出席は大使の母校との関係か?

この件で畏友尾形美明氏と佐藤隆一氏と意見交換をしたので、以下に紹介する次第だ。

*佐藤氏は
「抗日戦勝記念パーティーに出て嬉しそうにしているのは余程の間抜けか日本人ではないかのどちらかですね。少なくともこんな席で酒が飲める神経を疑います。日本に対して反省しろと声を大にしているのが中共であり、それに唯々諾々と従うAHO面を見ているだけでムカムカしてきます。」

と手厳しい意見。

*尾形氏は

「共産党の穀田、村山富市、赤松などは分かりますが、山口公明党代表がこの様な会合に出席することは驚きですね。もっとも、矢張り、というべきなのでしょうか?何しろ中国共産党が昨年、突然設けた「抗日戦勝記念日」などというトンデモ行事の一環なんですから。安倍首相のご苦労が、これを見るだけでも良く分かるように思えます。」

と言われた。

*私の意見はやや本筋を離れ且つ冗長だが下記のようなもの。

<少なくとも、こんな席で酒が飲める神経を疑います>

誠にご尤も至極です。私は彼らのあの嬉しそうな顔を見て「彼らは彼らの持つ情報に加えて中国の要人に接して、中国に媚びを売ることが必要だと判断した」と感じました。

政治屋としてそれなりの対中国観を持つことは必要でしょう。しかし、私は政治家であれば「国益」を重視した外国観を持つべきだと思うのです。また、彼らがどの程度中国の下層や中層の連中の日常生活や街の実態や文化の違いを承知しているか知りませんが、その知識なくして統計や資料だけに基づいて外国と付き合うことは甚だ危険だと思います。

私は2002年だったかに(パスポートを調べれば解るのですが、手抜きします)初めて上海に行き専門商社の駐在員に高層のグランド・ハイヤットの最上階のバンド入りバーに案内されました。そこから外灘を見下ろして飲む非アルコール飲料には「アメリカに来たか」と錯覚を越させるに十分な豪華な雰囲気でした。そこにいた大勢の中国の富裕層は全く欧米並みの水準にある服装と貫禄でした。

このホテルの入り口周辺の駐車場には黒のMercedesがずらっと並び、中国特に上海では最早富裕層が出来上がっていたと痛感させられました。しかし、最大のお買い物通り南京路だったか准海路(ワイハイ路のつもりです)で一歩裏に入った庶民?の家の悲惨さは目を疑いませんでした。当時でも既にこの手の家は破壊されつつあり、万博に備えていました。

蘇州では有名な(汚臭がしました)運河を船で回った際に両岸に見た民家のみすぼらしさには矢張り「際だった格差社会だ」と納得せざるを得ませんでした。普通はパック旅行ではこういう場面は見せないと聞いていましたが、1,000円で約1時間の船旅でした。恐らく政治屋は自分でこのような実態を見て回ることは出来ないでしょう。それでは片手落ちです。それでも媚びさせるだけの迫力が中国にはあるのでしょう。

という具合で、私は政治家は外国の実態を何としても経験し、上記のような生活をする連中が何を言うか知り得る機会を作っておくべきかと思うのです。でも、無理でしょうな。習近平だけが中国ではないと思うのです。朴大統領だけが韓国ではないのです。


五輪エンブレム使用中止に思う思考体系の違い

2015-09-02 09:40:34 | コラム
我が国の思考体系の弱点だったか:

私は1990年辺りから「アメリカやヨーロッパ等の一神教を信じる外国人の思考体系が二進法(=binary scale)であって、二者択一で進んでいくのに対して、我が国には八百万の神々がおられる影響か彼らのように単純ではないという大きな違いがある」と唱えてきた。

これはその時点では18年でしかなかったアメリカの会社暮らしのお陰で、このような思考体系(と文化)の違いが多くの場面で意思の疎通を欠くか、ビジネスの場での交渉や話し合いが素早く纏まらないか、予期せぬ論争と対立または決裂という結果を生んでいたことから、はかなくも学習したものである。これらは決して心地良い経験ではなかった。

遺憾ながら、私の二進法的思考体系説は未だに余り我が国の中では理解されていないというか、かかる違いがあるという事実を踏まえずに対米交渉に臨んでおられる政治家やビジネスマンが未だおられるとの印象は拭えない。また、アメリカ側でもそこまでの違いを承知して乗り込んでこない者が多いという事態も変化したとは思えない例を未だに見聞きする。

ところで、二進法的思考体系の例を挙げておくと、ある案件を掲げてそれへの対応を「ィエス」か「ノー」かの選択をさせる調査方式がある。ここでは「ィエス」を選べばその先がまた二つに分かれ、その先がまた二股になっていき、何段階かを経て究極の結論が待っているという形だ。「ノー」を選んでも同様で何らかの結論に行き着く仕掛けだ。

アメリカの多くの責任ある地位にいるビジネスマンたちは常にこのような思考体系で迷うことなく「ィエス」か「ノー」かを選択して進んでいき、極めて短時間で結論を導き出すのである。「何だ、それでは日頃貴方が言う”contingency plan”が出てくる余地がないのか」突込まれそうだが、それは二者択一で進んでいく中の何処かで、第2か3の矢は用意するようになっていると言っておこう。

一方、彼らにとっては我が国のビジネスマンとの交渉中に、常にと言うか屡々悩まされることがある。それは我が国の企業人は色々と配慮される面が多い為に中々彼等の言う”heart of the matter”(=問題の核心)に話を持って行かれないのである。二進法族には「ィエスかノーか」しかない問題の話し合いで、時間を浪費する理由が理解出来ないのだ。

それは「来日した人の顔を立てるべきか」、「交渉が決裂すれば二社間の関係に傷がつかないか」、「彼らの強硬な申し出をどうやって落としどころに持って行くか」等々の交渉の進め方が根本的に異なっていることが主たる原因だ。更に我が国の側では多くの場合「論争と対立」を回避され「話し合いで理解して解決しよう」という交渉になってしまう。彼らに言わせれば「二社の関係云々」は単なる感情論であり、ビジネスの場に持ち込まないで欲しいだけ。

長々と申し上げたが、今回のエンブレム使用中止の決断は欧米人の思考体系からは「遅きに失した」と言うだろう。即ち、ベルギー側から苦情が発生した時点で、アメリカスクールに在学した期間が長い私などは二進法で考えれば「使わない」というか「佐野某を切る」しかないと思ったから言うのだ。

しかし、我が国ではあの武藤委員長の延々たる説明を聞いても明らかだったが、結論に至るまでの慎重な検討や調整があったのだった。あれを聞いていると「始めから結論ありき」ではなく、出来得る限りの多方面の案件を調査し勘案して、結論を導き出そうと懸命の努力をされたのだと理解出来た。だが、もしかすると「結論」は見えていたが、短兵急にはそれを言わないとの極めて慎重な作戦を採られたのだとも言えるだろうとも感じた。

それかあらぬか、マスコミ論調でも有識者や弁理士の方々も「調査と検討に時間を要したこと」への批判が少なくて「決断が遅く、ギリギリだった」という声は上がっていた。私は持論の「文化の違い論」に基づいても敢えて「遅い」との批判しない。寧ろこれも持論である”better late than never”から、「少し遅れたが、中止されて良かった」と申し上げておきたい。

だが、遅れによって生じるであろう各方面が被る経済的損失と、それを生じさせた拙速を選んだ形となった政府、組織委員会、東京都、MR DESIGNの責任は重大であるとは言っておかねばなるまい。お断りして置くが、私は二者択一方式が良いとは考えていない。時と場合によるからだ。なお、ここで「ケースバイケース」というカタカナ語を使うのは誤りである。”case by case”とは「一件毎に」という意味だから。矢張り英語の講釈になってしまった。