新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

1月10日 その3 1月9日はスポーツ観戦の日

2017-01-10 14:47:05 | コラム
帝京大学と青森山田高校の実力勝ちだった:

昨9日は折角大学ラグビーと高校サッカーの決勝戦という絶好のフットボール観戦の機会だったにも拘わらず、肝腎の当方はフルーの第9日目で頭痛に苛まれていて、落ち着いて観戦などしてはいられなかったのは非常に残念だった。これでは到底kazk様の感想のコメントなどを期待していられないような観戦記になってしまうかと懸念している。

ラグビーは何時もの試合開始前の閃きどころか、東海大学が良い状態にあるとは承知していたが、準決勝戦で「産近甲龍」の一角である京都産業大学に余りの大差で勝ってしまっていたので、勝ち抜き戦であるトーナメントではあの様な勝ち方をした後の試合では碌な結果が出ないというジンクスのようなものをかなりの確率で信じているので、帝京大学が苦戦気味で勝ち抜いてきたことでもあり東海大学が不利と見込んでいた。

果たせるかな、東海大学は前半立ち上がりに2本のスクラムからのトライを決めて14対0としたので、これで益々不利となるだろうと見込んだ。それは2本対0本という形のリードは最も芳しくないからである。一見大差のようではあるが、1本返されてしまえば僅か1本の差でしかなくなり、追う方に一気に励みが出て来るのが勝負なのだから。私はここで東海がもう1本でも取れれば、試合の帰趨が見えなくなるかなと思って見ていた。

それにこれは私が常々考えているラグビーのルールの不備(?)で、失点した方が次のキックオフをすること即ち、相手方に更なる攻撃の機会を与えてしまうからである。あの試合展開では帝京大学は何ら攻撃の機会がないままに東海に攻め続けさせたのであり、帝京が如何なるオフェンスを展開するのかは未だ見えてきていなかったのだ。それは東海がFW戦で押したのに対して明らかにバックスへの展開と意外なほど相手に攻撃権を与えてしまうロングキック戦法だったのだ。因みに、7人制ではふっとボール式に点を取った方のキックオフ制になっているが。

余談だが「産近甲龍」とは京都産業大学、近畿大学、甲南大学、龍谷大学のことで、「関関同立」と同様に恐らく何処かの予備校が設けた大学の入試の難易度辺りを示す表現だと解釈しているのだが。

ここまでで残念ながら結果が見えたと判断せざるを得なかった。と言うのは、東海はバックスへの展開で取れたトライがなかったのに対して、帝京は自信たっぷりの展開ラグビーで応戦して、7連覇の実績は伊達ではないところを遺憾なく発揮して見せた。私は東海大学に欠けているところと言うか、帝京にあって彼らになかったものは「7連覇」という実績の上に立った8連覇への執念辺りかなと思って見ていた。

さて、高校サッカーである。青森山田高校のやや苦戦気味かと見えた第1戦目だったかと思うが、偶々一緒に見ていた長男と同じくフットボール出身者の次男が「青森山田高校のサッカーは格が違う。勝敗の行方は見えている」とアッサリと決めつけた。そこに、あの左のサイドバックだったかでテレビの画面に余り出てこなかった5番を付けたアフリカ系の顔付きの選手が所謂単身ドリブルで自陣から上がっていった勢いでペナルティーエリアに入ってから切り替えしてフリーとなってゴールの右側に見事なシュートを決めたところで「だから言っただろう」となった。

それが一事が万事で、青森山田が確かに技術的にも抜け出しており、「あれ、また東海大仰星が出てきたのか?」と思わせられたユニフォームを着ていた前橋育英高校から無残にも決勝戦で5点も取って優勝してしまった。実は、こういった背景でこの試合も青森山田の優位は動かないと見込んでいたので、余り集中出来ないままにラグビーと両方を見ていた次第だった。青森山田高校にどれほど地元出身の子供たちがいるのか知る由もないが、青森県から優勝校が出たことは褒めて上げて良いかなと思っている次第だ。


1月10日 その2 何故トランプ次期大統領を論じたか

2017-01-10 09:24:57 | コラム
我が国が如何に優れた国であるかを認識願いたいのだ:

去る8日まで3回連続でトランプ次期大統領を論じながら、私が見るアメリカの問題点を採り上げて論じてきた。そこには比較対象としての我が国を採り上げては来なかった。だが、良くお読み頂ければそこに採り上げてきたような問題点のほとんどは我が国の産業界には存在としないとお解り頂けると思っている。即ち、私が主張したかったことは「我が国ほど優れた国はない」という一点だったのだ。

簡単に言えば「我が国に識字率や基本的計算能力(=numeracy)の問題があるのか」なのである。「それくらいのことは解っている」と言われる方は多いだろうと確信する。だがしかし、私が恐れ且つ毛嫌いしていることは、マスコミの要らざる外国の礼賛的な報道と、未だに我が国の一部に残っているとしか思えない欧米への憧憬である。私は我が国民はもっと強烈に自分の国に自信を持って良いと確信している。

例えば、テレビCMなどを見ていれば、未だに古い言葉に言う「舶来」崇拝のものが多過ぎる。耐久消費財であろうと非耐久消費財であろうと、国産品で諸外国の製品よりも明らかに劣っている物がどれほどあるのか。または海外のブランド品でも、そのブランドの国で生産されている物がどれほどあるのか。国産品で十二分に対抗出来る物ばかりではないのか。私にはやや海外ブランドを重宝して使っている傾向があるが、それは経済的な値段で国内でも買えるからに他ならない。

また、マスコミは学術・経済・産業・スポーツ・文化・芸能等々の分野で外国に認められたこと、進出して一定以上の成果を上げたことを無性に有り難がる傾向がある。それそのものを否定する気はないが、海外の製品がこの世界でも最も品質に厳しく且つ細かいことを蔑ろにしない市場に、海外の諸国の製品が進出してきた時には礼賛するのではなく「中々やるじゃないか」と言って貰いたいほど日本市場は難しいのである。その市場で通用したこと自体が成功なのだ。外国を有り難がる気風からもうそろそろ脱却しても良くはないか。

嘗て、W社の我が事業部の世界最大の得意先だったN社のM常務は言われた「御社の製品の質をより一層高める事に努力され我が国の市場で完全に評価され受け入れられれば、世界中何処の国に出て行かれても成功は間違いない」と激励された。そして努力した。そして我が国の市場での最大のシェア―ホールダーの地位の確保に成功すると共に、世界の市場でその地位を確立した。私は日本市場で認知されることこそが世界での地位を確立することだと今でも信じている。

我が安倍総理以下はこの重要な点を可及的速やかにトランプ次期大統領にご認識頂くよう、何ものをも恐れずに進言していく必要があると思うのだ。


10日目のインフルエンザ

2017-01-10 08:44:59 | コラム
腹立たしい祝祭日の多さ:

昨9日は朝から頭痛で目が覚めた。もう終わるかと密かに期待していたインフルエンザの症状が一向に治まらなかったのだ。そこで起床後に検温と血圧の測定。共に全く何の問題もない数値だったので、何としても食後薬を服用したい一心でトースト1枚をデイキャフのコーヒーに牛乳を一杯入れて流し込んだ。そして、再び布団に潜り込んでジッと耐えた。何とも悲しいインフルエンザ9日目の朝だった。

7日(土)に診て頂いたSクリニックのS医師には「また何かあったら直ぐにお出で」と折角言われていたのだが、休診日とあっては如何ともしがたい。そもそも家内が最初に発症した暮れの29日は既に休診日で夜中に東京山手メデイカルセンターの救急外来に電話でお願いしてから向かったのだったし、当方の元日の発症の時もお休みの日。そんな時に病気になるのが悪いのだと言われそうだが、そんなに沢山祝祭日を設定した方にも罪があるだろうと言いたくなる。

本日で10日目に入ったところで、鼻づまりも解消されつつあり、やや便秘気味かと恐れていた腸が漸く活動を開始したのは結構だったが、昨日ほどではないとは言え未だうっすらと頭痛が残っている。これは恐らく全身の倦怠感というか、凝りのようなものが首筋に極端に出てきて頭痛と感じさせているのだと思う。要するに、フルーのウイルスが未だに一掃されておらず、全身を駆け巡っているのだろうと諦めている。今日一日何とか耐えていれば明日はもう少しましになると期待しよう。