新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

年末から正月にかけての行事

2019-01-08 16:53:16 | コラム
殆ど何もしない:

賛否両論どころか、非難囂々を覚悟で正月を振り返ってみよう。最初にお断りしておくと、我が家は仏教徒で浄土宗である。

大晦日:
アパートであるので松飾りは勿論しない、しシースのような形も飾りも扉にはかけない。特に理由はないが、もしあれば「未だ嘗てやったことがないから」だろうか。紅白歌合戦などはもう60年以上も見たことの聞いたこともないし、チャンネルを合わせようとすらしたことはなかった。理由は簡単で「流行歌手が嫌いだし出てくる者どもの90%以上は知らない連中だから。それに桑田佳祐だの北島三郎などは趣味ではないし、何とかISSAも願い下げだ。

序でに言っておくとNHKの大河ドラマなるものも40~50年は見ていないだろう。何故かって「昔のことを見たような顔をして脚本を書きその頃の時代を知る訳のないガキどもが演じるドラマなど見て何の役に立つというのか。絵空事を見て歴史が学べるならば、大学の歴史学科など不要ではないか。司馬遼太郎などはとんでもないものを残したものだ。

初詣:
生まれてこの方行った記憶がない。誰だったか忘れたがある外国人が素朴に次のように疑問を呈していた。それは「何で明治神宮にあれほど多くの人が行くのか。明治天皇と御利益のある神様仏様とは別ではないのか。あれは明治維新を成し遂げられた明治天皇にその御徳を忘れませんと敬意を表しに行くのか」となっていた。

私は何処にも行かないのだが、それは大学の宗教学で「自らが信じていない宗教のお寺なり神社なりにお参りしてはならない。それ即ち、「偶像礼拝になってしまうからだ」と厳しく教えられた。それで、これを勿怪の幸いとばかりに何処のお寺にも神社にも教会にも(モスク?)にも行かないで良しと決め込んだのだった。宗教学は難解な単位だったが、この点だけは未だに良く覚えて忠実にそも教えを守っている。

書き初め:
筆も硯もないような生活をしている我が家でこういう格調高い伝統の儀式をする訳がないでしょう。と威張っているのが恥ずかしい。

年始回り
1988年4月にこのアパート(俗称:マンション)に移ってからはご近所付き合いが殆どなくなったのので、恐らく何方の家にも行っていないだろう。勿論、何軒かの方とはお付き合いもあるし、顔を合わせればご挨拶もするし世間話に時間を過ごし事はある。でも、正月だからと言って何がする訳でもない。ずぼらというか気楽なものである。

では一体あんたは何をしていたのかと聞かれれば、2日まではボーッとしていて、3日にジムが開業するのをまって早速出掛けて行き、日頃顔馴染みの方々と新年の挨拶を交わしただけだった。良い正月だったじゃありませんか。