新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

記念日の特集

2019-01-31 16:33:13 | コラム
1月は記念日が多かった:

先ずは、本31日はWeyerhaeuser Japan Ltd.(アメリカのWeyerhaeuser Companyの日本法人)を1994年にリタイアーして満25年の記念日だ。あれから四半世紀を経たとは俗っぽい言い方で恐縮だが、長いようで本当に短い日々だったようにも感じられる。因みに、Weyerhaeuserに転進したのが1975年だったから、あれからは44年にもなっていたことになる。これまでの人生の半分以上だ。

月の若い方に話を戻せば、16日は2006年に第1回目の心筋梗塞を発症した記念日だった。あの日からは13年目になっている。生存率25%と病棟の主治医に教えられた時には「良くそんな難しい病気をしながら生き長らえたものだ」と、国立国際医療センターに感謝したものだった。だが、その後に2013年8月、2014年12月30日と3回も発症しているのだから、生存率は約6%だったことになる。湘南中学の級友は「お前は運が良いのじゃなくて強かったのだ」と言ったが、それが当たっているように思える。

実は、同じ1月16日でも2007年には、同じ病院の皮膚科で右目の下に発生していた皮膚ガンを切除する手術を受けていた。これが今年で12年目の記念日になる。その時に主治医ではない先生に言われたことは「皮膚ガンを侮ってはいけない。直ぐには生命の危機には至らないが放置しておくと、体内に拡がって骨に転移して更に骨髄にまで達すると救う手段がなくなるのだから」と教えられた。

次は22日。これは何と戸籍上で86回目の誕生日なのだ。2006年以降病気ばかりしていながら善くぞここまで漕ぎ着けたものだと、近代医学と国立国際医療研究センター病院(NCGM)に感謝せねばならないと自分に言い聞かせている。2006年の発症の際には自分の意志でNCGMに行った訳ではなく、救急隊が連れて行って下さったのだった。当日は日曜日の朝6時45分に倒れたのだが、幸運にも循環器内科の医長先生が当直明けでおられたので、緊急にカテーテルで処置して頂いて命を救われたのだった。

経験された方はお解りかも知れないが、心筋梗塞は暫くすると脳に血液が回らなくなって痛覚を失ってしまうらしく、苦しくも何となくなるのだ。だから、私はストレッチャーで処置室に運ばれてる時に窓から見えた青い空を「もう一度見られると良いな」などと考えている余裕?があったのだ。だが、自分が何の病気かも知らずにいたのだから恥ずかしい極みだった。処置が終わってICUに入れられてから男性の看護師に「私は何の病気ですか」と尋ねて、初めて心筋梗塞と知らされたほどの間抜けだった。

あれから早くも13年かと思うと有り難さと驚きにとらわれている。だが、未だ安心は出来ない。昨年11月に発見された臭覚を失わせられていた蓄膿症からは今月で何とか脱出出来たが、今月の第3週からは難病らしい「顎関節症」に捉まり、目下ろくに食べることが出来なくなって悩まされている。でも「心筋梗塞だって3度も切り抜けた強運で、今回も何とかなるだろう」と気楽に考えている。一寸甘いかな?


我が国における使い捨て紙容器は如何に処理されているか

2019-01-31 13:30:33 | コラム
「勿体ない精神」の発揚:

先日は中国の液体容器用原紙の需給に触れてみたので、今度は我が国の牛乳パックの事情にも触れてみようと思うに至った。簡単に言えば、我が国における牛乳パック用即ち液体容器用原紙の需要は人口の減少の影響もあって、当方がリタイアした1990年代前半の頃よりも20~30%のマイナス成長となっているのだ。そこには子供の人口が減って学校給食向けの需要も衰退したという事情もあるようだ。そこで、一気に飛躍してこの使い捨て紙容器がどのように回収から再生されているかの状態を覗いてみよう。

実行されている方も多いかと思うが、嘗てはある主婦が「あれほど良い高価な輸入紙を使った容器を使い捨てにするのは資源の無駄遣いでは」と主張して、使用済みパックを回収する運動を起こしたのだった。彼女が編み出した方法は空になってパックを切り開いて洗浄し束ねた形にして、専門の業者に回収を依頼して良質な原木を使った高級なパルプを使った再生原料を必要とする製紙会社に供給するシステムを考案したのだった。

彼女の努力でこの運動は徐々に市中に普及し始めて多くの人たちが使い捨てにすることなく、業者が回収して再生設備のある製紙会社に供給するようになって行った。この方式は大変高く評価されて海外でも評判になっていった。そして、このアメリカやフィンランドからの輸入に依存してきた原紙で作られた紙パックは使用後の回収率も高まっていった。因みに、我が国古紙回収率全体は世界でも最高水準にある70%超なのだ。

ところがこの使用済み容器の回収から再生の過程を経て再度別な紙を生産するのは良いことだが、先日も指摘したように食品衛生法の規定で、古紙入りの紙は食品と触接接触する包装用には使用できないのである。という次第で、高級な原木を使った良質のパルプでも適当な需要先を開拓する必要に迫られたのだった。という次第で、この再生パルプが必ずしも製紙産業にとっては経済的ではないと徐々に判明してきたのだった。

その問題点の一つは中国の例でも指摘した事で、このような特殊且つ高級な古紙の再生する装置を新たに導入すれば、それを24時間フル稼働させた上で、年間に350日は動かさないことには先ず採算が取れないのだ。しかもその投資の上に新たな人員配置も必要になるのだ。結果的に落ち着いた需要先はその再生パルプを主たる原料とした紙を作るのではない、家庭紙のメーカーが製品の強度を高める為に配合することで購入するようになって行った。。

だが、問題はそれだけで終わらず、そのようにフル稼働させる為の古紙を回収してこなければならないのだった。牛乳やジュースの容パック用原紙の輸入量は最盛期でも年間25万トン程度で、それが乳業会社で牛乳やジュースを充填されて紙パックとなって日本全国に出回っているのだった。仮にその膨大な数の使用済みの紙パックを全量回収できたとしても25万トンなのだ。

しかも、その原紙には両面にポリエチレンのフィルムがラミネートされているので、再生工程中でその分だけでも約10%は消えてしまうのだ。と言うことは、全量を回収して再生できても再生パルプになるのは16万トン程度なのだ。その上に、紙になっていた細かい木材繊維の何%かは流れてしまうので、歩留まりは100%とはならないのである。

しかも、そういう古紙を必要とする製紙会社が現実には静岡県の富士市あった。そこに、日本全国で使用済み容器だけを回収して、例えば北海道から静岡県まで輸送した場合のコストと人件費を考えて見よと言う事なのだ。費用対効果の点では「どうかな」という問題なのだ。次に我が国の年間の紙・板紙の生産量とパルプの生産量を見ると、紙・板紙が約2,600万トンで、パルプが800~900万トンである。そこに16万トン程度の新たな再生パルプを供給してそのコストの総額を考えた時に、どれほどの貢献になるかという考え方も出てきたのだった。

結論めいたことを敢えて言えば、カタカタ語でいう「経済的なメリット」に乏しいとなって、この回収から再生の運動を推進してこられた団体では「経済性よりも、勿体ないという節約の精神を普及させるモデルにしよう」と変わっていたように私は聞かされている。私は良い運動だと思ってはいたが、経済性には大いに疑問が残るとは見ていた。中部大学の武田邦彦教授などは「回収から再生に消費されるエネルギーのコストも忘れるな」という指摘もされている。

実は、1990年代初頭にアメリかではこの我が国の回収運動の評判を聞いて、ワシントン州の知事がW社の我が事業部に州内のあらゆる場所から使用済みの紙パックだけではなく紙コップまでも回収して再生せよとの依頼があった。副社長兼事業部長は「先ず採算には乗らないことは明らかだが、やるだけやって実証してみせましょう」との条件で引き受けた。我が社の工場には規格外となった損紙を再生する装置があったので、全力を挙げて州内に回収システムを短期間に構築して臨んだが、これでは再生装置を何日も稼働させるトン数には達せず、州外のアイダホや北カリフォルニアまでトラックを走らせて回収せざるを得なくなった。

言うまでもないことで、この長距離での回収では輸送費と共に人件費は高騰した。そこで副社長は「我が事業部では輸送費と人件費を再生することになった。それでは到底採算には乗らない事が立証された。このプロジェクトは諦めて頂きたい」と知事に詳細を説明して事業は中止となった。実は、我が社では使用済みの紙パック切り開いて洗浄して束ねて持参して下さる消費者にはその分を有償で引き取るという制度まで設けて回収運動を推進していたのだった。

貴重な天然資源を利用した製品を使い捨てにしないようにしようとする精神は立派だったのだが、費用対コストの問題からは中々簡単には利益が上がるように事業化されにくいと、我が国でも立証されていたという話である。だから、伝え聞くところでは使用済みの紙パックの回収率は安定した高水準が維持されているようだ。即ち「勿体ない」という精神は普及しつつあるのだ。この辺りが我が国の民度の高さを示していると、私は解釈している。