新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

1月27日 その3 「世界の3大経済大国に思う」の訂正版

2019-01-27 17:33:33 | コラム
何故中国の人口1人当たりの名目消費量が低いのだろう:

私はもう何年もこのRISIが公表する統計を見るのを楽しみにしている。最近は特に中国の消費量が常に低く、上位30ヶ国のリストにかすりもしない点に大いに興味を感じている。RISIは17年度の中国の人口を13億7,930万人として計算しているが、簡単に割り切れば「その大多数の生活水準が未だに先進工業国のそれには遙かに及ばないことを示している」という月並みなことが言えるかと思う。だが、10年ほど前に3度も行った上海の水準などは先進工業国どころではないと既に感じさせてくれていた。

その中国が世界第1位の経済大国であり、紙・板紙の生産量も消費量も往年の1位のアメリカを遙かに凌駕する1億トン台に達し、17年度の全世界紙・板紙の生産量 4億9,687万トンの27.6%を占めていたという凄まじさである。では、世界第2位の生産国・アメリカの1人辺りの消費量は如何なる状態かと見れば、215.5 kgと前年比△1.4%で世界第4位だった。生産量第3位の我が国は208.9 kgで0.1%のプラス成長ではあったが、世界第7位だったという低調?振り。

中国はRISIの発表では17年度は82 kgと、16年度には77 kgだったので6.5%の成長ではあった。因みに、15年度は74 kg。これは全生産量の伸びが2.1%だったことと比較すれば、個人の消費量は大いに成長していたことを示していると思う。それは何故かと推理してみれば、古くから指摘されてきた「中国の統計は仮令公式なものでも信じきれない面がある」事もあるだろう。だが、私はそれよりも「中国ではICT化というかペーパーレス化が先進工業国よりもその進展の速度が速く、印刷用紙や情報用紙の消費が余り進んでないないのではないか」と考えて良いのではないかと思っている。

今や世界各国ではICT化というかデイジタル化が急速に進行し、印刷(紙)媒体への需要が低迷しているのは間違いないところである。RISIの統計でも1人当たりの名目消費量の上位10ヶ国中の半数の5ヶ国では前年比でマイナス成長となっていた。30位までで成長を見せた国でも中国のような6.5%という高い成長率を見せていた国がなかった。ということは、18年辺りには中国では未だ高度成長が続いていたと推理できる気がする。それに、我が国もアメリカでもマイナス成長が続くのではないかとも言えると思う。

それにつけても恐ろしいことは、中国で生活水準も上がりデイジタル化が進んだとすると、13億人もの人口を抱えていれば、もしも1人当たりの名目消費量が我が国の17年度と同水準の200 kgに達したと仮定すると、それを賄う生産量は2億6,000万トンという途方もない量に達するのだ。私には最早現今の世界の原料供給能力や紙・板紙の生産能力が如何ほどか知りようがないが、それを賄うだけに膨大な原料を何処の誰が供給可能かと考えて見ると、空恐ろしいような気もしてくる。

しかも、RISIの発表では最早紙・板紙の生産能力では北アメリカはその中心勢力ではなくなりつつあると指摘されていたし、今後とも成長を続け需要が増加していくのはBRICSのような諸国になって行くのではないかと考えられる。例えば、今や世界的な輸出国となったインドネシアなどは生産量では世界第5位だったが、消費量全体では12位で、2億6,000万人の人口では1人当たりの名目消費量では30位にはとても入らないで、中国の半分以下の31 kg辺りなのだ。私は世界の紙・板紙の需給の未来は恐ろしいことになりはしないかと見ているのだ。

参考資料:紙業タイムス社刊 FUTURE 19年1月28日号

1月27日 その2 世界の3大経済大国を考えると

2019-01-27 15:58:41 | コラム
何故中国の人口1人当たりの名目消費量が低いのだろう:

私はもう何年もこのRISIが公表する統計を見るのを楽しみにしている。最近は特に中国の消費量が常に低く、上位30ヶ国のリストにかすりもしない点に大いに興味を感じている。RISIは17年度の中国の人口を13億7,930万人として計算しているが、簡単に割り切れば「その大多数の生活水準が未だに先進工業国のそれには遙かに及ばないことを示している」という月並みなことが言えるかと思う。だが、10年ほど前に3度も行った上海の水準などは先進工業国どころではないと既に感じさせてくれていた。

その中国が世界第1位の経済大国であり、紙・板紙の生産量も消費量も往年の1位のアメリカを遙かに凌駕する1億トン台に達し、17年度の全世界紙・板紙の生産量 4億9,687万トンの27.6%を占めていたという凄まじさである。では、世界第2位の生産国・アメリカの1人辺りの消費量は如何なる状態かと見れば、215.5 kgと前年比△1.4%で世界第4位だった。生産量第3位の我が国は208.9 kgで0.1%のプラス成長ではあったが、世界第7位だったという低調?振り。

中国はRISIの発表では17年度は82 kgと、16年度には77 kgだったので6.5%の成長ではあった。因みに、15年度は74 kg。これは全生産量の伸びが2.1%だったことと比較すれば、個人の消費量は大いに成長していたことを示していると思う。それは何故かと推理してみれば、古くから指摘されてきた「中国の統計は仮令公式なものでも信じきれない面がある」事もあるだろう。だが、私はそれよりも「中国ではICT化というかペーパーレス化が先進工業国よりもその進展の速度が速く、印刷用紙や情報用紙の消費が余り進んでないないのではないか」と考えて良いのではないかと思っている。

今や世界各国ではICT化というかデイジタル化が急速に進行し、印刷(紙)媒体への需要が低迷しているのは間違いないところである。RISIの統計でも1人当たりの名目消費量の上位10ヶ国中の半数の5ヶ国では前年比でマイナス成長となっていた。30位までで成長を見せた国でも中国のような6.5%という高い成長率を見せていた国がなかった。ということは、18年辺りには中国では未だ高度成長が続いていたと推理できる気がする。それに、我が国もアメリカでもマイナス成長が続くのではないかとも言えると思う。

それにつけても恐ろしいことは、中国で生活水準も上がりデイジタル化が進んだとすると、13億人もの人口を抱えていれば、もしも1人当たりの名目消費量が我が国の17年度と同水準の200 kgに達したと仮定すると、それを賄う生産量は2億6,000万トンという途方もない量に達するのだ。私には最早現今の世界の原料供給能力や紙・板紙の生産能力が如何ほどか知りようがないが、それを賄うだけに膨大な原料を何処の誰が供給可能かと考えて見ると、空恐ろしいような気もしてくる。

しかも、RISIの発表では最早紙・板紙の生産能力では北アメリカはその中心勢力ではなくなりつつあると指摘されていたし、今後とも成長を続け需要が増加していくのはBRICSのような諸国になって行くのではないかと考えられる。例えば、今や世界的な輸出国となったインドネシアなどは生産量では世界第5位だったが、消費量全体では12位で、2億6,000万人の人口では1人当たりの名目消費量では30位にはとても入らないで、中国の半分以下の31 kg辺りなのだ。私は世界の紙・板紙の需給の未来は恐ろしいことになりはしないかと見ているのだ。


オーストラリアオープンテニス雑感

2019-01-27 10:33:49 | コラム
私の感性で捉えたテニスの大会:

昨27日はNHKの夜7時のニュースを見ていたら、自然にテニスの中継になってしまった感じて、結局は大坂なおみさんが勝ちきるところまで延々と見ることになってしまった。何れにせよ大坂さんは大したものであると思う。何しろグランドスラムなるものを二つ続けて獲ってしまったのだから。私は昨年にUSオープンで優勝した時には未だ「出会い頭かも知れない」と未だその実力には懐疑的だった。だが、今回の優勝で本物だと認めるべきだと考えるようになった。その決勝戦を見て感じたことを述べていこう。

誰が言ったことか記憶が定かではないのだが、(試合がそれほど伯仲し、大坂さんが勝ちきれるかどうかと案じながら見ていたので)何処かで「大坂なおみは日本で育てたテニスの選手ではないので」と言うのが聞こえてきた。尤もではあると思わせてくれる要素が多いが、私はかの錦織圭君にしたところで、本格的に育てたのはアメリカのフロリダにあるスポーツ専門のIMGアカデミーだと思っている。言い方を変えれば、多くのプロテニス選手はこの学校から育っているが、大坂さんのようにここを経ずとも世界的な大会を続けて勝てるようにはなるのだと知り得た次第だ。

私は未だに大坂なおみという人が日本とアメリカのに重国籍になっている訳が解らないし、アメリカ側から大攻勢をかけられていながら日本国籍の選手として試合に出ている理由も良く解らない。勿論、国籍の問題については確たる知識はないが、彼女は大阪で生まれて3歳まで日本にいたと聞くが、それで何故アメリカとのに重国籍になっているのかが解らないのだ。父親がハイチ系アメリカ人と聞くが、そういう事情があるとアメリカ国籍を取得できるのだろうか。私は日本国籍というのならば、あの長い髪の毛を途中から染めているアフリカ系のアメリカ人が屡々やっているようなことをするのも不思議な気がするのだ。真っ向から言えば止めて欲しい。

昨夜の試合振りを見ていた、テニスのことを良く知らないままに感じたことがあった。それは彼女が得意とするラインギリギリを狙った絶妙なショットでポイントを稼ぐ技術である。一見力(マスコミも解説者も何でわざわざ「パワー」というカタカナ語だけを使いたがるのだろう)が溢れているストロークの選手でありながら、あのような難しいところを狙って正確なショットを打ち出す能力は大したものだと感心させられる。面白いことに錦織圭もこのてのショットを売り物にしている感がある。

因みに、英語の講釈をしておくとOxfordには“power”とは真っ先に“the ability to control people or things”と出てくる。ジーニアス英和だって「・・・に対する権力、勢力、(法的)権利、支配力、権限」とある。カタカナ語の「力」乃至は「腕力」とはほど遠い気がする。この辺りがカタカナ語の奇妙な特徴である。だが、彼らは躊躇せずに「パワー」か「パワフル」を使うのだ。多分、英和辞書も、電子辞書も持ち合わせがなくて確認できなかったのだろう。お気の毒だ。

表彰式に移ってからは、当然だがオーストラリア人の(テニスの関係者か元選手か)が司会のように仕切り始めた。私の興味はアメリかでは大坂さんのファースネームである“Naomi”は「ネイオミ」と発音されたものがどうなるかにあった。即ち、オーストラリアのアクセントではどうなるだろうかと言えば「ナイオミ」となる確率が高いと思っていたのだ。実際に聞こえてきた呼び方は「ネイオミ」に近いものだった。、解説しておくとUK系の国の英語では、“A”は多くの場合「アイ」と発音されているのだ。

昨夜は名前は「ナイオミ」にはなり切っていなかったが、その後で「お目出度う」に相当する“congratulations”はチャンと「コングラチュライションズ」とオーストラリア風になっていた。更に付記しておけば、我が国ではテレビなどでこの単語を発音する場合には、殆ど単数のままで「コングラチュレーション」なのである。こういう文法的なことをしっかり教えていなくて、大学入試センター試験ではあのような難解であり、読解力に重きを置いた問題を出す性根が解らない。

兎に角、大坂さんは大したもので、このまま精神面(「メンタル」と言うようだが、これは形容詞であると承知しているのか)をも鍛え上げていけば、グランドスラムなる4大大会の全部を制覇するのもそう遠い将来ではないのかも知れないと思いながら「偉いものだ」と密かに褒めていた。でも、観戦して少し疲れる試合だった。告白すれば、第2セットで40:0から続けざまにマッチポイントを落とした時には「この様ではこの試合は・・・」と、危機感を抱いていたが。