新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

1月16日 その2 本日の小さなウンザリ

2019-01-16 16:50:38 | コラム
「何とかドッグ屋」が4~5店あった:

本16日は事情があって私が命名したNew Koreatownの中でも最も賑わっている大久保通りの、言うなれば職安通り側をバスにして一停留所分だけ歩かざるを得ないことになった。歩き出した時刻は15時30分頃だった。言うまでもないことで終日の昼間である。それでも数軒の「何とかドッグ屋」には物思わない若き女性たちがある程度以上の数群がって、恥ずかしくもない様子で歩道上で立ち食いていたのだった。いきなり結論に持って行けば「世も末だな」である。

まさか食べているところを覗き込む訳にも行かなかったが、どうやら嘗ての「アメリカンドッグ」にチーズだの何のと所謂トッピングをまぶした物のようで、ケチャップなのか唐辛子かも知れない赤い物もかけられていた。折角この道を歩くのだからと意識して店舗の数も調べてみたが、「アリラン」の他には「33」というのもあれば「ジョンノ」等もあったようだった。値段は概ね300円台のようだが、私は韓国勢はボロもうけをしているのだなと思わずにはいられなかった。

兎に角、真っ昼間から公道の真ん中に群れを為して立ったまま食べている有様はみっともない限りだと断じる。それを恥とも何とも思っていない若き女性たちが将来如何なる日本の母親とになっていくのかなと難しいことなどを考える時、極端に言えば「暗澹たる思い」をさせられたのだった。しかも、彼女らが嬉々として食べているのが「戦中の朝鮮人労務者への賠償判決問題」と「レーダー照射の件」で我が国を「無礼呼ばわりした」韓国の食べ物なのである。本当にウンザリだった。

仮令彼女らに道を説いても聞き入れはしないだろうし、「自分が好きな物をわざわざ食べに来て何処が悪い」と反論されるのが関の山だろうと思う。与謝野晶子ではないが、現状では私は「悲しからずや道を説く超後期高齢者」の一人に過ぎないだろう。それにしても、私は我が国の政府は韓国に対する対応の姿勢が弱すぎると慨嘆している。何度も言ったことで、「菅官房長官の記者会見」辺りでブツブツ言っている程度では、文在寅には「日本からは何ら反論がないようだ」と安心させるだけだろうよ。

何という名前をつけたのだろう

2019-01-16 08:28:53 | コラム
国語力の低下かまたは破壊か:

正月(休み)の間は他に見たいものもなかったので、サッカー、ラグビー、駅伝、ヴァレーボール、バスケットボールもあったと思うが、そういう競技の高校の全国大会の中継を見ていた。私が採り上げたいのは何処の高校が勝ったとか負けたとかではなく、そこに登場する高校生たちの「名前」(アホなマスコミ用語では「下の名前」だが)の乱れというか、一層激しくなったキラキラ化と当て字、誤字、重箱読み等々の何でもありというか「如何なる頭脳構造でかかる命名をしたのか」と思わせてくれた不可解さに呆れていた。

換言すれば「我々1930年代前半生まれには想像も出来ない従来の命名の仕方の破壊とでも言いたい、我が国の名前の文化を無残に破壊した新時代の到来を確認できた」とでもなるだろうか。そこに使われている漢字には明らかに流行り廃りがあって、新時代にあっては「翔」、「航」、「大」(ヒロと読ませる)、「平」、「太」、「斗」、「介」、「星」、「莉」、「詩」、「乃」等々だが、外国人のファースネームに語呂合わせをした「賢斗」だの「沙羅」というようなものもこれまた多かった。

要するに往年は顕著だった例えば「伊東家」においては必ず「祐」の字を入れるといったような、その家系における伝統などは全く無視されて、我々旧時代の者には絶対に読めないような名前だけがのさばっているのだった。私には昨年甲子園を沸かせた金足農高の吉田君の「輝星」などは、何としても読みようがなかった。また、MLBで栄えある“Rookie of the year”(これを新人王と訳したのは名訳か迷訳かは私には判断できないが)を獲った大谷君の「翔平」などは上記の文字から二つも使った傑作かと思わせてくれる。

正直に言えば、私はかかる命名の仕方が良い傾向だとはとても考えられない。学校教育で国語と漢字の使い方と読み方をまともに教えていないのでかかる結果を生じたのだと思い込んでいる。同時に、我が国の命名の仕方の文化を破壊してしまっていることは好ましいことだとは到底思えないのだ。より厳しく腹蔵なきことを言えば「その程度の命名しか出来ないような、知的な下層階級が増えたのではないのか」とすら思いたくなってしまう。

それだけではない、「外国人のファースネームを真似た当て字をすることは、21世紀の今日でも未だに外国人に対する憧憬の念でもあるのか」と非常に情けなく思っている。その点は精一杯穏やかに言えば「そのような名前をつけておけば、将来海外に進出した際に彼らの世界に馴染みやすくて有利だろう」とでも考えたのかも知れない。だが、これもとんだお笑い種で、その殆どは正式なファーストネームではなく、ニックネームである例が多いのだ。例えば「トム」だの「ケイト」などは言わば略称なのだ。