新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

外国人不信論

2020-01-02 09:19:11 | コラム
カルロス・ゴーン氏のレバノンへの脱出に思う:

私はこれまでに事ある毎に「我々日本人は外国人に甘過ぎる」と言ってきた。そして、この主張にどれほどの方が気が付かれているかと、同意されているかが極めて疑問だと思ってきた。敢えて言うが、私は自分が数少ない「アメリカの会社の一員として、アメリカ人の思想・哲学・倫理観・文化・海外に対する認識を承知して、彼らの為に222年半も働いてきた日本人だ」だと自負している。その(日本人としては珍しいと信じている)経験に基づいて「外国人を容易く信じてはならない」と主張してきたのだった。より具体的に言えば「彼らは我々のように純真ではない」のである。敢えて信じて良いかと思わせてくれる人物を上げれば文在寅大統領がおられる。貴方は彼を信じようと思われますか。

また、これまでに繰り返して「我が国に勝手にやってきて、何らかの方法というか手段で生計を立てているような者たちは、自国でその立ち位置を確立できなかったか、食い詰めて自国よりも甘い国に出掛けて何とかしようか何とかなると企んでいる連中である」と主張してきた。だが、我が国の中で、我が国の人たちだけの社会で過ごしてきた方には「何を言っているのか」と素直に理解して頂けないとも百も承知だった。それは、そういう方々には外国人たちの中にはすれっからしもいれば、海千山千の強者がいるとはご存じではないからだと思っている。

より解りやすいだろうと思う言い方をすれば「その人物が本当にその国乃至はその属して組織の中で評価されているとしたら、上司かまたは官庁乃至は官僚が容易に手放すかどうかをお考え願いたい」と言うことだ。もっと次元を下げて言えば、且つて私があるプロ野球テイームの通訳の仕事が余りにも出鱈目なので怒っているのを聞いた家内が「本当にチャンとした英語能力があり仕事が出来る人だったら、会社組織なり何なりが手放さなかったでしょう」と言ったが、要するにそういうことなのだ。

そこでカルロス・ゴーン氏である。この人物はルノーが選んで経営の危機に瀕していた日産自動車の救済の為に派遣され、見事にその手腕を発揮され確か「コストカッター」の異名まで獲得された豪腕且つ辣腕の経営者だったはずだ。だが、その日産自動車再建後には「救済は出来ても、そこから先の会社発展の為の手腕のお持ち合わせがなかったようで、日産は何時の間にやら後発のホンダの後塵を拝する3番手の会社に落ちてしまった」というように、私は見ていた。そしてあの特捜部に摘発された給与所得の案件を引き起こしていたのだった。

私はゴーン氏の会社再建の手腕には敬意を表しても良いとは思っている。だが、簡単に言えば引け時を誤ったか後継者の選択にも失敗されたようで、悪者扱いされるようになってしまった。外国人不信論者の私には、ゴーン氏の生まれ育ったレバノンでは国には誰が権力を握っているかは知らない。だが、あれほどの業績を挙げたゴーン氏も今回のように司直の手にかかって我が国で裁判を受ければ、かなり高い確率で有罪となるという危機に瀕した。そこで採った手段が密出国である。私は「矢張り、ゴーン氏も私が看做す悪い外国人の本性を現したのか」と思わざるを得なかった。

何としても我が国の法律の下から逃避したかったのだろうが、それが明らかに「名経営者」としてこれまで評価され尊敬されてきた程の人物が、手前勝手な自己都合でその居住する国の法律を破ってまで脱出して良いという理屈はないと思うのだ。レバノンは彼を保護するかも知れないが、それ以外の諸国がこの彼の暴挙を何処まで評価するかは大いに疑問だと思う。ルノーにしたところで、私は「何と言うことをしてくれたのか」と慨嘆して然るべきではないかと考えている。

近頃、我が国では「保釈された者たちの逃走劇が多発」しており、検察か警察の対策の確立が焦眉の急だと言われ出した。ゴーン氏もその様子を見て「今度は自分の番だ」とでも考えたのではないかな。彼も我が国に長逗留していれば「この国の性善説にこそ、付け込んでも良いのではないか」という発想が浮かんでも不思議はないと思う。よく考えなくとも解ることで、ゴーン氏は「性悪説信奉国からやって来た救世主のはず」だったのだ。ここでの教訓は「矢張り外国人は信用ならない。人を見て法を説け」ではなく、「人を見て判断せよ」ではなかったか。